幽界行脚

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四十二 F氏の探索

 ワアド氏の次回の幽界行は、一九一七年十二月十四日でありました。氏はこの朝F氏が六週前に死んだ事を聞いたので、その人に逢った時、死後の生活に対して予備知識を与えて置かなかったのを後悔し、つ日数も相応経過してことゆえ其間そのかん邪道に誘わるる惧れもあり、一刻も猶予出来ないので、定日では無かったが、この日突然F氏探索に幽界へ赴く事となりました。

 不意の訪問なので、レックスの家にはお母さん一人しかりませんでした。彼女は何事か起ったのかと驚いた様でしたが、ワアド氏から訪問の理由をきいて安心しました。叔父さんやレックスの居所を尋ねられて――

『叔父さんは霊界へ戻ってられますから、月曜日のあなたの訪問日にならなければ、お見えになりませんよ。レックスは今本営へ行って何をしていますが、仕事中です。』

 ワアド。『本営は何処どこですか?』

 お母さんはワアド氏を戸口に送り出して、方角を示しながら、――

『道のりは少しあるでしょうが、たいした時間はかかりますまいよ。此処ここじゃ何処どこへでもじきに行かれますからね。』

 ワアド氏が町を離れると、道の両側に丈の高いポプラーの並木のある往還おうらいへ出ました。少し行くと右手に荊棘いばらの小林を見て、一寸した小丘を越すと、向うからレックスが急いで来るのに出逢いました。

『兄さんが今日来られるとは思いませんでした。戦死された友達を、さがしに来られたのでしょう?』

 レックスはワアド氏にその兵士の番号やら、所属隊を確かめた後、本営に行って記録を調べる事にしました。

 間も無く到着した本営は、十八世紀末のフランスの城と思われる静な建物で、大きな公園の中にありました。広い階段を上ると、古風な円柱まるばしらが左右に立った入口がありました。

 この本営の建物は相応大きいのですが、なおその背後うしろの左右に同じ様な城が一つづつありました。右手のは兵卒や下士官のクラブで、左手のは内部が二つに分れて、将校連のクラブと事務室とになっていました。

 レックスの説明によると、仏国のある地上で破壊された城が、幽界でその地に相応するこの場所に現われたのが中央の大きな建物で、それを使用している中、だんだん団員がふえて手狭になったため、ほかの二つの建物を他の場所から移して来たのだとの事。建物の移転は地上とひとしく、矢張り人々が小部分づつ動かすので、思念の力で大建築を現わす事の出来る霊界とは異なり、この半物質的の幽界では人達が手足を動かして造るとの事でした。成程将校クラブの内部では、シャツ一枚になった人々が盛んに内部を改造していました。

 レックスの案内で外部を一巡したワアド氏は、それから中央建物の内部へ入りました。ず階段をのぼって真中の大ホールに出で、更に左の廊下へ曲ると、レックスは右手のドーアを開けましたが、内部は低い部屋でした。

にいさん、これが図書室です。もっと此処ここでは記録に場所が要るので、大部分の書物は此間こないだ一寸お話した、あの町の図書館の方へまわしてしまいますが……。』

 レックスは隅の小室に陣取ってる軍曹の処へ行き、F氏の姓名と所属隊とを述べて尋ると、その人は何日に何処どこで戦死したかを質問し、やがて大きな帳簿を持出しました。

 その帳簿は一九一七年八月の日附けで、F氏の所属連隊の名が明記してあり、第八巻目でしたが、頁はアルファベット順に区分され、整然としたものでありました。

 軍曹はバラバラと紙面をってFと区分された処に眼を落し『この百六十三頁にけてある人でしょう。の帳簿へは最近ドシドシ書き込みますよ。』と云いました。

 レックスは見せられた処を読み上げましたが、それは正しくF氏に関する記録でありました。十月二十七日から十一月三日に亘る激戦中に戦死し、このクラブヘ連れて来られて、どうしたかという記述がありましたが、その大要は次の如くであります。――

 この男は戦場で彷徨うろついていたので、シムソンとリードという二人の兵卒が本営へ連れて来、C大尉に引渡した。其処そこで質問を受けた。

 C。『君は今地上を去って幽界へ来て居るので、即ち我々と同じく、国家のために戦死をしたのだ。我々は出来る限り君を援けたい。それには君の事をよく知って置く必要があるのだが、一体どんな死方だったか聞かして下さい。』

 F。『処が考えてもわからないのです。兎に角爆弾がガーンと来たと思ったきり後は無我夢中むがむちゅう、多少とも我に返った時には、もやの中を歩き廻って居ましたよ。それもあの二人に声を掛けられる迄は判然とした記憶がありません。――何か少しおなかはいったら元気が出て、もっとよく判るかも知れませんが……。』

 C。『イヤ此処ここじゃ飲食は不要なのです。少し待つとれて気分がよくなるでしょう。処で貴君あなたの御経歴を聞きたいのですが――東方の国に居たのではありませんか?』

 F。『左様ビルマにりました。此処ここの戦争に加わるために帰国したのです。将校になりたいと思って運動したのですが、残念ながら駄目でした。どうも私の頭は変です。茫然ぼんやりとして考が纏まりませんが……。』

 それからC大尉はこの人に種々いろいろの質問を出したが、話に一向纏まりが無い。遂に大尉は次のごとき断定を下してこれを記録に認めた。――

『F兵卒は飲酒を欲しるが故に、この点に警戒を要す。自分は彼をC医師にゆだねたり。』

 Cという医者はこの兵士を診察して、左のごとき診断書を発しました。――

『A・B・隊に属するF兵は砲弾の激動を受けて死したる結果、なお病症を呈し居れるが、身体に負傷の痕跡なく病状不明なり。恐らく爆弾に打たれて死したるものならんが、その他に複雑なる原因もあり。ために今日多少意識の鮮明を欠く結果が発生したるならんと思わる。深甚の注意を要す。必ずしも遺伝性にはあらざる飲酒癖あり。物質的傾向に富み、動物的欲望旺盛なり。賑かなる環境に置き、娯楽を与えて楽しましめ、彼が自分自身の状態及び現界の状況に、注意を払わぬ様に導く事肝要なりと診断す。』

