幽界行脚

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二十 地獄行きのたまり

 七月三十一日の幽界訪問の際にも、善と悪との二大勢力の悪戦苦闘は依然として継続されて居ましたが、場数ばかずを踏むと共にワアド氏の胆力が、だんだん据わって来て、今日は一つ幽界に住む不思議の存在物――想像以上に醜悪なる怪物どもの正体を、モすこしくわしく見届けてくれようという好奇心が起りました。

 一番数の多いのは矢張り最初に自分を遮った、半人半獣式の怪物――ふくれて、不恰好ぶかっこうで、両眼が斜めにくッついて、章魚たこの足見たいなものを沢山そなえている奴原でした。

 が、変種かわりだねはいくらもありました。一疋は蛇見たいなやつで、ただその頭部あたまだけが極度に醜悪な人間でした。他の珍型はおおきな蝙蝠然たるもので、バサバサやっているが,しかし頭部は普通なみの蝙蝠ともちがい、大概ギロギロした団栗眼どんぐりまなこ嘴然くちばしぜんたる口元とをそなえている。巨大な龍見たいのもなり沢山居たが、しかし絵にあるような伝説的の龍の姿ではない。その他胴体が獅子で頭部が鷲であるもの、蜘蛛のバケモノらしいもの、菌が変化ばけて動き出したようなもの……。そんな奴等が赤色の濛気の波に、フワリフワリと数限りもなく漂うている。

 幽界の怪物どもに共通の特長といえばただ眼だけで、それはグリグリした円形のものか、それとも狭くてそっぽを向いたものか、いずれにしても皆極度に憎々しい性質のものでした。

 ところどころに人間臭いものもまじってはいましたが、しかしよくよく見ると決して本当の人間ではない。人間と動物との一種奇妙な混成品なのでした。

 そうする中に一ばん人間みた、たしかに一方の大将株と思わるる大入道が猛然としてワアド氏の前路を遮りました。姿は何やら曖昧模糊としてはっきりした輪廓も何もないが、兎に角素裸体すっぱだかで、歪んだ、畸形ぶざまな、デブデブした手足をっている。顔は一面のヌーボー、鼻もなければ口もなく、ただ切目きれめのような、狭い、長い二つの眼だけが、妙な角度を作って、耳の辺から顎の附近にかけて変チキリンにくッついている。

 んなシロモノのくせに不思議に言葉くちをきく、イヤむしろ思想を発表するだけかも知れない。兎に角そいつはう叫びました。――

おれきさまが俺達の縄張内を勝手に往ったり来たりしているという噂をきいている。しかし今度は承知しないぞ。とまれッ!』

 ワアド氏は止むなく足を停めました。イヤその時の恐ろしさ! 気味のるさ! 総身の血汐が……。幽体にそんなものがあってもなくても、兎に角総身の血汐が一時に止まるように感じたといいます。いよいよ怪物が突撃を開始した時には、氏はおぼえず悲鳴を挙げて守護神の来援を祈願しました。

 祈願は直ちに聴かれました。――が、他の妖怪どもが守護神の身辺から迸り出るキラキラせる白光の前に崩れ立ったとは大違いで、此奴こいつは自若として動くけしきもなく、その全身から暗褐色の毒煙を吐き出して挑戦的態度に出でました。すると不思議にもその煙は守護神の光を喰いとめ、四方八面に一種の闇の障壁を築きあげましたので、崩れかけた魔軍は得たりかしこしとその障壁の蔭に集合し、守護神に向ってワッと反抗の罵声を放ちました。

 刻々に加わる光、段々に募る闇。――戦闘は正にたけなわです。

 そうした姿勢で双方ともある方向に前進して行きましたが、やがて俄然として周囲の闇の壁がぶるぶる震え出しました。それもその筈、今しも着いたのは光明の威力がそろそろ暗黒の威力を圧倒する地点で、いわば内外呼応して闇の壁を突破することになったのでした。

 間もなく闇は跡方もなく消え失せて、いつしか日頃お馴染の景色の中へと歩み入り、ワアド氏は無事に叔父さんと愛弟との住める例の閑居へと辿りつきました。

 ワアド氏は一伍一什いちぶしじゅうを説明した後で訊ねました。――

『私は守護神さまのお蔭でどんな危険があるかも知らずに、始終平気で幽界をるきまわっていますが、私が死んだ後でも矢張りこの恩典に与かれるものでしょうか? それとも死んだものは諾否いやおうなしにあんな境地ところを通らせられるものでしょうか?』

『さァんなものでしょうかネ。』とレックスが側から、『私などはまだ一度もそんな境地ところを通ったことはございませんが、しかし妖怪変化の類は何度も何度も目撃したことがあります。』

 叔父さんは考えながら言いました。――

『こんな難問題は私の守護神さまに伺って置こう。』

 言いもおわらず例の白い光のお姿が徐ろに室内に現われました。光が次第に加わるに連れてレックスは手で両眼を塞いでゆかの上に附伏つっぷしてしまいましたが、ワアド氏は眼をシパシパしながらも辛うじてその光にえました。

 やがてかの巨鐘の音に似たる音声が一同の耳朶を打ちました。――

『汝が今日通過したのは地獄へ堕ちるものどもの溜りの場所なのじゃ。むろん幽界の一部なれど、一たん罰せられて彼所あそこに降りたものはめッたに出脱けることはきぬ。道は彼所から直ちに地獄の谷に導かれている。

なんじをして今回彼所を通過せしめたにつきては其処ここに深き仔細がある。彼所は悪徳の源泉であって、地上ならびに幽界の罪悪は皆彼所から溢れ出る。汝にえられる限りのものは皆見せてつかわしたが、むろんその奥にもまださまざまのものがある。

『普通の死者は皆汝の弟と同じく地上境を通過し、其所そこで新手の戦死者が生前の如く格闘しつつある光景を見たりする。が、かの地方はそれとは異なり、地獄へ堕ち行くものどもの控所で、幽界においてしばしば罪を重ねたものでなければ決して其所そこへは堕ちるものではない。

『死者の種類はさまざまじゃ。人と人との争闘に疲れて現在汝達の住むこの境涯に避難する者どもは次第に向上の望があれど、人力の争から更に魔力の争に移るものどもは次第に堕落の途を辿って行く。それ等は最後に自己の幽体を破壊して霊界の暗黒境、汝等の所謂いわゆる地獄の底に沈んで行くのじゃ。』

 それだけ述べて天使の姿は消えました。ややあってレックスは回復しました。


十九 霊界の実戦

目  次

二十一 爆弾で殺された女


"A Subaltern in Spirit Land"

底本:「幽界行脚」 嵩山房

発行: 1931(昭和6)年1月15日発行

John Sebastian Marlowe Ward

J.S.M.ワアド著

淺野和三郎・粕川章子共訳

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビ と、入力者による振り仮名は、右の様に表示されます。表示事例ひょうじじれい、その他、難解な言葉遣いに対しては適宜、注記いたしました。

※ 訳者の一人、粕川章子氏の翻訳家著作商用権は2018年まで有効ですが、当サイトは粕川章子氏の御遺族の同意を得て公開しております。なお、本文の転載、商用利用などは御遺族の了承が必要です。


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