霊界通信 小桜姫物語

四十一、海神の怒り

 わたくしうかがった弟橘姫様おとたちばなひめさまのお物語ものがたりなかには、まだいろいろおつたえしたいことがございますが、とても一かたりつくすことはできませぬ。いずまた機会おりがありましたらあらためておもらしすることとして、ただあの走水はしりみずうみ御入水ごにゅうすいあそばされたおはなしだけは、うあってもはぶわけにはまいりますまい。あれこそはひとりこの御夫婦ごふうふだいかざる、もっとうつくしい事蹟じせきであるばかりでなく、また日本にほん歴史れきしなかでのりの美談びだんぞんじます。わたくしるべくひめのお言葉ことばそのままをお取次とりつぎすることにいたします。

『わたくしたち海辺うみべったのはまだあさのことでございました。かぜすこいてりましたが、そらには一てんくももなく、五六もあろうかとおもはるるひろ内海いりうみ彼方かなたには、ふさくにひく山々やまやまのようにぽっかりとうかんでりました。そのとき私達わたくしたち人数にんずはいつもよりも小勢こぜいで、かれこれ四五十めいったでございましょうか。仕立したてたふねは二そう、どちらも堅牢けんろう新船あらふねでございました。

『一どう今日きょう船出ふなで寿ことほったのもほんのつか、やや一ばかりもおかはなれたとおぼしきころから、天候てんこうにわかに不穏ふおん模様もようかわってしまいました。西北せいほくそらからどっとせる疾風はやてふねはグルリときをかえ、人々ひとびとたきなす飛沫しぶきを一ぱいにびました。それにあのとき空模様そらもようあやしさ、赭黒あかぐろくもみねが、みぎからもひだりからも、もくもくとむらがりでて満天まんてんかさなり、四辺あたりはさながら真夜中まよなかのようなくらさにとざされたとおももなく、白刃しらはえたような稲妻いなづま断間たえまなく雲間あいだひらめき、それにつれてどっとりしきる大粒おおつぶあめは、さながらつぶてのように人々ひとびとおもてちました。わがきみをはじめ、一どうはしきりに舟子かこたちはげまして、くる風浪ふうろうたたかいましたが、やがてりょうにんなみまれ、残余のこりちからつきて船底ふなぞこたおれ、ふねはいつくつがえるかわからなくなりました。すべてはものの半刻はんときたぬ、ほんのわずかののことでございました。

『かかる場合ばあいにのぞみて、人間にんげんたのむところはただ神業かみわざばかり……。わたくしは一心不乱しんふらんに、神様かみさまにお祈祷いのりをかけました。ふねはげしき動揺どうようにつれて、幾度いくたびとなくさるるわたくしからだ――それでもわたくしはその都度つどあがりて、あわせて、熱心ねっしんいのりつづけました。と、たちまわたくしみみにはっきりとしたひとつのささやき、『これは海神かいじんいかり……今日きょうかぎみこと生命せいめいる……。』おぼえずはっとして現実うつつにかえれば、みみるはただすさまじきなみおとかぜさけび――が、精神こころしずめるとまたもやみぎあやしきささやきがはっきりとみみきこえてまいります……。

『二、三、五……幾度いくたびくりかえしてもこれに間違まちがいのないことがわかったときに、わたくしはすべてをみことけました。みこと日頃ひごろの、あの雄々お おしい御気性ごきしょうとて「んのおろかなこと!」とただ一ごんしてしまわれましたが、ただいかにしてもないのは、いつまでもわたくしみみにきこゆるあの不思議ふしぎささやきでございました。わたくしはとうとう一ぞんで、神様かみさまにおすがりしました。「みこと御国みくににとりてかけがえのない、大切だいじ御身おみうえ……何卒なにとぞこのかずならぬおんな生命いのちもっみことおん生命いのちにかえさせたまえ……。」二、三このいのりをりかえしてうちに、わたくしむねには年来ねんらいみことおん情思なさけがこみあげて、わたくし両眼りょうがんからはなみだたきのようにあふれました。一しゅうたおのずとわたくしくちいてたのもそのときでございます。真嶺さねし、相摸さがむ小野おのに、ゆるの、火中ほなかちて、いしきみはも……。

みぎうたうたおわるとともに、いつしかわたくしからだくる波間なみまおどってりました、そのときちらとはいしたわがきみのはっとおどろかれたおん面影おもかげ――それが現世げんせでの見納みおさめでございました。』


 弟橘姫様おとたちばなひめさまおん物語ものがたりずこれにてりといたしますが、ただわたくしとして、ちょっとここで申添もうしそえてきたいとおもいますのは、海神かいじんいかりのけんでございます。大和武尊様やまとたけるのみことさまのような、あんな御立派ごりっぱなおかたが、何故なぜなれば海神かいじんいかりをわれたか?――これはおそらくどなたも御不審ごふしんてんかとぞんじまするが、じつわたくしもこれにつきて、指導役しどうやくのおじいさんにそのわけうかがったことがあるのでございます。そのときじいさんはこたえられました。――

『それはういう次第しだいじゃ。すべてものにはおもてうらとがある。みこと日本にほんこくにとりてならびなき大恩人だいおんじんであることはいうまでもなけれど、しかしころされた賊徒ぞくとになってれば、みことほど、にもにくいものはない。みことにかかってほろぼされた賊徒ぞくとかず何万なんまんともれぬ。で、それが一だん怨霊おんりょうとなってすきうかがい、たまたまこころよからぬ海神かいじんたすけけをて、あんな稀有けう暴風雨あらしをまきおこしたのじゃ。あれは人霊じんれいのみでできる仕業しわざでなく、また海神かいじんのみであったら、よもやあれほどのいたずらはせなかったであろう。たまたまうしたふたつのちから合致がっちしたればこそ、あのような災難さいなんきゅうっていたのじゃ。当時とうじ弟橘姫おとたちばなひめにはもとよりそうしたくわしい事情じじょうわかろうはずもない。ひめがあれをただ海神かいじんいかりとのみかんじたのはいささか間違まちがってるが、それはそうとして、あの場合ばあいひめ心胸むねにはまことになみだぐましい真剣しんけんさが宿やどっていた。あれほどの真心まごころなんですぐ神々かみがみ御胸みむねつうぜぬことがあろう。それがつうじたればこそ大和武尊やまとたけるのみことには無事ぶじに、あの災難さいなんりぬけることが出来できたのじゃ。弟橘姫おとたちばなひめ矢張やはまれるすぐれた御方おかたじゃ。』

 わたくしはこの説明せつめいはたしてすべてをつくしているかいなかはぞんじませぬ。ただみなさまの御参考ごさんこうまでに、わたくしうかがったところをくわえてくだけでございます。


四十、相摸の小野

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