4 生前の姓名は泉熊太郎

2010/10/03

幽魂。予は父を慕いてはるばる此地に来りしものなるが、父は此地にて船を雇い、単身肥前国唐津に赴きたり。その時父は予に向い、汝は是非ともこのまま本国に帰れ、一歩も隨うこと叶わず。若したって帰国せぬとならば、吾子にあらずとまで言わるるまま、子として身に徹し腸に通りて、その旨を承ることになりたり。さればとて亦国元へ帰り難き深き仔細あり。ただ独り跡に取り残されたる身は進退全く爰に谷まりて、終に切腹して相果て、爾来爰に数百年、空しく無念の涙を呑むのみ。わが死骸は切腹のまま土中に埋められて人知れず朽ち果てたり。

 斯く述べて幽魂は潸然として涙を浮べ、世にも悲しげな面持ちをあらわしました。

宮崎。その無念はさる事ながら、幽魂いかなれば斯く長く当家にのみ崇りをなすや。それとも又他家にも崇りたることありや。

幽魂。当家に対しては因由
ありて崇るなり。他家にも崇りしことはありたれど、只病気に罹らせしまでにて、一度も今日の如く言語を発したることなし。これ迄当家に尋常ならぬことの頻発せるは皆吾魂気わが遺骸の埋まりし地より通い来て為せし仕業なり。同じ災厄が代々起りしは皆吾が所為なれば、早くそれと悟りて祀りくれなば難有かりしものを、それに気のつく者の無かりしは無念なりし。四年前に当家の祖父も、我遺骨の上にて大病に罹り、又この市治郎も我骨の上を踏みしにより、われ瘧となりて其身に憑けり。廿三日の早朝わが魂の鎮まる所を知りて砂を堀り、浜に棄てたるは無法の所置なり。之が為めに我は行くべき所を失いたり。

 市治郎は七月四日曾祖父の墓の傍らの少し東方を踏んだ時に総身悪寒を感じ、それから瘧に罹ったのだそうです。総じて此家では七月四日に死んだ人が沢山あるということです。

宮崎。汝の願望とは何事なりや。又割腹の当時は何歳なりしや。又姓名は何と名告りしぞ。

幽魂。わが願望は一基の石碑をたてて貰うことにて、その一事さえ諾せらるれば、今夕立所に此家を立退くべし。一念凝りても数百年の間、終に時と人とを得ざりしが、今や漸く其機会に臨みたり。わが切腹せしは二十二歳の七月四日なりき。わが姓名は名告り難し。

宮崎。姓名を名告らずんばいかにして其石碑をたつべきぞ。従って願望の事承諾し難し。

 此時幽魂は武士の義を演べ、姓名の名告り難きをいろいろに依むのでした。が、宮崎氏は承知しませんでした。

宮崎。其許の申す条一応尤なり。されど、姓名を刻せざる石碑をたつるは神道の方式に叶わず。われ神道に背きて碑をたて難し。

幽魂。嗟呼何たる事ぞや。君に仕えし姓名を、私の願いの為めに明さで叶わぬ身となりしこそ口惜けれ。打ち明けねば願望成らず、願望ならざれば、これ迄に人を悩ましし事は皆徒事となる……。

と嘆息するのでした。医師の吉富氏も言を尽して姓名を名告れと迫りました。幽魂はこの時吉富氏に向いまして、

幽魂。其方に一つの頼みあり。先刻の御剣身にしみじみと忘れ難し。今一度あれなる人の御加持に預りたし。其方御苦労乍ら申しつぎて頼みてくれよ。

 かく述べた時の言葉は、いかにも加賀辺の方言にて、大名などが平人に申すべき言い振りであったそうです。吉富医師と幽魂との間には引きつづいて問答が行われました。吉富氏は何故幽魂があの剣を慕うのかを尋ねました所、幽魂は別に深い仔細ありての事ではないがと言い、ややありて低声で『さてさて』と歎息し、何事にかいたく感動せる体なりしが、重ねて『あの三振の中なるがいかにして』と言って俯いたそうです。

宮崎。石碑建立の件も、又御剣加持の件も姓名を聴かざる内は承諾し難し。速かに名告られよ。

 吉富氏も傍から言葉を添えました。――

吉富。これまでしばしば申す通りなるを何故にかくは深く隠さるるぞ。さばかり包まるるに於ては、とても其許の御願望は叶わざるべし。

幽魂。われ割腹を遂げ、無念に果てしその遺骸に砂をかぶしたるまま、数百年打棄てられたり。この苦悩を脱れん為めに、今まで人を悩ますとは、さてさて拙なき運命の身の上なり……。

 かく述べて涙を浮べ、しばし俯いて居ましたが、やがて紙と硯とを貸せよと言い、それを取ると、静かに墨を磨り流し、紙面に『泉熊太郎』と明記しました。そしてそれを手に持ち乍ら吉富氏に向い『石碑は高さ二尺二寸にして、正面には七月四日と書けばよし。此姓名は必らず世に漏らしてくれまじきぞ。』と言い、更に又筆を執りて石碑の形までも書き添え、別に『七月四日』の四字を自筆で書きましたが、その筆勢は実に美事なものだったそうです。


