幽界行脚

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十六 戦場訪門

 一九一六年七月十四日ワアド氏が、例によりて幽界の閑居をおとずれますと、弟のレックスや叔父さんの外に多勢おおぜいの陸軍々人などが集まっていました。.

 レックスは至って上機嫌で呼びかけました。――

 レックス。にいさん、ようやく伝令が戻って来ましたよ。陸軍士官さんもここられます。』

 ワアド。『そいつァかった! 逃げた籠の鳥を取りもどすのはさぞ困難だったでしょうね。』

 陸軍士官。『イヤお話にならないほど、骨を折らされちまいましたよ。が、何処どこう逃げても吾輩がかならずぎつけて行って、口がッぱくなるほど説諭するので、さすがの先生もとうとうを折ってしまいました。行きがけの駄賃に他にも数人引張って来てやりました……。』

『時にいかがですにいさん!』とレックスは兄のところへ近づいて、『これからわれわれは第一回の地上遠征を試みるのですが、にいさんもおつきあいなさいませんか。』

 ワアド。『そいつァ素的すてきだ! 行かなくては!。』

 同勢は叔父さんやレックスや陸軍士官や、まだほかに四人とワアド氏とから成立せる大部隊でした。

 幽界の旅行はすてきにはやい。まるで地面じべたの上を泳ぐようなもので、見る見る中に一行は早や砲声の殷々いんいんたる地上の戦場に近づきました。やがて砲銃の響きは耳をろうするばかり、立ちこむる大気はどんよりとしていて、ほとんど黒白こくびゃくも判らぬ位、それに暴風雨あらしが荒れくるっていて、まともに正面から吹きつけるので、一歩一歩に足をみしめる必要があるのでした。

 陸軍士官。『これが戦闘的憎念ぞうねんでつくられた、修羅道の業風ごうふうなのじゃ。なかなかドーもひどい! ヤァ彼所あそこへ亡者どもがやって来よる!』

 言いも終らず亡者もうじゃどもが約八百人ばかりも、一団をなして亡者かたわらを通過して行きました。よく見ると彼等のある者は赤い色をしていたが、大部分は暗灰色あんかいしょくをしていました。中には又冴え亘った光輝を発するものも少しはありましたが、そんなのは残余のこりの者からかけ離れて、ズンズン上へかけぬけて、やがて姿を消してしまいました。

 陸軍士官はこの現象に就きて、ワアド氏に説明しました。――

『あの白い光を発する連中はありャ別口です。生前特に純潔な生活を送ったもので、しかも大てい他人を救うめに、自分の生命をささげたものであります。赤い色をしているのは極端な悪漢わるもの――すくなくとも極度の憎念ぞうねん司配しはいされているものです。又灰色の連中は格別くもなく又悪くもなく、まァ十人並というところでしょうナ。兎に角人間という奴が、死んでもゾロゾロ羊見たいに連れ立って行くところが面白いじゃありませんか。――アレ彼所あそこに幽界の戦線が見える……。』

 そう言われてワアド氏は陸軍士官のゆびさした方向を見ると、成るほどデコボコの地面を横断して猛烈に突撃する幾列かがある。それが見る見る敵のドイツ軍とぶッつかって、たたかう、たおれる、起き上る、又戦う……。世にもものすごい光景です。

 その光景を前にしてワアド氏と陸軍士官との間には、んな談話はなしかわされました。――

 ワアド。『いかがでございます、あなたはドイツ兵もお助けなさいますか?』

 陸軍士官。いやですナそいつは……。自分もそれでは充分の修行が出来ていない証拠だと気がついてはいますが、吾輩にはまだ彼奴あいつどもの蛮行をドーしても大目に見のがす気にはなれません。無論吾輩が助けなくても、同じドイツ人の霊魂が沢山来て、彼等の救済に当っています。ほかに又中立国から来ている霊魂もあります。』

