幽界行脚

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 四十八 オーク秦皮アッシュとの戦

 次の訪間日は一九一八年一月七日夜でありました。ワアド氏が座につくや否や、レックスは前週の続きを語り出しました。――

 森に近づくと、僕はベリルに注意されました。――

秦皮アッシュ赤楊アルダーの木に気を附けなければ駄目よ。何故だか人間が大嫌いなんですもの……。ほんとに怖ろしいいやな木だわ……。」

「いくら嫌いでも、僕達をどうする事も出来ないから、大丈夫ですよ。」

「だって解らないワ……。何だかこわい事よ。」

 話しはこれ丈でした。さて、だんだんと森の奥へ進むに従って、花やの精は少なくなって行き、四辺あたりも自然と小暗くなって来る頃に、フト気が附くと、樹から樹へと音もなくスーッスーッとかすめて通る不可解の黒影があり、注視すると何も見えないのですか、知らん顔をしていると、チラチラと眼にはいって来るので、僕は気になって仕様がない。とうとう少女達こどもたちに訊きました。――

「一体この影の様なものは何でしょう?」

 ジョイスが答えて、

「大抵は木の精よ。大木のも雑木ぞうきのもあるわ。ほかの精もいるかもしれないけど……。事によると岩や流れの精じゃないかしら?」

「木の精と岩や水の精とはどんなに違うのですか?」

 う僕がくと、彼女は答えて、――

「一寸は見分けがつかない事よ。みんなとてもはにかみやで、なかなか出て来ないんですもの……。オーク山毛欅ビーチ丈は人間が好きだから、時々私達と御話をするけれど……。」

 此時このとき不意に耳許で人声がしました。見上げると傍の樫の大木から聞えてるのです。

「その通り! 僕は人間が大好きだよ。マァ君少し休んで、話して行き給え。」

 それから繁った樫の枝の下に三人共すわりました。樫は僕に向って、

「君は誰です? この少女こどもさん達には御馴染おなじみで、度々たびたび話した事もあるが、君には初めてだ。」

 其処そこで僕は簡単に自己紹介をすると、

「それじゃ君は武士さむらいだね。僕も強い武士になって、一働きをしたいんだが……。此処ここを通る悪漢共をやっつけて、弱い者共を援けたい。中でもアッシュなんかは根絶ねだやしにしたいと思っているのだ。」

「どうしてアッシュがそんなに憎いんですか?」

「そりゃ君悪い奴だからさ。君は嫌いではないのか? 憎むのが当然だよ君、向うは人間が大嫌いなんだからね……。赤楊アルダーもそうだよ。それからおべっか者のデツトリー・ナイト・シェード(一名ベラドンナー毒茄子の一種)も同類だ。彼奴きやつ薔薇バラが大嫌いで、からみ附いては、絞め殺しにかかる怖ろしい奴だ。アッシュも左様さようだ。他の草や木を嫌がるから、大ていの草木は又彼奴を避けてるよ。何にしろ、枝から毒汁を垂らしていじめにかかるからな……。実際悪い奴だ、だから僕は大嫌いなんだ。」

「木から出て来て、もっと親しく僕と話しませんか?」

 僕がういうと、彼はカラカラ威勢よく笑って、「いいとも、今出るよ。」――その返答へんじが終らぬ中に、僕の眼の前にスックと立ったのは、丈の高い、たくましい大男でした。その風采は僕が若いヘルクレスを想い起したといえば、想像がつきましょう。しかしこの若い豪傑は獅子の毛皮を纏わずに、樫の葉を綴ったものを半身にき附けているのみでした。その上衣は肩から斜めに掛ってるため、片方の肩及び胸は露出し、両脚りょうあし太腿ふともも以下は裸体のまま彼の立派な肉体美を発揮していました。其他そのほか身にけて居たものは右手に持った、見るから重そうな樫の棍棒と、頭に裁いた一個の冠――矢張り樫の葉を編んで造ったもので宝石の代りに樫のを飾ってある――とでした。

 手にした棍棒を、軽々と頭上で振り廻しながら彼はさも愉快げな叫び声をあげましたが、彼の腕やももの筋肉が隆々と盛り上った工合ぐあいは太い縄を連想させましたね。僕を眼の下に見て立っている彼の高さはどの位あるかと傍へよって見ましたが、少なくも九尺余はある様でした。勿論むろん幅もそれに準じて広いのです。実際見ても気持ちのよい若々しい、立派な巨人! そして生の喜びに満ち溢れているといった工合ぐあいでした。

 処が、急にその顔から喜色が消え、彼は血相変えてクルッと向き直るや否や、広場に飛び出したではありませんか! 見ると向うからヌッとした背高ノッポがノソリノソリとやって来たのです。樫の精ほど高くはないが、それでも確かに七尺五六寸はありましょうか。その上イヤにヒョロリとせてるので、なお更高く見えるのでした。

