幽界行脚

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四十 B大尉の死

 それからレックスはワアド氏に向い、B大尉の死の直後の体験につき彼から聴いたままを語り出しました。(以下はその物語)

 B大尉はその時レックスに云いました。――

『実際この世界は不可思議な処ですな。私は死後に再び戦争というがごときものを見様とは夢にも思いませんでした。』

 レックス。『一つ君の死方の話を聴かしてくれませんか。』

 大尉。『前進の真最中やられたのですが、どうも胃を打たれたらしいのです。それから何時間も地面にへたばって苦しんでいる中に、夜が明けると、後から前進する味方の兵卒が私の躯を踏み越えて行くと云う有様、実にひどい目に逢いました。多量の出血と苦悩の結果私は一時気絶しましたが、再び気が附いた時はもう日没の頃でした。敵弾が盛んに飛んで来るので、早くもう一発やられて息が止まればと願いましたが、運悪くなかなか当ってくれません。其中そのうち又気絶してしまいました。そして其後そのごで又再び知覚を回復しましたが、その時は眩暈めまいを感ずるだけで、もう苦痛はありませんでした。ぼんやりとした眼で自分の側を見ると血が一ぱい溜っている。もう起上る力もなく、疲労の極といった様な工合ぐあいに感じました。その時思い浮べた事は幼時糸瓜へちまの棚へ落込んで腕に負傷をし、出血のために気絶した事やその他の子供時代の出来事でした。

『私はそれから更にもう一度昏睡状態に陥り、其後そのごに覚醒した時は今迄と様子が異なり、四辺あたりはただ暗黒でした。手探りで其処そこらを当って見ても何処どこだか見当が附かない。だが可怪おかしい事には元気がすっかり回復しているので起き上って見ると脚がピンと立ち、歩ける様になった。ただ変に思ったのはどうも綱か何かで何処どこかに繋がれてるかの様に自由に歩き廻れぬ事で、種々いろいろと体を撫で廻して見ると、紐様のものが頭に附着している。その接合点の説明は一寸しにくいのです。掴んで引張って見たがゆるみそうもない。其処そこで手探りでその紐を伝って歩いて見るとその片端には何も見附らない。一向訳が解らないので、其侭そのまま暫時しばらく考え込む中、四辺あたりの暗闇に慣れると其中そのなかに黒い影が動いている。右柱左往しているもの、下に静止してるものなどが沢山見えて来た。その時ふと手近に話声が聞えましたが、私の従卒もるらしいので、その名を呼ぶと、疑いもなく彼の声で、

「オヤ大尉が俺を呼んでいる、何処どこだろう?」

『私がもう一度大声で呼ぶと、一つの黒い影が近づいて来て、私にぶつかりそうになったので、「気を附けろ!」と呶鳴る間に、さっさと私の躯を通抜けて歩いて行くのです。そして傍によこたわっていた、これも黒くて何やら判らぬ物を、その男ともう一人他の男とで弄り始めました。

『私は訳が分らなくなって困りました。確かに錯覚を起してると考えたのです。とにかく重傷で倒れた自分が見附った事は判りましたが、もう手遅れだろう等と考えていました。

其中そのうち私の従卒でない方の男が

「やれやれ気の毒な。もう駄目だよ。」と云うと、従卒が答えて「だが俺は今し方、確に名前を呼ばれたんだ。怪しいな!」

「そりゃ気のせいに違いない。誰か他の人の声だよ。今だって声が聞えるじゃないか。」

しかし俺は大尉の声を間違える筈はないよ。」

「馬鹿はやめろよ。この人はもう死んでから二三時間は経っているぞ。」

 その時又他の声がして「とにかくこの躯を運ばなければならぬ。君達二人で充分だろう! 他の者は私に続くのだ。」

『私の側にあった黒い物影は二つの黒影に担がれ、動き出すと共に私も同じ方角にぐんぐんと引張られるので、五里霧中で追って行きました。彼等が立止ると埋葬でもする様な工合ぐあいで祈祷が聞える。しばらく沈黙が続いた後、私は従卒の声を再び聞きました。

「どうもいくら考えても可怪おかしいよ。ハレー、俺が大尉の声を間違える筈がないもの、確かに大尉は俺を呼んだよ。あれから未だ何度も聞えたんだ……」

「君はよっぽど頭が変だぜ、気を附け給え!」

「いい人だったがな……」

『声はもうこれより聞えませんでした。此時このとき私は死んでも生きてるのだと云う事が判然と解りました。手を挙げて顔を撫でたり手足を擦ったりして見ると生前と少しも違わない。ただどうした事か、未だ何処どこかに縛り附けられてる様な感じがあるので、思切って力強く躯を引くと、紐が切れたのか、急に身軽に飛び歩ける様になった。私は嬉しさに躍上りました。