浅野和三郎著

底本:「心霊文庫第2篇 幽魂問答」 

心霊科学研究会

1930(昭和5)年06月20日発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。

※ ルビ付き版はこちらです。


入力: いさお


3 加賀武士の幽魂

2010/10/02

3 加賀武士の幽魂

 宮崎氏はやがて長剣を鞘に収めて信太郎に手渡し、奥の一ト間に退いて密に病人の動作を窺いました。病人は暫時平伏の後、やおら頭を擡げ、弟の持てる長剣にきっと眼をつけ、鍔元より見上げ見下ろし熟覧する様、意味ありげに想いやられましたが、やがて眼顔もて、その長剣を汝の膝に上げよとの風情を示しました。先刻から恐怖の余り、おののき居たる信太郎は、耐らなくなったものと見えまして、そのまま席を立ちて逃げ出しにかかりますと、父の傳四郎が側から声を励まし、『動いてはならぬ。怖くも何ともない。俺が居るぞ』と怒鳴りました。そして今度は病人に向い、眼を嗔らして罵りました。『こりァ怪物、我児を悩ますとは奇怪至極じゃ。この上は大切の神法、蟇目の矢先にかけて打放って貰うからそう覚悟致せ。』

 傳四郎はやがて宮崎氏の前に来て、『かく長らく御加持を為し下されましても、どうしても本体を現はしませぬから、今は蟇目の矢先にかけるか、又鳴弦にて打放ち、射除けて戴くより致方がございませぬ。何分にも御依み申します』と言葉を尽して依頼しますので、宮崎氏も之を諾し早速弓矢及び入用の品々を調え、墨を磨らせて御神号の幡を作らせるなど、万端の準備を整えました。

 宮崎氏は念の為めにモ一度長剣を信太郎の手から取り、抜き放って病人の喉元に切附ける所作をして見ましたが、病人は少しも驚きません、一礼して前なる燭台の蝋燭を右手に取り上げ、左手を膝の上に置き、姿勢を正して、差しつけたる剣の鋒尖を、よくよく念入りに熟視するのです。いかに宮崎氏が神文を唱え又剣もて突きかかって見ても少しも動ずる気色を見せませんのでとうとう宮崎氏は剣を再び元の鞘に収めました。そして其場に居合わせたる医師の吉富養貞に対して『吉富氏、貴下の口から一つ病人に篤と申しきかしてくだされ。今回は止むことを得ず、鳴弦又蟇目の重き法を以て、射放ち打砕かねばならぬ事に立ち到ったが、そもそもこの神法は、天照大神の授け給いし天の羽々矢、天の杷弓の御故実にして、神々守護の弓道なれば、此所に行いても彼所に応じ、顕世に行いて幽界に通じ、仮令幾百千里を隔つとも、此法を修するに於ては、其敵に中らずという事なく、一矢を放てば総身に響き、二矢を放てば四十八骨に徹し、三度四度に及びては、いかなる邪気も人体を離れざる事能はざる神法なり。かくて十矢に至れば、離れたる邪魂は雲霞の如く消失し、人体を悩ませて其望みを達せんと思いたることは却って我身の仇となり、魂魄永く死滅の憂目を見るなり。余敢て生を害することを好むにあらざれど、汝今人体に憑りて之を悩ますが故に、斯道に仕うる身の黙止し兼ねて、爰に此神法を施行せねばならぬが、念の為めに今一応汝が心底を問い糺さむ。一命を失いても汝は此家の一子を滅ぼす心か、それとも他に希望のことありてこの肉体に憑き纏ふか。二者何れか、速かに答えよ。若し飽までも肉体を離れじとの一言を吐かば、止むなく直ちに弓矢の法を修せむ。ゆめゆめ世の追掛の威などと思い侮り、後悔すな、と貴下からそう病人に申伝えてくだされ』

 吉富医師は早速その旨を了承し、病人の前に到り、右の趣を詳かに語ってきかせますと、病人は打被りし夜具を押除け、座を正し、言を改め、両手を膝に置いて一拝して申しますには『斯く正しき理を攻めて懇ろに申さるる上は、最早何をか包みましょう。余は怪物でもなく、又野干の類でもござらぬ。元は加賀国の武士にて、父の踪を追い此地に来り、無念の割腹を為したる者の幽魂でござる。一条の願望を果さん為めに、従来当家の者に崇りしが、残念乍ら未だ叶を得ずに居った次第でござる。』

 一旦言語が切れ出すと共に件の幽魂は年来の積る思いを縷々と述べ出しました。詰まり動くものは市治郎の口でありますが、之を動かすものは武士の霊魂なのであります。乃で宮崎氏は感歎すべき冷静と思慮とを以て件の霊魂に質問を連発しました。一問一答、幽冥界と現実界との間に完全なる連絡がつきましたのは、心霊現象につきての厳密なる研究が出来上って居なかった天保時代の出来事として寔に感歎に値するものがあります。以下幽魂と宮崎氏との間に行われし問答をそのまま掲げることに致します。


浅野和三郎著

底本:「心霊文庫第2篇 幽魂問答」 

心霊科学研究会

1930(昭和5)年06月20日発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。

※ ルビ付き版はこちらです。


入力: いさお


2 野干か生霊か

2010/10/01

 宮崎氏が迎の船で岡崎家へ行ったのは八月二十四日の午後でした。主人から委細の病状を聴き、それは恐らく野干などの所為ではあるまいかとの鑑定を下しました。が、発病以来病人の看護をしていた相撲取の長吉という男はそれに反対でした。『狐なら躯のどこかに塊物がありそうなものだが、いかに撫でて見てもそんなものは見当りません。事によると女の生霊かも知れませぬ……。』そんな事をいうのでした。