 樫が小気味よく赭黒あかぐろいのに反して、この男の顔色は見るから気持の悪い、濁った灰色! 手は特に長いのか、膝の下までダラリと垂れ下った工合ぐあいといい、何とも不愉快な奴でした。よく見ると血の気のない、死人の様な顔に似ず、その面には眼尻がヤケに釣り上った、杏の様につぶらな双眼がギラギラと光ってるかと思えば、口などは全然形をしてらず、ダラリと延びた唇は人間よりはひるに似ている。この怪物はほとんど裸体で、ただ腰の周囲に木の葉をつづった布を纒っていましたが、それは秦皮とねりこの葉でした。それを見た時、僕は少女達こどもたちが「アッシュよアッシュよ。』と怖ろしさにささやくまでもなく、その男がんであるかが判りました。

 彼は手に尖端さきの鋭い、秦皮の木槍を携えていましたが、その骸骨の様に骨ばった手の端には、熊鷹の様な物凄い爪が長くのびているのです。

 不意に疳高かんだかい奇声が耳にはいりました。

「旦那! 彼処あすこに居ますぜ。」

 ういった奴は、丁度やまいぬが虎に従う様に、秦皮の精の背後うしろからいて来た醜い小さな動物、――一目で僕は本能的にそれが毒茄子ベラドンナの精だと感じました。

 丈が三尺とはない、手足の馬鹿に長い、蜘蛛の様な恰好をしたその怪物ばけものは、大体だいたい何ともいい様のない、胸の悪くなる様な毒々しい緑色をしていましたが、胴には紫と黄色の斑点がありました。

 彼は歩くというよりむしろ手足を引摺ってって来たのです。眼は小さくて無様ぶざまな頭の頂点てっぺんに、樺色に光って居ました。手にした武器は毒茄子の茎や蔓で編んだ輪索わなで、所々に真紅まつかな玉が光っていました。

 しばらく樫と秦皮の精は睨み合っていましたが、ずアッシュが鋭いキーキー声を振り立てました。――

「ヤイ、その人間を三人共此方こっちへ渡せ! 何しに此処ここらをまごついているのだ。」

「貴様に渡せと……。巫山戯ふざけた事をいうな!」真赤まつかに怒った樫はどやしつけました。「愚図愚図していると、木つ葉微塵だぞ……。いてる奴も覚悟しろ!」

 樫はイキナリ秦皮とねりこに飛び掛りました。

 僕達のために起った争闘とうそうをただ見物してはられない。僕は上にかぶさって居た樫の木から枝を一本折りました――というよりその枝が折れて僕の手に入ったともいうのでしょう。くさっても居ず丈夫な生木なまきなのでした。大急ぎで小技を払うと、丁度三尺三寸位の手頃な棍棒が出来ました。

 これ丈の仕事が、僅か一分位なものでした。樫はと見ると、彼の下した一擲は、敵が素早すばやく飛び退いたため、空をかすめて地面を打った。其処そこに乗じた秦皮は、槍先鋭く樫の右の胸元を突きましたが、樫葉の上衣があたかも鋼鉄の胸甲むねいたの如く、穂先はツルリとすべってしまったのです。

 此間このあいだに立ち直った樫は、新たな一撃を下しましたが、此度こんどは運よく敵の左腕に命中したので、彼はギャツと悲鳴をあげました。秦皮とねりこの片腕が打たれたので、一安心した瞬間、眼の前が赤く緑にパッと光ったと思うと、毒茄子の投げた輪索わなは樫の腕から胸へ絡み附いているのでした。樫が大きいために、肩は出ていましたが、それでも腕や胸をグングン締めつけますから、もう樫は棒を振る事が出来ないのでした。

 片時へんしも猶予が出来ないので、怖れて叫ぶ少女達を残して、僕はその場に飛び出しました。

 此時このとき毒茄子は輪索わなを使ってしまったので素手すででしたから、僕が立向うと、秦皮はその危急を救うために、僕を目がけて槍を振り上げました。僕もすかさず、その槍を払いのけましたが、その時、二人の間隔は一尺とは離れてはいませんでした。

 次の瞬間、グルツと振り向いた僕は毒茄子ヘピシャリと一撃を加えましたが、丁度頭を抱えた彼の左腕へ当ったので、痛手にこらえず逃げ出しにかかった彼は、おぼえず輪索わなゆるめました。

 エーッという樫の大声で僕は彼が緩んだ緑の輪索わなを振い落したのだと思いましたが、振り向く暇もありませんでした。秦皮とねりこが再び向って来たのです。そして此度こんどはトウトウ左の太腿をやられてしまいました。痛いと思った瞬間、どうしたのか僕は敵のさも憎々しげな眼差しに打たれ、うしろに倒れたまま動く事が出来ませんでした。が、ピシッという大きな打音にハッと気が附くと、つづいて起ったパリパリと木のける音と共に、眼前の灰色の怪物はグシャグシャに壊れてしまいました。

