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(1) 近化心霊研究とその主張

2010/09/19

 できる丈通俗的に、できる丈簡単明瞭に、近代心霊研究に関する一般的概念を与え、以て新進の研究者の為めに道案内の役を勤めたいというのが著者の老婆心であります。日本国にも近頃そろそろ心霊問題に向って注意を払わんとする、甚だ慶賀すべき傾向が見えますので、この際本書の出現は決して無益ではないと信ずる次第であります。

 言うまでもなく近代心霊研究は近代科学の一分派として徹頭徹尾活きた事実の上に立脚します。従って科学的に実験し、科学的に実証を挙げ得ないものは、縦令それがいかに巧妙な理論の上に築かれていても、又いかにその成立が望ましい事柄でも、しばらく之を保留して置き、徐ろに確証の挙がるのを待ちます。その点甚だもどかしいような所もありますが、しかし一たん心霊研究の結果確立されたとなると実に堅固なもので、一世を挙げてこれに反抗したところで泰然自若として驚きません。そこが近代心霊研究の大へんな強味で、従ってそれが現代人の思想、信仰、行動の上に、他の何物にも見出すべからざる大助力を有つに到った所以であります。

 扨て近代心霊研究の出発点は今を距ること八十余年の昔に遡ります。即ち一八四八年北米ニューヨルク州の一寒村ハイズヴィルに起ったフォックス家の幽霊事件を以て普通其起原とします。一八四八年というと丁度日本の嘉永元年に当り、詰まり日本国民が漸く鎖国の夢から覚めて対外問題に視聴を向けかけた時代であります。外国との交通と霊界との交通では大分話が違います。かく半世紀以上の開きがついていては、日本国の心霊研究が世界で一番落伍の気味であるのも或は無理からぬ次第かも知れません。

 右のフォックス家の幽霊事件というのは、事件そのものは今日から見ればもちろん大したものでありません。同家の年若き娘達(マアガレッタ及びケーテー)が寝室に入るとパタッ! パタッ! という不思議な敲音が起る。それが毎晩の事であるから次第に人々の注意を惹き、いろいろ研究者も現われるという騒ぎになりました。後にその敲音を符徴に使用して文字を綴らして見ると、それが一人の死者からの通信であることが明瞭になった。即ち右の死者は五年前、この家で殺されたもので、頭字はC、Rであり、女房との間に五人の子供があった。骨はこの家の穴蔵に埋められている……。大体そう言ったことが判ったのであります。

 問題そのものはそんなつまらぬ事柄で、今更かれこれ詮議立てするほどの価値はないのですがただこの事件を導火線として千変万化の興味ある異常現象が北米の各地に起り、更にそれが英国にも飛び火をしてますます一世の耳目を震撼せしむるような事になったのですから兎に角劃期的の一大事件と見做すべきでありましょう。さればシカゴの心霊家カドワレエダア夫人などは東奔西走の結果、フォックス姉妹の為めに一大紀念柱をその邸跡に建立することになって居ります。日本でその相手を求むるならば丁度相州久里浜のペルリ提督上陸紀念碑と言ったところでしょう。

 それはさて置き、幾多の心霊現象が現われ、従来ただ不思議だとか、不可解だとか、奇蹟だとか、詐術だとか、幻覚だとか言って、人間の考慮の外に放り出されてあった事柄が必らずしもそうでなく、ドー査べても科学的正確さを有った事実であるという事が判明して来た時に、その必然の結果として爰に新規な人生観、新規な哲学、新規な信仰と言ったものが次第に定形を成すに到りました。それが取りも直さず、今日世界の有識階級間に隠然勢力を張りつつある。スピリチュアリズム(神霊主義)であります。心霊事実を真珠とすればスピリチュアリズムは之を貫くところの紐見たいなものであります。前者の調査は主として科学の畑に属し、後者の仕事は大体哲学宗教の領分に属し、双方相倚り相助けて新時代の世界人類の大規準を確立すべき使命を有って居るのであります。

 スピリチュアリズムに就きては、別に筆を新たにして講述を試みねばなりませぬ。爰には研究者の便宜の為めにスピリチュアリズムの中心骨髄ともいうべき点を極めて簡単に申上げて正しい目標を与えることに致したいと思います。

