幽界行脚

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十八 陸軍士官の講話

 七月二十一日の幽界訪問の時には、ワアド氏は折しも陸軍士官が、一群の将卒を集めて一種の講話ようのものを、試みているところにぶつかりました。彼は幽界生活とはどんなものか? 何故なぜ人間は死後直ちに浮世の慾望を棄てるべく努めねばならぬか? とりわけ幽界で戦闘的気分を継続することが何故なぜ面白くないか? と言ったような事柄を説明しつつありました。その際彼は生前所属の某連隊の軍服を着用していましたが、例によりてその連隊の名称だけは預かりにしておきます。

『幽界の新参者にとりての最大危険は、』と彼は説くのでした。『かれの臨終の際に行いつつあったところを、さながらに継続しようとする念願である。久しい間病床によこたわった上で最後に、現世このよ気息いきを引きとったものは地上の慾望、地上の習慣が余ほど弱められてる。が、何事をか為し遂げたいとの一念にすべてを集注して真最中まっさいちゅうに、俄かにプッリと玉のたれたものは、幽界へ来てからも依然として、その執念を続けたがるものである。ドーかすると、余りにその執着の強烈な場合には、霊魂のけた後の脱殻ぬけがらの幽体が器械的に、以前の行動を繰り返していることさえもある。世間でよくいう幽霊屋敷……。何やらしきりに物品ものを捜したり、又は目標あてどもないのにウロウロ其辺そこいらをうろついたりする、幽霊の多くは実は皆地縛の亡霊のタダの脱穀ぬけがらで、迷えるもまたはなはだしいやからである。幽界というものは決して永住の場所ではなく、落ちつく所へ落ちつくまでのホンの一時の足掛の場所である。ここでヘタな真似まねをすると幾代かにわたりて、奈落の底の憂目を見ることになり、これに反してしも首尾よくその誘惑に打ち勝てば、自己のたましいを救い上げるの縁をつくることにもなる。地獄に落ちるも、天国に上るも、すべて自分の心掛一つという肝要だいじのところじゃ……。』

 すると一人ひとりがその時口を挿みました。――

『君はよほどの信心家で、幽界で救われた難有ありがた連の一人に相違ない。イヤにお説教がうまいじゃないか!』

 他の一人が又皮肉な微笑を浮べ、

『イヤそいつァ大変な見当違いさ。このお方は生れてからただの一度も罪悪つみというものを造ったことのない、寺院てらの色ガラスにいてある天使見たいな人なのだとサ!』

 んな冷かしは少なからず陸軍士官の癇癪にさわったらしかった。彼は言葉鋭く言い放ちました。――

『コレコレ君達は知りもせぬくせに下らない憎まれ口を叩くものじゃない。吾輩は生前堕落した生活を送り、死後は死後で散々悪事のあり丈を為尽しつくした結果、とうとう地獄のドン底までおとされて来た苦労人なのだ。君達見たいなポット田舎者いなかものとは訳がちがうんだ。自分でんな苦労をして来たから、君達に成るべく難儀な目に逢わせまいと思って、それで一生懸命注意をしてやっているところなのだ……。』

 そう言って、彼は自分のみ来った悲惨な経歴を語り出しましたが、それはつまり『死後の世界』の下篇の方に詳しく述べられたところのもので、何しろ前代未聞の奇事異聞ですから、レックスをはじめ、今まで冷かし切って居た連中までがいつしかそれに釣り込まれ、一心不乱に、耳を傾けることになりました。

 しかし、ワアド氏にはもちろんそれは旧聞ですから、機会を見てそッと坐をけると、叔父さんだけがあとからつづいて来ました。二人は玄関きで分れの挨拶をかわしましたが、その際叔父さんは得意らしい面持おももちで言いました。――

『陸軍士官にはわしたのんであの説法をして貰うことにしたのじゃが、予期したとおりその結果はよかりそうじゃナ。』

『全く叔父さんのお見立どおりで……。』

 間もなくワアド氏はたもとを別ちて帰路につきました。


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"A Subaltern in Spirit Land"

底本:「幽界行脚」 嵩山房

発行: 1931(昭和6)年1月15日発行

John Sebastian Marlowe Ward

J.S.M.ワアド著

淺野和三郎・粕川章子共訳

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビ と、入力者による振り仮名は、右の様に表示されます。表示事例ひょうじじれい、その他、難解な言葉遣いに対しては適宜、注記いたしました。

※ 訳者の一人、粕川章子氏の翻訳家著作商用権は2018年まで有効ですが、当サイトは粕川章子氏の御遺族の同意を得て公開しております。なお、本文の転載、商用利用などは御遺族の了承が必要です。


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