 樫の打撃がうまく行ったなと思うか思わぬうちに、毒茄子の奴め、いつか背後うしろから僕の首玉にからまって、息の根を絶とうと根限こんかぎりの力を出して締めようとする。勿論むろん僕は普通の幽界民で、妖精国の法則は通用しないから、死にッこはないのですが……。しかしその結果を見るまでもなく、小さな獣物けだものは間もなく僕の襟元から離れました。どうした訳かと見ると、成程! 樫がその足を一本掴んでぶら下げていました。鰻の様にヌラリクラリともがきながら、何処どこまでも執念ぶかい彼は片足で好漢樫の冠をぎ取りました。僕はどうかして立上ろうとあせった。けれども未だ腿にさっている槍のためか、躯が自由になりませんでした。

 樫はとうとう毒蜘蛛を地面へ叩き附けましたが、その時未だ彼の毛髪かみからみついていた敵の一本の手は、根元からスポリと抜け落ちて、ダラリと彼の頭上から下っているのでした。

 この小怪物は足を一本くなしても、地面ヘピシャリとやられても、平気なもので、ゴムででも出来ているかの様に、再びピョンと跳ね上ったかと思うと、森の奥を指して思いの外元気よく遁げ出そうとしました。しかし何にしても残った片手もれていますし、樫の冠を奪った脚は未だそのれを握ったままもつれ合っているという状態ですから、びっこを引き引き匍うのが関の山でした。勿論むろん樫は見逃しはしません。彼の太い棍棒がドシンと空中高くから振り落されたと思うと、名状し難い、ギューツと物のつぶれる音がしました。そして二度三度棒が上下したと見る間に、毒茄子の精の醜い姿は消えて、地上にはただ青いドロドロしたもののかたまりがあるのみとなりました。

 此時このとき若い勇者の頭から下っていた怪物の手がようやく地に落ちたので、彼はそれを踏みにじってから、僕の傍へ来ました。ず僕のももから槍を抜いた後、彼れを援けた僕の勇敢さをしきりに賞讃してくれたのですが、何にしても創口きずぐちがズキズキ痛むので、僕には返答へんじも録に出来ぬ有様でした。どうも毒がはいったらしいので、樫が山毛欅ぶなの処へ行ってなおして貰おうと云い出しました。

 スッカリおびえた少女達こどもたちも共に出掛け様とした時、僕はもう一度秦皮の遺骸を見ると、不気味な姿はもう何処どこにか消えて、後にはの葉がハラハラと散っていたのみでした。キツとそれが腰布の残骸だッたのでしょう。

可成かな手強てごわい奴等でしたな。」樫はさも愉快げに云いました。

「これで森からアッシュめが一本りましたよ。僕は一本残さず片附けてしまいたいのだか、何にしろ数が多いんで……。」

 話すうちに立派な山毛欅ぶなの処に出ました。勿論むろん僕はびっこヒキヒキ来たのです。

 樫の精は優しく話し掛けました。

山毛欅ビーチさん、今日は! この若い豪傑の傷を包みたいのですが、貴女の葉を少し分けて下さいませんか? このお方の援けで、私は今泰皮アッシュ毒茄子デットリー ナイト シェードを退治して来ました。けれどこの方はアッシュの毒槍に突かれて苦しんでいられます。ビーチさん、どうかその傷がなおる様にあなたの葉をあげて下さい!」

 すると山毛欅の梢がサヤサヤとそよいで、返言へんじが聞えました。

「マア御気の毒な御方! サァサァどうぞ御遠慮なく葉を御取り下さい……。早く御治りになる様に……。」

 許しを得たので少女こども達がその葉を摘んで、膏薬の様にし、僕のきずの上に当ててくれました。すると不思議にも痛みはケロリととれてしまったのでした。此間このあいだ樫は山毛欅ぶなに向って一伍一什いちぶしじゅうの物語りをしましたが、僕の負傷が奇麗に包まれてしまうと、彼女はういいました。――

[少しこの樹の下で御やすみになる様にお勧めして下さい。私から又種々いろいろ御話しましょう、其中そのうちには傷もよくなりましょうから……。」

 其処そこで三人はそのまま休息する事になり、樫丈は自分の棲家に帰るのでしたが、意気揚々歌の声も高々と帰って行く彼は勇ましいものでありました。

 レックスは此処ここで話を切りました。

『兄さん今日はもう帰る時間ですから、これでやめて置きますよ。』

 其処そこでワアド氏は暇を告げて現界の人となりました。


四十七 妖精国探検

目  次

四十九 山毛欅の物語


"A Subaltern in Spirit Land"

底本:「幽界行脚」 嵩山房

発行: 1931(昭和6)年1月15日発行

John Sebastian Marlowe Ward

J.S.M.ワアド著

淺野和三郎・粕川章子共訳

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビ と、入力者による振り仮名は、右の様に表示されます。表示事例ひょうじじれい、その他、難解な言葉遣いに対しては適宜、注記いたしました。

※ 訳者の一人、粕川章子氏の翻訳家著作商用権は2018年まで有効ですが、当サイトは粕川章子氏の御遺族の同意を得て公開しております。なお、本文の転載、商用利用などは御遺族の了承が必要です。


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