 スピリチュアリズムがイの一番に力説するのは

  各人の肉体に霊魂が宿って居ること

であります。即ちわれわれの肉体は自我の本体でなく、寧ろその機関に過ぎないという主張で、これと正面衝突を行うのはいう迄もなく唯物説であります。何となれば唯物説にあっては人間の精神作用をはじめ、すべての働きが肉体そのものの属性であり、肉体が滅ぶれば後には何物も残らないと主張するからであります。

 右の観念の相違がわれわれの日常の思想行動の上にいかばかり深刻な影響を与えるかという事は爰に詳しく述ぶるまでもないことで、正に生きるか、死ぬか、のるかそるかの大問題であります。もちろん私が右にただ霊魂と申した言葉は甚だ概念的で要領を尽さぬ憾みがあります。しかし爰でそれを論じて居た日には収まりがつきませんから、しばらく通俗的に之をただ超物質的の或る存在と考えて居て戴きたいのであります。

 (註)人間の自我は大我の一分子であり、そして各自自我表現の機関として、肉体、幽体、霊体、本体の四つの体を具えて居るものと考えられます。詳細は昭和四年来雑誌「心霊と人生」誌上に連載しつつある拙稿「神霊主義とは何ぞや」を御参照下さい。

 次ぎにスピリチュアリズムが力点を置いて居る一ヶ条は

  肉体を離れた霊魂が死の彼岸に存続すること

であります。これは前掲の条項と極めて密接な関係を有って居ることで、すでに肉体が自我の本体でないとすれば、今の肉体が滅びても自我が依然として後に残るという事は寧ろ当然の事柄なのであります。が、之を実験的に証明する事は至難事中の至難事で、人類は近代に至るまで暗中摸索を重ねて居る有様でした。この証明に初めて成功したのが近代心霊研究であって、この功績は誠に顕著でありますが、しかし何所まで行ってもこれは困難な仕事ですから、心霊現象の一部分、例えば念写とか、透視とか云った方面のみに接触した学者などは、人間の個性が果して死後に存続するか否かという事には今日でも随分首をひねりて居る有様であります。若しそうした不徹底な境涯に彷徨しまいとすれば余っぽど広く清い心を有ち、一切の先入主を棄て、あらゆる心霊現象に対して全然白紙の態度で真剣な考察を重ねる必要があります。何にしろこれはわれわれの思想信仰の上に直接大影響を及ぼす事柄ですから、私としてもできる丈の力をこの点の確立にそそぐつもりであります。

 次ぎにこの条項に劣らず大切なのは

   人間界と霊魂界との間に交通が可能なること

であります。若しも人間の個性が死後他界に存在しても、全然人間と交通不可能だというのならさっぱり詰らない話で、われわれは霊魂などに何の用事もない訳です。よしや用事があってもドーにもしようがありません。これに反して若しもそれが可能だとすれば、これは全く棄て置き難き大問題で、若し強いてこの事実に向って目を瞑れば自から求めて一種の精神的鎖国主義者になる訳で、どれ丈無形の損害を招くことになるかも知れません。何となればそれではわれわれの優秀なる祖先の霊魂をはじめ、更にその奥に控えているらしい偉大なる諸神諸仏との連鎖をも遮断することになる訳ですから……。私はこの点に向ってもできる丈明確な事実を挙げて動きのとれぬ証明を与えたいと考えます。

 以上はスピリチュアリズムの基本を為すものでありますが、前にも申す通り、勿論それ丈でスピリチュアリズムの全部を尽しては居りません。スピリチュアリズムの綱領中には、一切の万有が宇宙大精神の顕現であること、各自が永遠に因果律によりて司配さるること、各自が永遠に向上進歩の途を辿ること、各自が同胞的関係にあること、其他が掲げられて居るのであります。が、本書はスピリチュアリズムの説明を主眼とするものでないからそれ等の問題にはあまり触れないことに致し、早速心霊問題の説明に取りかかります。


底本:「心霊文庫第一篇 心霊研究之栞」 

著者: 浅野和三郎

発行:心霊科学研究会

1930(昭和5)年06月10日初版

1936(昭和11)年11月1日5版

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に準拠して、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ PHPファイル化に際して、底本のルビを取り除き、底本中のゴシック表記を斜線表記、傍点表記を下線表記に、白丸傍点表記を強調表記に置き換えました。

※ ルビ付き版はこちらです。


資料提供: 思抱学人

入力: いさお

2008年5月20日公開


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小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。