 ワアド。『そんなわけのなのですかナ。国民性というものは一ちょうせきには失せないものと見えますね。』

 陸軍士官。『なかなかドーして……。霊界のずッと上層の居住者となると、国籍などの観念はすッかり無いらしく、其様そんな連中が実は救済事業の元締をやっているのです。しかし、その真似は幽界居住者にはとてもできません。霊界の下層にる者だって、敵の死者を救済する気分にはなれはしません。――ドーですワアドさん、あなたにはそれができそうですか?』

 ワアド。『無論できませんナ……。』

 陸軍士官。『時にはワアドさん、モっと地上に接近して見ましょうか、あなたが御希望ならば……。』

 ワアド。『是非どうぞ……。』

 そこで一同は更に下へ下へとくだって行って、地面そのものさえ突き抜けるかの如く思われました。闇はだんだん薄くなり、そのかわりに、何やらニョキニョキ蔭見たいなものがる。それは大へん非実質的のもので、今まで幽界で見れた、がッしりした山河の景色とは比較にはならない位。

 ワアド氏はびッくりして、

『一体これは何です?』

 陸軍士官は微笑しながら言いました。

『幽界の住民から見ると地上という所はんなものです。見給え、あれがソンム河じゃ。それからあの薄い蔭が一たい丘陵きゅうりょうなので……。』

 その時になっても暴風雨あらしはたけりくるって居ましたが、ただ可笑おかしなことには、その辺に見える地上の樹木に何等の影響を及ぼしませんでした。――戦闘的憎念から吹き起った業風ごうふうなので、物質的のものには、さっぱり感じないらしいのです。

 其所そこではッぽけな人影らしいものが前進しては斃れる。斃れたと見るとそいつが、今までよりもずッと実体的なものとなってわきかすめて行く。何やら余程の多人数が、頭上にかかれる黒雲の中にゾロゾロ昇って行くらしいのです。

 右の黒雲は次第次第にさがって来て、あたりの景色を包んでしまいました。イヤむしろ一同みんなの方で上騰じょうとうして雲の中にはいったらしいので……。

 兎に角いつのにやら一行は元の幽界へ戻って居たのでした。

 ワアド氏溜息ためいきをついて言いました。――

『ドーも地上の世界と幽界とがぶつかる、この辺は変挺へんてこなところですネ。私ア所中しょっちゅう幽界から地上へ戻るのですが、今日のような状況ようすは一遍も見たことがないです。』

 叔父さんがそれに答えました。――

あるいはそうかも知れん。が、元来お前という人間が尋常ただでなさすぎるのじゃ。霊体、幽体、肉体――この三ツの道具を勝手に使い分けをして、一々それ等の経験を記憶にとどめて置こうというのじゃからナ。そんな芸当のある者は世界中に幾人いくたりもありャせん。この辺の目下の状態そのものが又尋常ただではないのじゃ。元気な若者が刻々に死んで行くので、それから発生する情念が過度に幽界の空気を撹乱している……。』

 ワアド氏はモすこし詳しく説明を求めようとしたのですが、陸軍士官がわきから言葉を挿みました。――

『ワアドさん、あなたはモーい加減に帰ってください。これから本当の仕事にかかるので、あなたが居てくれては少々邪魔になります。』

 仕方がないのでワアド氏は一同に別れを告げ、すこし退いて様子を見ていると、陸軍士官その他がボンヤリ佇って戦闘の見物をしている将卒のむれに近づいて何やら話しかけました。レックスが話しかけた男は身材せいの高い青年士官で、ヨーク、ランカスタア連隊の肩章をつけて居ました。

 が、それ等の光景が瞬間に消えると同時にワアド氏はすっかり意識を失ってしまいました。


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"A Subaltern in Spirit Land"

底本:「幽界行脚」 嵩山房

発行: 1931(昭和6)年1月15日発行

John Sebastian Marlowe Ward

J.S.M.ワアド著

淺野和三郎・粕川章子共訳

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビ と、入力者による振り仮名は、右の様に表示されます。表示事例ひょうじじれい、その他、難解な言葉遣いに対しては適宜、注記いたしました。

※ 訳者の一人、粕川章子氏の翻訳家著作商用権は2018年まで有効ですが、当サイトは粕川章子氏の御遺族の同意を得て公開しております。なお、本文の転載、商用利用などは御遺族の了承が必要です。


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