幽界行脚

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三十一 御母さんの退院

 一九一六年十二月十一日ワアド氏が例の如く幽界へ出掛けると、此日このひは叔父さんやレックスと共に病院から出たお母さんがりました。レックスは兄の顔を見ると、

『兄さん、お母さんがくなってこちらへ来られましたよ。』

 母。『やっと来ましたよ。ですがねジャック、此所ここでは家の中の用がなくてね、何だか変ですよ。だけれど、私しママは怠けて暮す事なんか厭ですから、からだが丈夫になったら何かしますよ。ほんとにこの世界は面白い所ですね。今迄住んだ地上の世界と実によく似てるけれども、食べないで済むから楽ですね。ほんとに御飯の仕度は面倒でしたよ。此頃このころ逢った女の人で食物が欲しいと云っていた人があったけれども、ただ食べるために食べたいと考えるなんて全く呆れてしまうじゃありませんか。それから此処ここでは眠らずにすむ筈なのに、此間このあいだ矢張り寝る事だけはすると云っていた人に逢いました。場所によって種々とちがった暮し方をしているのでしょうかね。』

 叔父。『左様、見掛けは此処ここによく似て居っても、地上に近い区域では、寝る事も、食べる事も、生前通りの場所もあるそうじゃ。人から聞いた事だが、その様な社会に住む人心は自分等が死んでる事を信ぜぬそうな。さもありそうな事じゃ。又ある所では食物睡眠は不必要である事を知りながら、ただその習慣にとらわれて、いつまでもそれを続けている者共もあるそうな。うした手合は幽界での飲食には飽き足らず、ややもすれば憑依をする様になるものじゃ。』

 母。『憑依とは何の事ですか。』

 お母さんの疑問に対し叔父さんはその現象をくわしく説明しますと彼女は身慄みぶるいをして『まあ厭な事!』と申しました。

 これからは四人して種々いろいろと内輪話の中にワアド氏の帰る時間となりました。

 同じく十二月十八日の訪問日にはワアド氏の顔を見るとクリスマスの挨拶もそこそこお母さんは可愛い孫の事が気になるのか、坊やの事をしきりに尋ねるのでした。

 ワアド氏は叔父さんから、レックスやお母さんがだんだん幽界の日常生活にれて来た事や、例の陸軍士官が指導してる、霊魂救済団をだんだんと拡張しつつある事など聴いてりましたが、丁度その最中さいちゅうに噂の士官が入って来ました。

 士官。『イヤ全く多勢になりましたよ。今拙者の配下には全部で五千名程の幽界の住民が働いてるのですが、全員を千名づつ五分して五名の大佐に各連隊の指揮を命じ、その下には二名の少佐を配して各隊を二分して五百名づつの中隊とし。更にその配下に百名づつの小隊を引率する大尉(レックスはこの大尉の一人)を五名づつ置いてあります。この百名の兵卒等を更に十分して各十人づつの分隊とし、その中の一人を軍曹にして他の九人を指導さして居ます。もっとも仕事に慣れぬ中は時によると一人に一人の指揮者が要る様な場合も出て来ますが、大体はこの様な組織で、本部は拙者と五名の大佐で代表してるのです。しかし新兵がドシドシ殖えるので、此等これらは最初伝令なんかにして使ってるのですが、この救済団に加入して働きたいと云う希望者も多いので、更に新団隊を作り旧団中の熟練者を昇進させて新団の役員にしました。即ち軍曹は大尉に、古参の兵は軍曹に任命するといった様な工合ぐあいにしたのです。今の処では幸に至って工合ぐあいよくいっています。実際働手はいくらあっても足りませんな。』

 話の中にワアド氏がレックスに向ってどんな仕事をしているかを尋ねますと、彼は少しく極まりの悪そうな表情で、

『僕には未だどうも独逸ドイツ人をたすける気になれないんで困ってしまいます。僕だって仕事は相応にしているのだけれども……。』

 ワアド。『時にレックス、これから幽界の一般観察を遂げることにしたらどんなもんだろうね。』

 レックス。『そりゃいい思附きです。僕早速始めましょう。』

 ワアド。『急ぐ必要はないよ。私は未だ「ゴーンウェスト」(訳本――死後の世界)の方を先に片附けなければならないのだから、まあ気に留めて見て置いて貰えばいいのだ。叔父さん! あなたも一つ手伝って下さいませんか?』

 叔父。『よいとも、承知致した。が、この幽界は随分と広大なものじゃから、この仕事はなかなか骨が折れる事を覚悟してかからねば駄目じゃ。』

 士官。『私も手伝いましょう。私は幸い種々な人間に出合うてるし、従って死後のそれぞれ異なった経験も知ってる故、何かとお役に立つ事もあると思われます。』

 其処そこで皆なで協力して幽界の研究をする事に相談が纏まって後、ワアド氏は現界に立帰りました。


三十 霊媒の証明

目  次

三十二 霊界と幽界との区別


"A Subaltern in Spirit Land"

底本:「幽界行脚」 嵩山房

発行: 1931(昭和6)年1月15日発行

John Sebastian Marlowe Ward

J.S.M.ワアド著

淺野和三郎・粕川章子共訳

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビ と、入力者による振り仮名は、右の様に表示されます。表示事例ひょうじじれい、その他、難解な言葉遣いに対しては適宜、注記いたしました。

※ 訳者の一人、粕川章子氏の翻訳家著作商用権は2018年まで有効ですが、当サイトは粕川章子氏の御遺族の同意を得て公開しております。なお、本文の転載、商用利用などは御遺族の了承が必要です。


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