 そうする中にも、病人が今にも死にそうだ、との注進があったので、宮崎氏をはじめ、一同連れ立ちて急いで病室に入りましたが、それは母屋の対側なる役宅の奥の一間でした。

 其所には医師の三木という人が、先刻からしきりに病人に与うべき薬法を考えて居ました。彼は宮崎氏に向って言いました。『拙者は野干の仕業かと思います。しかじかの薬を飲ませましたが、病人は些しも否まず皆飲みました。ドーも何物が崇っているのか、拙者にはとんと見当がつきませぬ……。』いかにも当惑の体でした。

『兎も角も拙者の修法を施して見ましょう。』

 そう言って宮崎氏は携え来れる官服を着し、二筋の白羽の矢を手に持ち、又一振の長剣を病人の弟信太郎に持たせ、病人の枕辺に近づきてお祓を唱え、加持の修法に取掛りました。数人の医師、家族の人々、その他親類縁者等取りまぜ三十人許り列坐してこれを見物しました。

 お祓及び祝詞の神文を唱うる中に、次第に病人の状態が変って来ました。彼は自然自然と頭を上げ、又両手を膝の上にキチンと載せました。死に瀕せる大病人が斯んな真似をするのですから宮崎氏をはじめ、何人も、これはてっきり怪物の所為に相違あるまいという念慮をいよいよ強めたのでした。

 加持はいよいよ進みました。宮崎氏が十種の神宝の古語を誦しつつ、白羽の矢もて病人の肉身を剌す法を行いましたが、不思議な事には更に何の手答もありません。『八握剣!』と唱えてその矢を病人の胸元に擬したる時には、さすがに後方にのけぞりかけましたが、忽ち持ち直し、屹と威儀を整えたる状態はなかなか以て病人らしくは見えませんでした。

 宮崎氏は一心不乱に、法を替え改めてさまざまに加持して見たが、何の甲斐もない様子を見て今度はかの弟信太郎に持たせてある長剣を抜放ちて、病人の真向に切りつけんとしました。愕くかと思いの外、病人は衣服の膝の辺をつまみ上げてしっかと坐り、たまたま傍に有り合わせた煙管と鉄製の火入とを左右の手に掻いつかみ、宮崎氏の振りかざした長剣の切先きを、明星のような眼光で身構して睨みつけました。此方が長剣を左に振れば右に見つめ、右に引けば左に付け、その間秋毫もまじろがす、片時も油断せず、さながら一騎当千の猛士の態度も斯くやと思わるるばかり、その場に居合わせたる多数の人々も面色土の如く、ワナワナと総身に胴慄を起したのでした。

 かくて宮崎氏は長剣を高く振り上げつつ、声高らかに呪文を唱え、エイヤオウ! と叫びの声をかけますと、病人は初めて右の神文をきき分けたものか、それとも加持にて切りつけられたと思ったものか、忽ち手に持てる火入も煙管も其処に放り出して二尺ほど飛びじさり、謹んで平伏しました。その時久しく梳らざりし乱髪がバラバラと胸や肩を埋めたので一層物凄かったといいます。


浅野和三郎著

底本:「心霊文庫第2篇 幽魂問答」 

心霊科学研究会

1930(昭和5)年06月20日発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。

※ ルビ付き版はこちらです。


入力: いさお


1 事件の発端

2010/09/30

 今を距ること約九十年の昔、天保十年七月四日の事――ここに筑前国志摩郡伎志浦の酒造家で庄屋を勤むる者に岡崎傳四郎というものが居ましたが、その長男の市治郎なる青年が、この日の午後四時頃突然重い瘧疾に襲われた。話はそれから始まるのです。

 無論同家では最初はただの病気と思い、百方医療に手をつくしましたが、幾日経っても少しも効験がない。そして八月に入るに及びてますます重態となり、躯が餓鬼のように痩せ衰えてしまった。これは大変というので各所の神仏に修法祈祷を依んで見たが矢張り少しのきき目もない。やがて八月二十四日の午時から病人は変梃な身振り手真似を始め、さながら発狂者のようになって来た。『こいつァいよいよ常の疾病のみではあるまい。それなら宮崎さんに依んで一応加持をやって戴こう』とうとうそういう話になりました。宮崎さんというのは加賀守大門のことで、同地方で有名な神道の修法家なのであります。

 一体この岡崎家は不思議な崇りのある家で代々不具者が生れる。しかも奇妙に七月四日という日が同家に取りて不吉な日で、傳四郎の先代も亦、今度の市治郎と同じく七月四日に突然大病にかかって死んだのでした。お負けにその発病状態までが二人とも全然符節を合するが如しというのだから、いよいよ以てきき棄てならないのでした。

 ドーも同家の元の屋敷跡がクセ物らしいのです。その屋敷には夜な夜な怪異があって住み難いというので,先年今の所に引越し、元の屋敷跡には怪異鎮めの観音堂を建て、それを普門庵と呼んでいたのでしたが、市治郎も又先代もその普門庵へ行った時に急に病みついたというのです。