 医師の言に従って、Fはそれから兵卒のクラブヘ連れて行かれ、種々いろいろと周囲の人が気を附けましたが、飲みたい食いたいの欲が、なかなかとれないので、大分と人を困らせました。性質は温和な方なのですが、この飲食の二みちにかけては、なかなか人の云う事を聞かないのです。そのため何度かクラブを逃げ出し、連れ戻るのに相応人手を要しました。

 遂に彼は最近クラブを離れてしまいましたが、見た人の話によると、面白からぬ連中と一所に居たとの事、この人を誘惑より免れしむる事は、至難のわざらしいのです。

 記録には大体うした事が書いてありました。これを読んだレックスはワアド氏に向って――

『あんまり感心した記録じゃありませんな。事によると今頃はもう、悪友共に誘われて地上に出かけてるかも知れませんね。どうも困った事ですね。』

 ワアド。『実際あぶないね。とにかく私は出来る丈骨を折って見る。見附かる見込みが無いとは限るまい?』

 レックス。『うまく行くかも知れませんよ。にいさんとこの人の間には友情という連絡があるから……。じゃ一緒に出掛けましょう。』

 其処そこで二人は本営を出ました。ワアド氏が意志をF氏の上に集注すると、おのずと自分の身体がある方面に向ってかれ行くのを感じましたので、その方角へと足を進めました。

 道は地上界即ち現界の方へ向いてるのです。二人は幽界をグルグル足早に通り過ぎて、下層の地上界へ出ました。影の様な町や家並やなみを見ながら歩く中に、だんだんロンドンかと思われる、靄に包まれた暗い場所に入り込み、東部の所謂いわゆる縄暖簾式なわのれんしきのバーが沢山ある場所に出たのです。

 ワアド氏は此時このときレックスに向って云いました。――

『なんぼ酒場バーでもこの真夜中まよなかに店を開けてはいまいが……。』

『どうして兄さん、表向の場所じゃめてますが、抜穴ぬけあなは沢山ありますよ。勿論むろん手におえぬ奴ばかり集る処ですがね。』

 表から見た処は人が居そうにもない、真暗まっくらな荒れ果てた一軒の家へ入りました。内部は何と云う変り方でしょう! 灯火あかりの明るい大きなへやの中には可成り多勢の男女が酒浸さかびたしになって歓楽に酔うてりました。勿論むろん其処そこには多数の亡者が同じく、フラフラして居た事は当然の次第であります。この人間を道具に使って飲酒慾を満たそうともがく幽霊仲間にワアド氏が目指すF氏が居たのです。そばへよったワアド氏が軽くその肩を叩くと、F氏は驚いた表情で叫びました。――

『オヤ君かい! 君も死んだのかい?』

『僕は死んだのじゃない、ただ君を探しに来たのだ。』

『君、そりゃ間違いだよ。知らない丈なのだよ。僕も気が附くまでには随分長い事かかったからな……。』

 ワアド氏が事態を説明して此処ここを連出そうとしましたが、なかなか聴きませぬ。

『君、まあそんなわからない事はやめて、一杯呑んじゃどうだい。折角今呑み方を覚えた処なんだ。なかなかうまく行かないんでね、一寸手古摺てこずったが、彼処あそこにいる人が教えてくれたお蔭で、やっと一人前になれたと云う訳さ。さあり給え!』

 其処そこで意力の競争が始まりました。この男は勿論むろんワアド氏の敵でなく、しかもレックスという有力な味方を持ったワアド氏の力で、とうとう戸外おもてに連れ出されました。此時このときF氏の仲間は皆な自分等が飲むのに夢中むちゅうだったので、F氏がどうなろうと無頓着でした。

 それからワアド氏兄弟は代り代りに憑依へきの恐るべき結果を説明し、クラブへ帰る事を勧めました。さすがの彼もワアド氏がわざわざ自らのために来てくれた事に感動し、とうとう二人の勧告をれて古巣に戻る様になったのです。

 この日レックスに別れるに先立ち、ワアド氏はこの不意の訪問が彼の日課を妨げはしなかったかときますと、レックスは答えて云いました。――

『そんな気味もありますね。僕はあの時丁度士官達を集めて講演して真最中まっさいちゅうでしたよ。にいさんが呼んでるのを感じましたから、何か緊急の用向が出来たのに違いないと思ったので、代講を頼んで出掛けて来た訳です。さあ兄さんもう時間ですよ。今日は特別ですから、次の月曜日には矢張り例の通りにお逢いする事にしましょう。』


四十一 本営前の光景

目  次

四十三 敵軍の大敗


"A Subaltern in Spirit Land"

底本:「幽界行脚」 嵩山房

発行: 1931(昭和6)年1月15日発行

John Sebastian Marlowe Ward

J.S.M.ワアド著

淺野和三郎・粕川章子共訳

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビ と、入力者による振り仮名は、右の様に表示されます。表示事例ひょうじじれい、その他、難解な言葉遣いに対しては適宜、注記いたしました。

※ 訳者の一人、粕川章子氏の翻訳家著作商用権は2018年まで有効ですが、当サイトは粕川章子氏の御遺族の同意を得て公開しております。なお、本文の転載、商用利用などは御遺族の了承が必要です。


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