幽界行脚
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四十九 山毛欅の物語
一九一八年一月十四日の夜、いつもの如くワアド氏はレックスの家に行き三人に逢いました。挨拶が済むと、レックスは此前話しかけてあった森の中の出来事に移りました。――
僕達三人が山毛欅の樹の下に休息している間、彼女から秦皮や赤楊の悪行について種々の話を聴きましたが、此二つの木の間には怪しからぬ関係があり、彼等が大嫌いな人間共に危害を加えようと企らんで居るのですが、滅多にそんな深林の中を通る人はないものですから、欝憤ばらしに罪もない花の精を窘めたり、弱い接骨木(にわとこ)を苦しめたりするそうです。
種々と妖精の話も聴きましたが、僕と山毛欅の会話の一部を、そのまま繰り返して見ましょう。――
「私達木の精の中には妖精力を持ったままある期間丈地上に下るものもあります。」山毛欅は語るのでした。「秦皮や赤楊の中には斯うした方法で地上に現われ、道行く旅人に悪業をするものもありますが、何といっても此処が私達にとっては本当の天地なのですから、永久に此処を去る日が来るまでは皆な此国に住んでいるのです。」
「一体妖精には何種類位ありますか?」
僕がこう訊きますと、――
「それはそれは沢山です! 私にも解らないほどです。此辺で見かけるのは……花に住む精、地中に住んで金や宝石を掘る侏儒、樹木の精、それから大地、空中、火、水等の精……。まだ其他に妖精人とか高級妖精とかいうものもありますよ。」
「今御話しの妖精人とか高級妖精とかいうものは、どんな妖精ですか?」
此質問は彼女を困らしたのか、梢が悩ましげに揺れた後、声が聞えました。――
「高級妖精は、高級妖精というより他はありません。あなたが解る様に説明する事は難しい。とにかく他の妖精の上に立つ高位の妖精ですから、私違も滅多に見た事はありません。
「ほんとうに美しい、輝かしい姿で、色は始終変って見えるのですよ。あなたも其中行き会うでしょうから、見れば解るでしょうが……。それから妖精人というのは、人によく似ていて、町があり、家があり、王や女王があって支配をして居るのです。此森の向う側へ出れば、其国へ出ますから、自然と妖精人に逢う事になるでしょう。」
「それでは、火の精だの、大地、空中、水の精だのというのは何処に居るのですか?」
僕の質問が馬鹿馬鹿しく聞えたのか、枝葉がカラカラと笑う様に鳴りました。――
「何所にでも居るではありませんか! 地上でも此妖精国でも、流れという流れには皆な水の精が住んでいますよ。侏儒(ノーム)は土の精ですわ。尤も他にももっと偉い土の精はありますが……。火の精というのは火の神様の御使ですから、神様の命令で動いています。」
「火の神様」の言葉で僕はスッカリ面喰いました。
「火の神なんていうものがあるのですか?」
「ありますとも! 未だ他にも沢山の神様があります。あなたは知らなかったのですか?」
僕は一寸返答が出来ませんでした。が、やっと答えました。
「私は神は一人しかないと思っていました。」
山毛欅は此時枝を静かに動かしながら、改まった口調になって、
「その通り、全能の神はただ一人です。けれども神は多くの神々や、霊魂や、人類又は動物、即ち万物を通じて宇宙を動かして御いでになるではありませんか。森羅万象、既に在りしもの、又これより現わるるもの、あらゆるものの中に神の威と力は示されています。過去、現在、未来を通じてすべてのものが神の中にあるともいえるのです。」
此時森の中は音も無くシーンと静まりかえっていました。暫らく経ってから、僕は質問をする勇気が出たので、
「あなたはあの憎むべき秦皮や赤楊の中にも神の姿を見ると云われるのですね?」
「左様ですとも! アッシュの中にでも……。彼にもきっと使命があるに違いありません!」
「一体アッシュにどんな使命があるでしょうか?」
「私はつまらぬ山毛欅の精ですもの、どうして神様の大きな御心が解るものですか! けれどもたしかにすべてが善のためである事に疑はありません!」
僕は質問の方面を変えて、
「それでは一体あの樫の精に殺された、秦皮の精はどうなったのでしょうか?」
「それなら私にも御話する事が出来ます。あの精は地上に行きました。ですから今頃はあの精が入った秦皮の若木が何所かに生えて居る筈です。その木が枯れて其先きがどうなるかは、私には解りませんが、精は決して死ぬ筈はありません。空中の霊、即ち大気の精といったものは此所は勿論の事、地上にでも、何所にでも居ます。宇宙の運行に大役があるのでしょう。人間丈に霊魂があると思う事は大間違いで、地上でも、此国でも又は次の世界でも、あらゆるものに霊は存在しているのです。」
「それでは」と僕が訊きました。「あなたは私達が霊界と呼ぶ世界を御存知ですね?」
「聞いた事はあるのですが、よくは知らないのです。」
斯う答えた彼女は、そのまま口を噤んでしまったので、僕も少女達を促して此所を去ろうとしましたが、最後に山毛欅に向って、別れを告げ様とした時、
「あなたの御声は伺いましたが、一つ姿を見せて下さいませんか?」
斯う話しかけると、
「此所に居りますよ。」という声が聞えて、其木の根下に一人の美しい女性が立っていました。
人間よりは少し丈が高いかと思われる程の、よく均斉のとれた其姿、地に引ずる程長い房々とした其髪は鳶色でしたが、身には山毛欅の葉と同じ緑の中に青銅色の細い縞の入った衣類を着ていました。顔は一寸説明しにくいのですが、何にしても非常に美しく思われました。
「左様なら……。赤楊の木に気を御附けなさい! 彼女も一寸見ては美しいのですから……。」と云いながら、彼女は又フッと掻き消す如くに姿を隠しました。
少女達に向って、「もう少し先へ行って見ましょうか?」と其意向を尋ねると、ペリルが直ぐ賛成しました。
「エエ行って見ましょう! 此所はほんとに面白いわね?」
其所で僕達三人は再び前進する事に定めました。
一段落がついたので、レックスは兄に帰宅の時間が来た事を告げ、ワアド氏は地上の自家へ戻ったのでありました。
"A Subaltern in Spirit Land"
底本:「幽界行脚」 嵩山房
発行: 1931(昭和6)年1月15日発行
John Sebastian Marlowe Ward
J.S.M.ワアド著
淺野和三郎・粕川章子共訳
※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。
※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※ HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビ
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※ 訳者の一人、粕川章子氏の翻訳家著作商用権は2018年まで有効ですが、当サイトは粕川章子氏の御遺族の同意を得て公開しております。なお、本文の転載、商用利用などは御遺族の了承が必要です。