幽界行脚

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二十九 レックスのオペラ見物

 一九一六年十月二十三日ワアド氏が幽界へ赴き、叔父さんとレックスの住んでいる家へ着くと、二人共待設けている処でした。

 ワアド。『お母さんの容態は近頃どうですか?』

 レックス。『大した変りはない様ですね。もう少しったら行って見ましょうよ。ところで兄さん、僕はこの頃オペラを見物に行ってますが、相当やってますよ。ファゥストやローレングリン、フューゲノートなんか聴きました。それからこの世界で作ったのもありましたっけ。』

 ワアド。『この世界のは一体誰の作で何という曲ですか。』

 レックス。『矢張りワグネルですがね、アルケスティスの改作でした。ワグネルはもっと上層に住んでいるのですから、此処ここには来ないのだけれども、オペラ団の中で彼と通信を始めた連中があるのですよ。あの天才は「行為の伴わぬ信仰の国」にるのです。実際いい曲でしたよ。全然すっかりワグネル張りで、トリスタンよりかむしろタイホンゼルに近いものでした。けれども生前の作よりはずっと立派に思われました。』

 ワアド。『歌い手はみんなの幽界の者でしょうね。』

 レックス。『ええ、皆なそうです。大して名高い人は居ませんが、コベント・ガーデン辺のオペラから見ると一体に役者が一枚上手ですね。もっとも地上の二流所のオペラでもスターとなると却て此所ここよりはうまいのも居ますけれども……。時に叔父さん、もう病院へ出掛けてもいい頃じゃありませんか。』

 そこでワアド氏は叔父と弟と共に病院へ母を見舞に行きました。窓から外を眺めていたお母さんは三人の姿を見附けて非常に喜び、相変らずワアド氏に向って地上に残っているお父さんの事やうちの事等を聞きたがるのでした。

 ワアド氏が彼女に向って其後そのご芝居へ行ったかと尋ねると――

『行きましたとも……。それはそうとあなた達に聞きたい事があるのですが、私よりきに死んだあのC――は一体何処どこるのでしょう? 逢えそうなものだと思うのだけれどもね、私はまだ実家の人には一人もあいませんよ。此処ここじゃ手紙を出したり、何処どこに住んでるか尋ねる事も出来ないんでしょうかね?』

 此時このときそばにいた看護婦が――

『もう少し御辛抱ごしんぼうなさいまし。奥さんの御病気がもっとくおなりになると、皆さんにお逢いになれますよ。』

 お母さんの名指なざしたC――というのは彼女の兄なので、叔父さんはその居所いどころを探す約束をしました。それから四方八方よもやま雑談はなしを交して後三人は此処ここを辞し、ワアド氏は地上の人となりました。

 このC――氏の事に関してワアド氏は十月三十日の次の訪問日に例の陸軍士官から話をききました。ワアド氏がレックスの家へ入った時にこの士官は叔父さんと二人で待ってましたが、ワアド氏の顔を見ると――

『C――さんの居所がやっとわかりましたよ。叔父さんに頼まれて方々尋ねました。お気の毒ですが矢張り地獄でした。が、六層目だそうですからもう一息の処です。実は私には地獄へ這入れませんから地獄で働く役目を持った天使の一人に頼んで探して貰ったのです。この天使が母上の死なれた事を話し、一日も早く上の明るい世界へ出る様にとC――さんに勧めたのです。多分努力をするだろうとの事で、その天使は又たすけに出掛けましたよ。私の様に地獄の底からでなく、上の方からですから余程楽でしょう。ことに親戚や友人が上層にいれば励みになって非常に力になる様です。私なぞは全然何の援助もなしでもがいたのだから実にみじめなもんでした――』

 丁度此時このとき帰って来たレックスはワアド氏に向って云いました。――

『お母さんは大層よくなった様ですから、もう間もなく此処ここへ来られるでしょうよ。』

 ワアド。『C――伯父さんの話をしたものでしょうか?』

 叔父。『いや、自然にわかるまでは地獄にる事など話して悲しませぬ方がよい。頭の中がよくなれば黙って居ても私達の考がわかる様になって来る。今の処はただC――は他の世界に住んでる事にして置くより外はあるまい。』

 ワアド。『実際自然の法則というものは恐ろしいものですな。』

 士官。『正義に容赦は無い、応報は必ず来るもの、今の私にはそれが明瞭だが、どうも生きてる人間共にはなかなか会得えとくが出来ぬ様に見える。』

 ワアド。しかし世の中にはC――より遥に下等な人間が沢山ある様に思われますが……。』

 士官。『左様、生前の悪行のために罰を受けてる人間は数知れぬ程あるのです。ですが自殺という行為は矢張り非常な罪悪ですな。』

 三人はここで陸軍士官と別れて病院へ行きました。お母さんは大分快よくなって居たので運搬椅子に乗り、看護婦に連れられて皆なと一緒に公園まで出掛けました。此日このひワアド氏は此処ここからすぐ地上へ戻りました。

 この訪問の後二三回ワアド氏は幽界へ赴かずに霊界へ出向きました。叔父さんがしばらく霊界に留まって居たからで、彼が幽界のレックスの処へ再び出向く様になった時、ワアド氏も再び幽界へ行きました。丁度約一月後の十一月二十七日でしたが、此日このひは格段の事も無く、久し振りで逢ったレックスとつれ立ちていつもの如く病院へ母を見舞ったのでした。


二十八 母の覚醒

目  次

三十 霊媒の証明


"A Subaltern in Spirit Land"

底本:「幽界行脚」 嵩山房

発行: 1931(昭和6)年1月15日発行

John Sebastian Marlowe Ward

J.S.M.ワアド著

淺野和三郎・粕川章子共訳

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビ と、入力者による振り仮名は、右の様に表示されます。表示事例ひょうじじれい、その他、難解な言葉遣いに対しては適宜、注記いたしました。

※ 訳者の一人、粕川章子氏の翻訳家著作商用権は2018年まで有効ですが、当サイトは粕川章子氏の御遺族の同意を得て公開しております。なお、本文の転載、商用利用などは御遺族の了承が必要です。


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