幽界行脚

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四十四 野戦病院で死んだ男

 レックスは前にB大尉の死際しにぎわの事について、ワアド氏に話した事がありましたが、これからのB大尉と一緒に居た兵卒の一人で、負傷後病院で死んだという男の物語りを始めました。――

「1字下げ始め]

 本営内の劇的シーンが終ってから、僕は構外へ出て、この前に一寸御話した、あのB大尉の仲間だった兵士を探し出し、僕の事務室へ引張って来て、死際の状況を尋ねましたが、彼の話を其侭そのまま御話するとうです。――

『私は榴散弾りゅうさんだんの破片で打たれたのですが、運悪く肺臓貫通の致命傷を受けました。勿論むろんその他にも数個のたまが躯に命中しましたが、それは大したものではない筈です。

『打れたと思った刹那せつなに頭がグラグラとなって、天地晦冥かいめい、全然気を失いました。ハッと気が附いた時、自分は後部の野戦病院やせんびょういんの一室によこたわっていましたが、その時の痛さ苦しさは全く御話にならない程で、大の男がただウンウンとうなる計りでした。夢現ゆめうつつの間に、医者や看護婦の姿がチラ附いて居た様ですが、どうも判然とした記憶はありません。

『それからほかの部屋へ移された事を覚えています。多分手術室でしょう。其処そこで私はクロロホルムをがされましたが、不思議な事には、気が遠くなる代りに、却て意識が頗る明瞭になったと思うと、躯がちゅうに浮上る様な感じがして、下を見ると私自身の肉体が手術台の上に長々と寝かされているには驚きましたね。しかその時の私には自分の躯の手術を見るというよりは、全体に渡って、今迄見た事のない見方が出来るのが、非常の興味でした。第一其処そこに動いてる人間は皆な二重体なのです。灰色の形体の内部に、更に光った体があるといった工合ぐあいに……。この光体は人によっては、外部へみ出してるのもありました。そしてそれに皆独特の色彩があるのです。緑、紫、黄、青、薄桃色等、実に美しいと思われるのもありました。濃黄色のものもありました。それに鳶色がかかったのや、赤色のもの、此等これらは感心の出来ぬ色合ですね。

『私がどうしてこんな事になったか考えてるうちに、医者の一人が云いました。「気の毒だが、もう駄目だ! 連れて帰った方がいい。今手を附け様ものなら、台の上で死んでしまう!」もう一人の人も「可哀想に! 寿命じゅみょうが尽きたか。」と云うのでした。

『肉体が再び病室へ連れられる様な、漠然ばくぜんとした感じの中に、私も一緒にフラフラと前の室に立戻りますと、私の周囲に屏風が引廻され、看護婦が一人残りました。

『不意に思い附いた事は、元の肉体に戻ろう、という考えで、次の瞬間何とも云えぬ重みが躯の上へ伸掛のしかかって来て、潰された様な感がしたのです。その途端に大きな叫声を聞きましたが、それは即ち自分の声でした。それから再びだんだん気が遠くなって行きそうなので、「死ぬのだな」と感じ、「死にたくない」という生への執着心で心が張詰めた途端に、総身がブルブルと振えたものです。再びひどい苦痛が起りました。ほとんど躯が張裂けるかと思う様な痛み――その時私は、どうかして起上ろうと騒ぎましたが、この最後の大努力も何の甲斐なく、全身クタクタに崩れ落ちたと感じた刹那せつな、私は知覚を失いました。其次そのつぎに気附いた時は再び肉体から抜け出して、上部にただよっていましたが、不意に強風がこの躯を木葉の如く捲き上げたと思うと、自分は何だか荒れ狂う海上に漂う小船のごとき感じが起り、其間そのかんなお一条の綱によって岸辺につながれてるかの如く思われるのでした。暴風雨あらしは刻々劇しくなり、遂に頼みの綱もプッリと切れ、真黒と混乱の真唯中に投出され、上へ下へと彼処此処あちこちを転げ廻る中に、嬉しや夜明けとなり、黒い大波がドシンと岩の上へ打上げてくれました。此時このとき埋葬時の祈祷が何処どこからともなく響いて来ましたが、頓着する暇もないので、急いで立上って、四辺あたりを見廻して人を探しましたが、人は愚か、土地さえ全然見た事のない処でありました。その時「天路歴程」(ピルグリムス・ブログレス)がふと頭に浮び、聖徒があたらしきエルサレムスに達するために、河を渡るという事を想い起しました。私が来世というものに対して何か聞いて居たとすれば、この位の事ですが、この場合にこれが、どれ丈援けになったかは、とにかくこの僅かな知識を唯一の手掛りに前進しようと試みたかで解るでしょう。』