 七月四日……先祖代々の崇り……屋敷跡の普門庵……変挺な身ぶり手真似……いよいよ不可思議現象の道具立がすっかり揃って来たのであります。


浅野和三郎著

底本:「心霊文庫第2篇 幽魂問答」 

心霊科学研究会

1930(昭和5)年06月20日発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。

※ ルビ付き版はこちらです。


入力: いさお


はしがき

2010/09/29

 この記録はもと福岡県志摩郡久我村の神道家宮崎加賀守大門という人の手記にかかり、久しい間門外不出の家宝として同家に秘蔵されてあったものであります。事件は世にも稀なる憑依現象で、数百年以前に切腹した一人の武士の霊魂が岡崎家の若主人市治郎なるものに憑り、つぶさに当年の怨みを語り、又幽界の機微を漏らしたものでありますが、審神者と憑依霊との問答がいかにも要領を得て居り、二十世紀の心霊研究者に取りても正に絶好の参考資料たるを失いません。全く以て掛値なしに世界有数の心霊記録というべきであります。ただこれができた時代は今から殆んど一世紀も前ですから原本の用語文脈が現代人には少々まわりくどく、
折角の好記録も不用意の読者から敬遠さるる虞がありますので、思い切ってこれに現代訳を施し、且つ適宜に章節を附して、できるだけ読み易いものに致しました。無論その内容には一糸を染めず、全然原意を保存してありますから、読者は原本に対すると全然同様の信頼を本書に置かれて毫も差支ありません。――(編者)


浅野和三郎著

底本:「心霊文庫第2篇 幽魂問答」 

心霊科学研究会

1930(昭和5)年06月20日発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。

※ ルビ付き版はこちらです。


入力: いさお


幽魂問答

2010/09/28

 最近……ホンの最近に到り日本の読書界は漸く心霊上の真面目な参考書を要求するようになりました。随分その時期の来るのが遅かったですが、しかしそうした機運がまるきり萌さないよりかもどれ丈結構だか知れません。今回私どもが思い切って「心霊文庫」の刊行を企つるに到った所以ももちろんこの機運に追随したものであります。各編の紙数はほぼ之を一定し、長いものは適宜二冊三冊に分割することに致します。之を要するに最も簡便至廉な方法で斯学の普及を図りたい念願であります。

 何卒大方の士がこの趣旨に賛同せられ、極力御後援を与えらるることを切望致します。

    昭和五年五月            編者誌


浅野和三郎著

底本:「心霊文庫第2篇 幽魂問答」 

心霊科学研究会

1930(昭和5)年06月20日発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。

※ ルビ付き版はこちらです。


入力: いさお


目次

2010/09/28

   (一) 近化心霊研究とその主張

   (二) 心霊現象の種類と霊媒

   (三) 卓子他の浮揚発声現象

   (四) 心霊写真現象

   (五) 物質化現象

   (六) 直接談話現象

   (七) 物品引寄せその他の諸現象

   (八) 超物理的諸現象

   (九) 心霊研究の参考書


底本:「心霊文庫第一篇 心霊研究之栞」 

著者: 浅野和三郎

発行:心霊科学研究会

1930(昭和5)年06月10日初版

1936(昭和11)年11月1日5版

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に準拠して、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ PHPファイル化に際して、底本のルビを取り除き、底本中のゴシック表記を斜線表記、傍点表記を下線表記に、白丸傍点表記を強調表記に置き換えました。

※ ルビ付き版はこちらです。


資料提供: 思抱学人

入力: いさお

2008年5月20日公開


(9) 心霊研究の参考書

2010/09/27

 本書は最初にお約束したとおり、近代心霊研究の単なる道案内をつとめるのが主眼なのですから、どこまでもそのつもりで講述の筆を進めました。この一冊だけお読みになって、それで皆様の懐かれている疑問が解けないどころか、恐らく却って疑問が一層殖える位のところでしょう。又それが筆者の希うところでもあります。疑問が起るから研究心も起ろうというもので、何より可けないのが、鼻元思案の知ったかぶりであります。『そんな莫迦なことがあるものか?』――現代人の大多数はそう言った安価な自己欺瞞で不徹底なその日暮らしをして居ます。本書が幾分でもこの精神的鎖国主義を打破するの役目を果し得ればまことに結構であります。

 乃で、皆様が若し一層進んで御研究をなさろうと思わば、是非もっと完全な書物に就きてお査べくださることを希望します。で、皆さまの御便宜の為めに左に適当と思わるる参考書を御紹介いたして置きます。――

 先ず日本物を紹介しますが、大震火災の為めに絶版となりたるもの多く、ソー沢山揃っていないのが誠に残念です。

心霊講座」 浅野和三郎著 (嵩山房 三円五十銭)

  (平易通俗にごく最近に至るまでの研究の結果を講述紹介したもの)

「死後の世界」 浅野和三郎訳(嵩山房 二円五十銭)

  (剣橋大学の講師ワアド学士の霊的体験の記録で近代類書中出色のもの)

「死とその神秘」 大沼十太郎訳(アルス 二円五十銭)

  (仏のフラマリオンの著、有力な心霊事実が満載されている)

「透視と其実例」 中尾良知著(大阪大石堂 一円八十銭)

  (著者自身の霊視能力活用の記録)

