幽界行脚

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三十六 幽界の社会相

 レックスは話題を転じて第六層即ち彼の任地に於ける一般社会の有様を語り出しました。――

『僕は時々休暇をもらって、この第六層の内部を研究に出掛けますが、にいさんともいつか一緒に骨董や大庭園を見に行った事がありましたね。僕は時々この町の大図書館へ行きますが、可成り沢山の書物が集っていますよ。館長はピェール・ブランシァードという年老としとったフランス人で、単にピェールと云う名でとおっています。その老人が元村長をした事のある兵隊上りの英人を助手にして、英仏図書館と云った様なものを経営していますが、戦火で焼けた現界の図書館が、幽界に現われたのを利用して発展さしてるのです。今ではだんだん拡張してその建物丈では本がはいり切らず、近所の十二三軒の家まで合同している盛況です。目下内容を英仏に限らず、世界的なものにしようと企て、独逸ドイツ部さえも設ける計劃けいかくです。何時いつかよい機会に御伴しましょう。

勿論むろん美術館とが博物館とかもありますよ。可笑おかしいのは動物園を設け様とした時の話です。喜んでおりはいってる様な動物はなかなかありませんから、柵内さくないに納まったのは少数の柔順な動物丈で、猿も三疋程は居たそうですが、他の動物は番人が居なくなると、すぐに鉄棒なんかはお構いなしに、ノシノシと貫通して歩み出して、檻は藻抜もぬけのからという始末でした。うして柵を出た大きなライオンが町中を横行した時等は、格別何んの危害はしないのですが、町中ヒックリ返る様な騒ぎだったとの事でした。

『僕は又芝居へ行く事も講演を聴きに行く事もあります。此処ここに大学があるのですが、都合のいい点は講師が英国人であっても仏国フランス人であっても、言語に関係なく我々生徒に講義の内容が判るのです。流石さすが独逸ドイツ人は居ませんよ。自然周囲からいやがられるので、独逸ドイツ人は別にの仲間で自分等の町を造っています。あの図書館長のピェールが独逸ドイツの書籍を館内に置こうとした時も、一寸問題を起した位でした。彼は書物に罪は無い、独逸ドイツには書物のいいのがあるのにと、こぼしてましたっけ!。

『今僕は御母さんが此家ここに来られる前の話をしてるのです。一人の時は方々へ行きましたよ。教会も種々いろいろちがった宗派のを見ましたが、それぞれ地上のと似ています。牧師にもあまり感心しない人もありましたね。がいして形式ばかり重んじて精神を忘れてるのです。今の分では残念ながら続けて聴きたい様な説教をする人は見つかりませんね。

『未だ何かあったかな……。ああそうそう、にいさん僕は工場へ行った事がありますが、矢張り地上で使用する物品と大差のないものを造ってますね。もっとも未だ現界に姿を出さない品物もありましたよ。化学研究室で科学者連が新発見に夢中むちゅうになってるのも見ましたが、僕はこの方面にあんまり興味がないから話す材料も少ないですよ。一方美術工芸の大家連が集まって、種々いろいろの創作をしてりますが、随分逸品が出来ますよ。硝子ガラス赤銅しゃくどうの細工でにいさんのしがりそうなものも見ました。実際家具や陶磁器なんかにはいい物がありますよ。僕がある時売物にはならないのかと尋ねたら、すっかり笑われてしまいました。うした連中は御手製の美術品で空屋あきやを飾り、時には家まで建てて、自分達で気に入る様に準備した家を、同じ趣味の人に提供して入って貰うという工合ぐあいです。僕も三軒の家をどれでもと提供されたのですが、矢張り最初のまま此家ここに住んでいます。品物丈は気に入ったのを二三貰いましたよ。あとから同じものを作るといつてましたが、多分同じ作はしますまい。』

 かく話しながらレックスは、貰ったと云うガラスの水差を棚から取って、得意そうにワアド氏に見せました。ベニシャン型の美しい作で、少し蒼味あおみがかかった透明の厚ガラスで作り、胴は金をちりばめた人魚にんぎょの姿、手の処はもつれ合った二疋の蛇の形、なかなか立派な芸術品でありました。

 レックスがワアド氏の前に、なほ陶器製の花瓶かびんや鉢等を並べ立ててしきりに講釈をしてる時、叔父さんの声がしました。――

『ジャックの帰る時間が大分近寄ったが、今日きょうほかに話す事は無いのかネ?』

 此時このとき御母さんが横槍を入れました。――

『芝居の話をしてはどんなものです?』

 レックス。『そうですね、以前にもにいさんに御話おはなししたことですが、此処ここには劇場があるのですよ。御母さんがお出でになってから、オペラにもほかの劇にも、一寸面白いのがみつかりましたから、いず其中そのうち御話しましょう。処で、にいさん、裏に一寸した庭をこしらえましたから、のぞいて行きませんか。(レックスはワアド氏に裏庭を示しながら)あの真中まんなかの花壇の薔薇バラの下に猫がいるでしょう。僕が昔し可愛がったあの三毛みけの名を附けて、タイガーと呼んでいますよ。あのタイガーは何処どこるかと時々思い出しますが、未だ見附かりません。其中そのうちにはきっと出て来るでしょう。』

 高塀をめぐらした小綺麗な庭でありました。小鳥が庭木の梢にれているのを見て、ワアド氏が尋ねました。――

『あの猫が鳥にかかる様な事はありませんか?』

 レックス。『ええ初めのうちは少し悪戯いたずらをしましたが、いくら飛掛ってもつかまえられないので、此頃このごろわかって来たのか、どうもしなくなりましたよ。』

 ワアド。『花には季節がありますか?』

 レックス。判然はっきりとしていない様です。とにかくだんだん影が薄くなって消えるのですが、きっとその時は霊界へ行くのでしょう。にいさんあそこにあるなつめの樹が、少しぼんやりして見えるでしょう。あれは近いうちに消えるにちがいありませんよ。』

 レックスは又話題を自分の事に転じて、仕事関係の話をしたり、妖精国を見て来たから其中そのうちに話をするなどと物語るうちに、ワアド氏の帰るべき時間が来ました。


三十五 レックスの活躍振り

目  次

三十七 御母さんの死際の思出


"A Subaltern in Spirit Land"

底本:「幽界行脚」 嵩山房

発行: 1931(昭和6)年1月15日発行

John Sebastian Marlowe Ward

J.S.M.ワアド著

淺野和三郎・粕川章子共訳

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビ と、入力者による振り仮名は、右の様に表示されます。表示事例ひょうじじれい、その他、難解な言葉遣いに対しては適宜、注記いたしました。

※ 訳者の一人、粕川章子氏の翻訳家著作商用権は2018年まで有効ですが、当サイトは粕川章子氏の御遺族の同意を得て公開しております。なお、本文の転載、商用利用などは御遺族の了承が必要です。


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