 彼は一時息を入れて更に始めました。──

『私はただ真直に進みました。道は上へ上へと昇る様に思われましたが、其中そのうち杜松むろ>や金雀枝《えにしだの様な潅木が處々に繁った平らな丘地おかじに出ました。』

 この時僕が『ああそれは夢の国です。』と云っても一切御構いなしに彼は話し続けるのでした。──

『何と云う淋しさでしたろう? 人間は勿論むろんの事、生きてるものは獣類一疋いないのです。とうとう。私は男泣きに泣きました。其中そのうちに涙に霞む眼の前にチラチラと人影が映って来ました。初めはボンヤリしていましたが、次第に判然はっきりとなって来たと思った瞬間、私はアッと歡声をあげました。父母が眼前に居るではありませんか。變な話ですが、父の方は私が見えないのか、種々な事をして注意を引こうとしましたが、知らん顔をしたまま消えてしまいました。が、母の方は「御母さん」と呼ぶと直ぐに聞き附けて、私の方へ驅け寄ってくれました。どうしたのか母は目を閉じているので、盲目めくらになったのかと驚きましたが、間もなくいつもの母になってくれたのです。

『二人共話したい事が山ほどありましたが、どうしたものか、私の戦死には少しも觸れずに、昔の話ばかり出て、私の子供の時の事を語り合いました。

『母が急に話をやめて立上ると、空中に悲しげな叫声が響きましたが、母は「ああもう帰らなければ」と一言残したまま後をも見ずに逃げる様に歩み去りました。私は「もっと居て下さい、御母さん!」と後から追いましたが、母は恐ろしく足早でどうしても追い着かれない。其中そのうち私がつまづ>いて轉《ころぶ。起上った時にはもう母は見えませんでした!

『私は落胆の極焼糞やけくそに駆出したのです。もう一度母を捕え様と云う一念で、ただ驀地まっしぐらに前進する中に、再び夜が来たのか、四邊あたりが暗くなりましたが、何やら変った場所へ来た様に思われたので、よく注意して見ると、もう岩石だの丘陵だのという野外の景色ではなく、家屋や樹木が建て込んだ人里に居る事が、朧気おぼろげながら暗闇の中で判るのです。

『何だか泣声が聞える。耳をすますと母が泣いているのです。私は自分の家の外側にいました。勿論むろん家の形は影の様にボンヤリとしたものですが、母の泣声の方へと私の躯は壁を突抜けてグングン家の内へ入るではありませんか! 寝台の上の母は私の名を呼びながら、オイオイと泣いているのです。父はオロオロしながらそれでも一生懸命に母を慰めていました。

『母のそばへ寄って、その首を抱いて、接吻キッスしたのですが、母は一向感じた様子もありません。どうして生きてる人間にはわれわれの存在が判らないのでしょうネ?』

 うした疑問を発したが、彼は僕の返答を待たずに、又始めました。――

其中そのうちに親達の悲嘆を見る事がつらくなったので、家を出てしまいました。よく覚えのある町筋をあちこちと歩いてる中、何時いつとは無しに多分自分の死体の埋まってる近傍、ツマリ戦線へ出たのです。砲火は物凄く四辺あたりに荒れ狂っていました。この幽界の戦場で私はあの反対党の人々に逢い、誘われたという訳です。其処そこで戦かってる人達を見た時、私の心は少しも動きませんでした。これは自分がもう戦うべき身体では無い、という事を知っていたからなのですが、それでも眼の前に戦う人達が、自分と同じく幽界民だとは思いませんでした。私は皆な現界の人々だと考えたのです。勿論むろん生きていた人も多少はあったでしょうが……。それから後の話はもう御承知ですから、御話しませんが……。今度は私の方から少し質問をさして下さいませんか? 一体シオンの黄金の都というものがあるのですか? それともこれは寓話でしょうか?』

 彼からこんな質問が出ましたから、僕はそれからこの世界の話をしてやりましたよ。そしてシオンの黄金の都というのは僕はよく知らないが、何でも此処ここからは、余程未だ遠い処にあるので、僕もいつかは見たいものだと思っている事を話しました。それからこの幽界の上層にある霊界へ行くと、金色燦然さんぜんとした、美しい都が沢山あるという話も聞かせましたよ。

 話をすっかり聴いたので、僕はの人を数名の気心の合いそうな連中に預けて、自分の家へ帰りました。

「字下げ終わり]

 レックスがここで一寸話をやめると、例の如く叔父さんからワアド氏に時刻の注意があり、氏は地上の家を指してこの家を出でました。


四十三 敵軍の大敗

目  次

四十五 幽界のクリスマス


"A Subaltern in Spirit Land"

底本:「幽界行脚」 嵩山房

発行: 1931(昭和6)年1月15日発行

John Sebastian Marlowe Ward

J.S.M.ワアド著

淺野和三郎・粕川章子共訳

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビ と、入力者による振り仮名は、右の様に表示されます。表示事例ひょうじじれい、その他、難解な言葉遣いに対しては適宜、注記いたしました。

※ 訳者の一人、粕川章子氏の翻訳家著作商用権は2018年まで有効ですが、当サイトは粕川章子氏の御遺族の同意を得て公開しております。なお、本文の転載、商用利用などは御遺族の了承が必要です。


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