「霊魂不滅観」 下村孝太郎著(警醒社 二円)

  (宗教、哲学、科学の各方面から霊魂不滅を力説したもの)

ジュリアの音信」 吉田作弥訳(警醒社 一円五十銭)

  (有名なステッドの自動書記の産物)

「近代心霊学」 平田元吉著(京都人文書院二円三十銭)

  (頗る忠実に発達の径路を書いてある)

岩間山人と三尺坊」 浅野和三郎編(嵩山房 八十銭)

  (日本に於ける二大心霊事実の記録)

「幽冥界研究資料」 友清 歓真編(天行居)

  (孝安物語その他日本固有の霊的事実の蒐聚)

次ぎに西洋物の粋を抜きて御紹介します。これは又余り沢山なので選択に骨が折れます。

概論的のものでは――

The Facts of Psychic Science and Philosophy. By Campbell Holms. (Kegan Paul)

  (類書中で最も完全、一種のエンサイクロピデイアです)

Man’s Survival After Death. By Rev. C. Tweedale  (Grant Richards)

  (甚だ正直な記録で、バイブルとの連絡を講じている)

On the Threshold of the Unseen. By Sir W.Barrett (kegan Paul)

  (物理学の大家としての精緻なる研究)

まだ幾らでもありますが、この辺でとどめましょう。次ぎに部分的特殊的の研究では――

Photographing the Invisible. By J. Coates (Fowler.)

  (心霊写真に就きての標準本)

The Reality of Psychic Phenomena. By W. J. Crawford (Watkins)

Psychic Structures. By W. J. Crawford.(Watkins)

Experiments in Psychic Science. By W. J. Crawford (Watkins)

  (右三書何れも卓子浮揚の内面装置の研究として不朽のもの)

Materialization and Clairvoyancer.  (Fisber Unwin) By Dr. G. Geley

  (物質化現象に関する忠実な学者の研究、挿絵沢山)

Towards the Stars. By Dennis Bradley (Werner Laurie)

The Wisdom of the Gods. By Dennis Bradley (Do)

  (右二書直接談話現象の精細な記録)

Thirty Years Among the Dead. By Dr. Wickland (National Psychological Institute.)

  (憑霊現象の記録)

Man Visible and Invisible. By C. W. Leadbeater  (Theosophical Publishing House.)

  (霊視能力による人体裏面の研究、挿絵沢山)

The Projection of the Astral Body. By Mulden and Carrington (Ridar.)

  (幽体の霊的調査)

Spirit World and Spirit Life. By F. R. (Cosmos Pub. Co.)

  (自動書記の産物、幽界の規則の詳しき調査である)

しばらくこの辺で切り上げましょう。次ぎに霊界通信中の出色のもの数種を挙ぐれば

Gone West. By J. S. M. Ward (Rider)

A Subultern in Spirit-Land. By J. S. M. Ward. (Rider)

  (右二書共に主として自動書記の産物、前者は「死後の世界」の原本)

Letters from a Living Dead Man By Elsa Barker. (Rider)

  (自動書記の通信で、他界生活が或る程度髣髴される)

Spirit Teachings. By William Stainton Moses (London Spiritualist. Alliance)

  (近代心霊界に於ける是も権威ある自動書記の産物)

From Four who are Dead. By Mrs. Dawson Scott (Arrowsmith)

  (ステッド其他三人の死者からの有名な通信)

Is This Wilson ? By Mrs. Dawson Scott (Dutton, New York)

  (大統領ウイルソンの霊魂からの通信)

After Death. By W. T. Stead (Stead Pub. Honse)

  (いわゆるジュリアの通信)

Psychic Messages from Oscar Wilde. By Travers Smith. (Werner Laurie)

  (ワイルドの死後の通信)

次ぎに主としてスピリチュアリズムを取扱って居るものでは――

The History of Spiritualism, 2 Vols. By Conan Doyle (Cassel)

  (近代神霊主義の発達史、通俗的に書いてある)

There is no Death. By Florence Marryat.

  (「人は死せず」の原本)

Human Personarity and its Survival of Bodily Death. By F. W. H. Myers

(Longmans)

  (斯学の歴史的権威)

Psychical Reserch, Science and Religion. By Stanley De Brath (Methuen.)

  (是も穏健直截な主張)

Death and Its Mystery, 3 vols. By C. Flammarion. (The Century.)

  (実例豊富、死前、死の瞬間、死後に区分してある)

The Survival of Man. By Sir Oliver Lodge (Methuen)

  (学界の耆宿としての用意深き論断)

Spiritualism. By J. Arthur Hill. (Cassel)

  (まとまりのよき好参考書)

Here and Hereafter. BY Leon Denis (Rider)

  (熱烈なる神霊主義の力説)

最後に心霊研究に関する雑誌二三を紹介して置きます。日本物では――

「心霊と人生」 (横浜市鶴見東寺尾心霊科学研究会、一ヶ年二円四十銭)

  (月刊雑誌、発行以来八年になる。斯学に関する本邦唯一の機関である。主筆は著者

又西洋物では――

The Two Worlds. (18, Corporation st., Manchester)

  (週刊で非常に調法です。主筆はオーテン氏、年額十志十片です)

Light. (16, Queenthberry Place, London, S. W. 7)

  (これも週刊です。主筆はガウ氏、一ヶ年二十二志)