『それから今迄よりはやや薄明るい靄の中を分けて目当めあてなしに歩き出しましたが、間もなく再び戦場へ出たので、見てると皆な同じく死人仲間らしいのです。何度もたれて、倒れては又起きて戦っているのですからね。馬鹿馬鹿しい話です。丁度その時でした、私が同道した準士官の一人が傍に来たので、二人の間に話が始まりました。――

「一体私達は死んでいるのでしょうか、それとも生きているのですかね。」

「多分死んでいるのだと思いますが、実は私もはっきりとはわからないのです。」

「私も迷っているのですが……。爆弾で右足を失った筈なのに、この通りに故障なく歩けるでしょう。どうもいくら考えても可怪おかしいから、死んだに相違ないと睨んでいるのですがね。」

「左様ですとも、向うで戦っている人達を見ると、何度も射貫かれて、倒れては又躍り上っているではありませんか。」

「死んだとすれば我々の足下あしもとの地面は何処どこでしょうな。」

この疑問は私自身にも解釈の出来ない点でした。其処そこもう一人の準士官が来合せました。この人は病院へ運ばれてから死んだのですが、三人して種々いろいろと経験談に花を咲かせている時、数名の兵士を引連れた大尉がやって来て、その人達の仲間入りをする様に誘われたのです。その人はこんな事をいってましたよ。

「君達は一寸まごつくだろうが、我々がよい様に手伝うから決して困る事はありません。其中そのうちには直きに一本立になれますよ。ナーに、この世界だって面白い事に変りはなし、満更悪くもありませんや。それに、もう戦争や討死なんてものはありませんしね……。」

『ですから私はあなた方が戦争を始めた時は全く驚きましたね。何にしても傍観するより他はなかったのです、一体これはどうした事なのですか?』

 レックスの説明でこの三人は始めて不審が晴れ、士官教護団に加入する事になりました。

 ワアド氏にこの話を物語ったレックスは、この三人は急激に生命を奪われず、除々と死んだために死の自覚があったので、再び戦争等はする気になれず、従って武器等を求めずに素手でる事を説明し、なおB大尉が死後屍体に紐様のもので縛われていた事に関して、幽体は必ずしも息を引取った時直ちに離れ去るものでなく、場合によっては生前の肉体が腐蝕して土に帰するまで束縛されてるものさえあり、自殺者や地縛の霊というものの中には斯様かような不幸な状態がしばしばある事等を附け加えました。

 叔父さんは此時このときB大尉が、自分の死骸を見附けた人々の話声を聞いた事について、批評しました。――

『B大尉があの時人間の声を聞いたのは矢張りその言葉の表現する思想に感応したに違いない。それから大尉に呼ばれたという従卒はあの時一時的に霊耳の所有者になったので、これも主人の思想を捕えたのだ。未だ大尉がその時は余程物質に近い状態であったから、その思想伝送も比較的容易であった事と思われる。とにかくこの従卒は大尉に敬服して居った様だから愛情が彼の霊感を強めたらしく思われる。』

 レックスは他の面白い一例を挙げました。――

『僕はこんな話をききましたよ。矢張り戦場で死んだ人の話ですが、この男は一度肉体を抜け出して、しばらくして又紐で繋がれていた屍体へ逆戻りをし、重傷で悩む肉体の苦痛を体験して再び意識を失い、この次に気附いた時は又肉体外に居たというのです。それから紐が切れるまでは死骸の傍にいたと云うのですが、話しがよほど判然はっきりしていましたよ。』

 叔父。『大尉が自分の頭から紐が出ている事を感じて、触ればその所在を感じ得るのに、この紐が繋がってる屍体を触感し得ぬ所は注意して考えなければならぬ点である。』

 レックスは再び話を引取って、――

『B大尉の経験談を聞く中に、我々は本営に来てしまった。他の準士官の死後の体験は後日に譲って一先ひとまず構内に入る事にしました。』


三十九 士官の勝利

目  次

四十一 本営前の光景


"A Subaltern in Spirit Land"

底本:「幽界行脚」 嵩山房

発行: 1931(昭和6)年1月15日発行

John Sebastian Marlowe Ward

J.S.M.ワアド著

淺野和三郎・粕川章子共訳

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビ と、入力者による振り仮名は、右の様に表示されます。表示事例ひょうじじれい、その他、難解な言葉遣いに対しては適宜、注記いたしました。

※ 訳者の一人、粕川章子氏の翻訳家著作商用権は2018年まで有効ですが、当サイトは粕川章子氏の御遺族の同意を得て公開しております。なお、本文の転載、商用利用などは御遺族の了承が必要です。


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