幽界行脚

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二十七 母の永眠

 一九一六年十月二日ワアド氏が常の如く幽界に赴き、叔父さんとレックスの部屋へやはいって行きました。待設けていたレックスは直ちに母の永眠の時の模様を物語りました。――

 医者。「成程、貴方は少し御様子が違うと思うたが、霊界から来ていられるのですか。一つこの幽界について、あなたの御感想を伺いたいものですな。」

 叔父。「いず其中そのうちよい機会にお話申しましょう。」

 医者。「一体どの様な訳柄わけがらで一度見棄てたこの幽界に再び舞い戻って来られるのですか。」

 叔父。「それはおいたすけるためじゃが、私はいきなり霊界に行ったもので、別にこの幽界にはらなかったのじゃ。高齢で死んだめか、私は肉体を離れるとほとんど同時に幽体をも捨ててしまうたので、この幽界の有様は、此度こんど仮の幽体からだ此処ここへ来る様になってから始めて知った次第で……。」

 医者。「どちらがよいか判らぬが、私はこの幽界にる事も決して無駄とは思いませんナ。実際に住んで見ねば充分な体験は得られませんからナ。人力で学び得る事に限りはあろうが、経験は多ければ多い丈の事はある様に思われます。」

 叔父さんと医者との問答を繰返したレックスはなお話を続けました。――

 斯く物語っている中に高い壁が眼の前に現われ、門をはいると、丁度此間このあいだ兄さんと叔父さんと三人して訪問した、あの立派な庭園に似通った庭がありました。青々した芝生、咲き乱れた草花、繁った樹木の中には美しい花木も打交って、何とも云えぬ景色でした。其処此処そこここにある噴水から流れ出た水は小砂利を敷き詰めた小河となって、一つの広々したみずうみに注いでいました。湖水の水面には帆で走らせるのや、かいで漕ぐのや、種々のボートが浮んで、三々五々男女打交って、如何いかにも愉快そうに遊んでいました。船の帆がふくらんでいるのを見て僕は、始めて微風があるのに気附きましたよ。空には鳥の声も聞えるし、花には蝶が飛び舞ってる有様は、とんと地上の様ですが、其処そこに説明しにくいちがった感じがありますね。

 それから病院の中へはいって見ました。外見は一寸十八世紀頃のフランスの城の様に見えましたが、内部の設備は最も現代的である上に、一層磨きがかかっていました。病院に不似合に暖かな平和な気分が充満してましたね。特に気附いた事は大手術室の設けが無く、その代りに数多の催眠術室があり、患者はその部屋の中で医師から暗示を受ける仕組になっていました。この病院内には学生も居ましたが、この催眠的手術の参観は同時に二人以上はさせぬ事にしてあります。その理由は各自の人体磁気の性質がそれぞれ違うので、あまり異分子が多いと病人は勿論むろんの事、医者までが影響を受けて手術がやりにくいとの事ですから、芝居の観覧席の様な大手術室の代りに小室が多くある方が便利なのです。

 お母さんはこの病院の一室に運ばれ、寝台に乗せられたまま相変らずスヤスヤと眠り続けてられ、二人の看護婦はそのそばに番をしていました。私達は此処ここを去る前にその医者に向って種々質問を発しました。

 叔父。「この様な病人が時々あるものですかナ? 私は未だ斯様に眠ってばかりる人は、幽界でも霊界でも見た事が無いが……。」

 医者。「あるにはありますが、ず少ない方ですナ。」

 私。「一体幽体でもこの様な病気をするのですか? 病気などというものは肉体が無くなると、もう起らないものと思ってましたが……。」

 医者。「全然肉体的の病気は勿論むろんありませんな。ですから人間にとってこの世界の方が遥かに幸福な場所に相違ありません。しかし地上界でも病気というものは想像以上に精神の働きに関連しているもので、此処ここでの病気は尚更の事です。で、私達はつまり病的である精神や、魂の治療をする丈です。宗教狂等は実に始末が悪い。ヒステリーもいろいろあるが、自分が不具だと思込んでるのなどは、いくら肉体の欠陥が幽体に現われないことを説いてきかせても、観念で相変らず片輪となっているのですから、手が附けられません。又あなたの母上の様に昏睡をつづけているのにも困りますナ。」

 私。「しかし霊魂が肉体を離れたあとで、どうして脳髄中の故障が、幽界まで持越されるのでしょうか。もう母は中風では無い筈なのに、どうも未だその症状がある様ですね。」

 医者。「あなたの母上の病気は半ば精神的に来たので、御承知の筈だが、人格上のある欠陥が禍をしてるのですから、それから匡正なおしてかからねばならぬのです。そして誠にお気の毒な事にはその御病気が意外に根強く、漸次ぜんじ霊魂の力を弱めて、頭の中も混沌としてられる、従って幽体にも未だ生気が附かぬのです。これから私等は仕事にかからねばなりませんから、今日はこれで失礼します。」

 其処そこで僕はお母さんにお別れの接吻キッスをして、叔父さんと連立って帰って来たのです……。

 ワアド。『お母さんは何日頃いつごろまでそんな工合ぐあいられるのでしょうナ?』

 叔父。『医者にも判然はっきりとは判らないそうで、じきに気が附くかもしれぬが、ことによると地上の時間で六ヶ月位はかかるかもしれぬとも云うて居ったよ。』

 ワアド。『葬式の時がお判りでしたか? むろんお母さんは夢中だったのでしょうが……。』

 レックス。『私達にはよく判りましたよ、ね叔父さん。』

 叔父。『左様、葬儀の場所から発した後光ごこうが病院の方を照して美しい光景じゃった。お前方の母上はな、夢にでも感じたかニコリと微笑ほほえんでられたぞ。勿論むろん身動きはせなかったが……。わしは教会へも行って見たが、お前を始めB―やC―がよく見えた。それから墓地までもいて行ったのじゃ。』

 ワアド。『葬儀場で私達のほかにどの様な人が見えました?』

 レックス。『C―やI―や種々いろいろな人が居ましたね。霊魂も大勢居ました。――時ににいさん、あの家に黒猫が一疋いたが、私を見て背を逆立ててフーフーうなりましたよ。彼奴あいつの六感はにいさんより鋭いと見えますね。それから葬式が済んだ時に私達は、此処ここへ帰って来て叔父さんと種々話をしたのですが、お母さんを直ぐ此家ここへお連れ出来ない事は残念だけれど、お母さんの為には却ってその方がよいかも知れないと思うのです。』

 叔父。『それはそうじゃ。今直ぐ此処ここに来ると知合の人はらず、きっと気落ちをしてしまうに相違ない。病院にれば友達も出来、この世界の事も人から聴いて却てためになるじゃろう。――それはそうとジャック、もう帰る時刻になった様じゃ。早く戻った方がよいぞ。』

 ワアド氏は暇を告げて地上に立戻りました。


二十六 理想的庭園

目  次

二十八 母の覚醒


"A Subaltern in Spirit Land"

底本:「幽界行脚」 嵩山房

発行: 1931(昭和6)年1月15日発行

John Sebastian Marlowe Ward

J.S.M.ワアド著

淺野和三郎・粕川章子共訳

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビ と、入力者による振り仮名は、右の様に表示されます。表示事例ひょうじじれい、その他、難解な言葉遣いに対しては適宜、注記いたしました。

※ 訳者の一人、粕川章子氏の翻訳家著作商用権は2018年まで有効ですが、当サイトは粕川章子氏の御遺族の同意を得て公開しております。なお、本文の転載、商用利用などは御遺族の了承が必要です。


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