Psyeiric Seience. (The British College, 15, Queen’s Gate, London, S. W. 7)

  (年四回発行、間断なく有力な参考資料を提供します。年額十一志)

以上不完全ではありますが、真実に心霊問題の研究に入ろうとする方々に多少の手懸りになれば幸甚であります。


底本:「心霊文庫第一篇 心霊研究之栞」 

著者: 浅野和三郎

発行:心霊科学研究会

1930(昭和5)年06月10日初版

1936(昭和11)年11月1日5版

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に準拠して、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ PHPファイル化に際して、底本のルビを取り除き、底本中のゴシック表記を斜線表記、傍点表記を下線表記に、白丸傍点表記を強調表記に置き換えました。

※ ルビ付き版はこちらです。


資料提供: 思抱学人

入力: いさお

2008年5月20日公開


(8) 超物理的諸現象

2010/09/26

 以上で物理的の諸心霊現象を一と通り講述しましたから、今度はいよいよ超物理的現象の順番になりました。実を申しますと心霊現象の中心骨髄は後者に属し宇宙人生の重要問題を解くべき価値ある資料は主としてこちちの方面に求めねばならぬのですがそれが何れも特殊能力者の主観に属する事柄である丈それ丈その品質の審査識別に大骨が折れうっかりすると一ぱい喰わされる

があります

 先ず『霊視現象』から紹介致します。これはつまり普通の肉眼に映らざる物象を視る能力で本邦の所謂透視、千里眼、天眼通などというものです。其適用の範囲は大体二方面に分れます。即ち甲は物質界の現状偵察、乙は超物質界霊界の現状偵察でありますが、不良な霊視能力者には多量の幻錯覚が混りますから油断がなりません。

 霊視能力の霊媒は何れも全然無意識にはなりません。通例相当深き入神状態には入りますが、本人の意識は奥の方に立派に保存されて居り、そして閉ぢたる眼の底に刻まるる印象を後まで記憶して居ります。

 近代日本の心霊界は概して貧弱なるを免れませんでしたが、ただ霊視能力者だけは相当豊富に現われました。故御船千鶴子、長尾郁子等はしばらく別問題としても、現に高橋貞子女史、三田光一氏、中尾良知氏等が控えて居り、それぞれ特長を発揮して居ます。現在私の手元にも二三人居りまして、私の行いつつある実地研究に多大の便宜を与えてくれつつあります。私どもが、曲りなりにも隠微不可思議なる超現象世界の事物その他を審査し得るのは実に斯うした重宝な、活きた眼鏡のあるお蔭であります。

 これは職業霊媒でも何でもないが、日露戦争時代に東郷大将の幕僚として雷名を馳せた故秋山真之中将(当時は中佐)なども一種の霊視能力者でした。秋山さんが明治三十八年五月二十四日の晩に、三日後に起るべき日本海々戦の実況を霊眼で目撃したことなどは実に驚くべき話で、当時戦報の劈頭に『天祐と神助とにより』と書いたこともまことに故ある哉と思われる次第であります。

 かく霊視能力なるものがたしかに存在するということは何等疑問の余地はありませんが、ただその内面装置はよく判りません。多分多くの場合に於てそれは霊媒の背後に隠れ、人知れず之を擁護するところの他力――守護霊の援助によるものでしょう。そして其手続は恐らく振動の原理に基くものでしょう。

 今度は『霊言現象』につきて述べます。古来本邦では堅苦しくいうと天言通、ずッとくだけて口寄せなどと称して居たもので、つまり霊媒が入神状態に入り、その人格が変ると同時に、その発声機関が他の人格によりて司配される現象であります。この現象の起る場合には普通に霊媒が恍惚又は半恍惚の入神状態に陥るところから、欧米ではそうした霊媒を入神話者
Trance speaker. などと呼んでいます。

 霊言現象にはその働きに二た通りの種類があります。即ち――

 (甲) 霊媒固有の守護霊が表面に立ちて発言する場合。

 (乙) 霊媒の守護霊は裏面に退き、他の霊魂が霊媒の肉体を使って発言する場合。

 例えていうと前者は私用電話の如く、後者は共同電話のような趣があり、どちらも有用であります。ただこの際最も警戒すべきは嘘八百のイタズラ霊又は霊媒自身の潜在観念に右の電話口を占領されないことで、日本にも又外国にもそうした結果、とんでもない失策を演じたことがあります。

 さて霊言現象を表面的に観察すると、外来の霊魂が宛かも一時的に霊媒の肉体を占領するかの如く考えられますが、それは多くの場合に当てはまりません。霊言現象も亦他の諸心霊現象と同じく、主として波動の伝達であるらしく見えます。即ち或る霊魂が遠方からその思念を放送すると、その念波が霊媒によりて受け取られ、そして霊媒はこれを自分の言語に飜訳して発表すると言った仕掛であります。ですから動物霊が人語を語ったり、外国人が日本語を語ったりしても一向不思議ではないのです。何となれば先方から放送されるものはただ思想だけであるから……。従って霊言現象に於て最も因難を感ずるのは固有名詞の伝達です。それは多くの固有名詞が単なる符牒で、何等の意味――思想が含まれて居ないからであります。

 霊言現象の霊媒は世界中にどれ丈存在するか知れぬほど沢山ですが、優秀なのは不相変少数です。何と言っても現時代に於て霊言の名霊媒は英国のレナルド夫人のようで、どれ丈多くの死者が之を媒介として確実性にとめる通信を送ったか知れません。私も一九二八年の秋に一度女史を実験しましたが、実に美事だと思いました。それというのもつまり女史の人格が高潔であり、従って女史の背後にありて百方周旋する守護霊のフィダがいかにも愛すべき性格の所有者であるからであります。下卑な人格の霊媒に到底碌な霊言現象の起る筈はありません。

 次ぎに『自動書記現象』につきて一言します。自動書記にもいろいろの種類があります。即ち(一)ウィジャ盤を使用するもの、(二)プランセットを使用するもの、(三)直接霊媒の手を使用するもの、等であります。何れの方法を執ることも随意ですが、日本式の文字を書くには最後の方法が最も適当でしょう。

 自動書記では霊媒は普通入神状態に入らず、ただ心を鎮めて受身になって居ればよい。するとだんだん慣れて来るにつれ、自己の顕在意識とは全然別個の意識が加わりて手を動かし、その間に霊媒は他人と談話を交えても、又は読書をして居ても差支なき程度に上達するものであります。兎に角あらゆる心霊現象中で一番軽便なので、欧米にはこの自動書記霊媒が非常に沢山居り、時として素晴らしい傑作を出します。

 近代の自動書記の霊媒として先ず挙ぐべきは英国の故スティントン・モーゼスでしょう。その産物は『スピリット、ティチングズ』その他に纏められて居ります。故ダブルュー・ティ・ステッドも自動書記霊媒として『死後』と題せる通信を発表しました。その他デスペランス夫人、トラヴァース・スミス夫人、ヴェール・オウエンウイングフィールドワアド、北米のカーラン夫人等到底枚挙に遑なしです。最近にはドウソン・スコット女史の自動書記能力が特に傑出して居り、文豪のステッド、大統領のウイルソン等から甚だ立派な通信を受取って居ます。すでに書物になっていますから、何卒皆様が直接それ等を繙読さるる事を切望します。又ボストンの名霊媒クランドン夫人に支那人の霊魂と称するものが憑って来て、論語の文句を書いたような奇抜な現象もあります。

 自動書記の内容装置の説明も不相変困難です。左に仏のアラン・カルデックのこれに関する研究を紹介します。――

『霊魂は決して霊媒の頭脳からその思想を借りはせぬが、ただ自己の思想を表現するに必要なる材料を霊媒から借りることは事実である。従って霊媒の提供する材料が豊富であればあるほど通信が容易である。若し霊魂が霊媒の知らない国語を使用しようと思えば、その際利用し得るものはA、B、C等丈であるから、丁度書取でもするように一字一字綴らせねばならない。若し又霊媒が無学者である場合には、利用すべき文字さえもないのであるから、その際には児童に手習をさせるように、霊媒の手全体を使役する必要が起る。これは実に至難の業であるが、しかし不可能ではない。但しいうまでもなく、そうした通信は通例不完全で霊魂の思う壷にはまらない……。』


底本:「心霊文庫第一篇 心霊研究之栞」 

著者: 浅野和三郎

発行:心霊科学研究会

1930(昭和5)年06月10日初版

1936(昭和11)年11月1日5版

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に準拠して、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ PHPファイル化に際して、底本のルビを取り除き、底本中のゴシック表記を斜線表記、傍点表記を下線表記に、白丸傍点表記を強調表記に置き換えました。

※ ルビ付き版はこちらです。


資料提供: 思抱学人

入力: いさお

2008年5月20日公開


(7) 物品引寄其他の諸現象

2010/09/25

 所謂物理的心霊現象のいかなるものであるかは以上列記したところで一と通りお判りと考えますので、其他の諸現象は一括して簡単に申上げることにしましょう。

 先ず『物品引寄現象』から片づけましょう。西洋の心霊家は之をアッポルツ現象 The Phenomenon of Apports.
と呼びます。つまり大小の物体が壁、扉、その他の障害物を事ともせず、一地点から他の地点に引寄せらるる現象を指します。日本にもこれは案外普通に起る現象で、明治年間には長南年惠女の如き世界的大霊媒がありました。現在では岡崎市の内田專亮氏などがその一人で、氏は無意識の入神状態に於て小粒の石を掌中に引寄せることが上手です。私も同氏を十数回実験し、数個のきれいな石を貰いました。それから例の龜井三郎氏――この人も時々物品引寄を行ります。昭和五年一月二十八日大阪心斎橋通りの服部時計店の講堂で実験を行った際、楽器、玩具類の活動、腕時計抜取り、赤光線下の洗面器浮揚等が起った後で最後に頗る美事な物品引寄現象が起りました。当時の私の報告記事から右に関する部分を抄出します。――

 ………当夜の実験の大眼目は首尾よく済んだ。若し状況が許せば守護霊の物質化――即ち幽霊出現現象を行ってほしいと私も思い、又列席者の希望でもあったが、敲音を合図として問答の結果それは不可能という事が判った。で、私は徐ろに実験の終結を守護霊に迫った。数分間微弱なる鈴の運動等が起った後、室内は全く鎮静に帰した。乃で私はポケットの懐中電灯を取り出して点灯した。

 丁度その瞬間である。守護霊は昏睡中の龜井氏の口を使って、例の皺枯れた、とぎれとぎれの声で『洗面器……洗面器の中……』と言った。私はすぐに眼を卓上の洗面器に移すと、意外にもいつの間にやら一株の
万年青
が鉢のまま洗面器の水の中に引寄せられてあった。つまり何等の予告なしで、物品引寄が行われたのであった。先刻赤光線下で洗面器が上昇してから最後の点灯までの時間は約二十分間で、右の引寄はこの間に行われたものであった。これには私をはじめ列席者一同アツと感歎の声を放たざるを得なかった……。(「心霊と人生」第七巻三月号)

 因みに当夜実験室の入口の扉には固く錠をしてありました。又引寄せられた万年青の鉢植は今でも保存されて居ますが、鉢の高さは二寸五分、直径四寸三分、万年青の葉数六枚、葉の長さ七寸五分、総重量二百三十二匁でした。

 欧米方面にも物品引寄現象は相当豊富で、就中北米には霊から宝石や古貨幣などを引寄せてもらったなどと言う人が相当沢山居ります。過去に於て物品引寄の霊媒として有名であったのはベーレーデスペランス夫人、ガッピィ夫人、マッグス夫人等をはじめ、その他沢山あります。現在ではワルソーの

クルスキィ、イタリイのスコット侯爵、及びオーストリアのシルベルト夫人等が特に傑出して居るようです。

 物品引寄現象としてはいささか番狂わせですが、そうした現象の中で最も驚嘆に値するのは人体引寄現象であります。この現象は前年ガッピィ夫人に起り、近くは
クルスキィ及びスコット侯爵に起りました。就中最も新らしいのはスコット侯爵の場合で、それは一昨年(一九二八年)七月二十九日の晩の出来事でした。当夜の実験は直接談話現象を行うのが眼目で、霊媒のスコット候爵を中心に、ロツシ夫妻、パッシニイ教授、ポザノ教授その他約十名ばかりの熱心な研究家達が集合したのでしたが、実験開始後間もなく、突如としてスコット侯爵の姿が室内から消失したのでした。無論実験室の何れの扉にも錠が下りて居りました。侯爵夫人はもとより列席者の心痛驚愕は言語に絶し、百方手分けをして各室はもとより、広き邸内の隅々隈々まで査べたがドウしても侯爵の影も形も見当らない。斯くすると二時間半、一同がっかりして策の施す術を知らなかったが、最後に自動書記霊媒能力者であるハック夫人が座に就いて守護霊から通信を受くるに及んで、初めてその所在が突きとめられました。スコット侯爵は実験室から約六十メートルを隔てたる穀倉裡の枯草の中で熟睡して居たのでした。侯爵が無事に実験室に連れ戻されたのは正に午前三時、その姿の消えたのが午後十一時半だったといいますから、まるまる三時間半雲がくれして居た訳です。

『固形体の物品又は人体がドウして扉や壁を通過して他へ移動する筈があるか?』――それは何人も疑惑を挿む点でありましょうが、物質を構成する分子の急激なる崩壊並に凝集ということを仮定すればさして不可思議でも何でもありません。もちろん現在の科学は人間の肉体を勝手に気化したり、固形化したりするまで進歩して居りませんが、心霊実験の結果によれば、他界の居住者――守護霊達――にはそれ位の事が能きるものと推定せざるを得ないのであります。ただの一度も斯うした実験に臨みもせずに頭から否定するが如きは許し難き学界の罪人と謂わねばなりません。

『物品引寄』の記事はこの辺で切り上げ、次ぎに『直接書記』又は『石盤書記』『直接作画』等につきてごく簡単に一言して置きましょう。

『直接書記』又は『石盤書記』というのは霊媒の手を使わず、守護霊達が直接文字を書く現象であります。卓上に紙と鉛筆を備えて室を暗くして置けば、縦令霊媒の躯を緊縛して置いても、文字が書けたり、又木框の附いた石盤を二枚重ねて縛って置き、霊媒がチョークを手に持ちて一二間の距離から書く真似をすれば其内面に文字が現われたり、その他にもまだやり方はいろいろあります。欧米で斯うした現象の作出に堪能な霊媒は非常に多数で枚挙に遑なしです。日本では例の龜井三郎氏が見事にこれをやります。

『直接作画』というのも要するに前者と同工異曲で、霊媒の手を使わずにケンバス上に立派な絵画が現われるのです。近代では北米のバングス姉妹が有名でありますが、余り普通に起る現象でもないのですから、しばらくこれにつきての詳述を差控えます。そう言った現象の内面装置はまだすっかり突きとめられませんが、大体心霊写真及び物品引寄等の換骨脱胎と考えられます。


底本:「心霊文庫第一篇 心霊研究之栞」 

著者: 浅野和三郎

発行:心霊科学研究会

1930(昭和5)年06月10日初版

1936(昭和11)年11月1日5版

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に準拠して、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ PHPファイル化に際して、底本のルビを取り除き、底本中のゴシック表記を斜線表記、傍点表記を下線表記に、白丸傍点表記を強調表記に置き換えました。

※ ルビ付き版はこちらです。


資料提供: 思抱学人

入力: いさお

2008年5月20日公開


2019年10月
« 11月    
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031  
小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。