幽界行脚

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十三 陸軍士官の大活動

 越えて六月三十日、ワアド氏が先方へくなり、早速地上の戦況の質問が始まりました。

 ワアド氏は手短てみじかに各方面の状況を報告した上で、『ときにあなた方はアラビアに叛乱はんらんが起ったことを御存じですか?』

『イヤッとも』と一同声を揃えて答えました。

 そこでワアド氏はメッカの酋長シェークが叛旗を翻してメディナを奪取したことを告げますと、不相変あいかわらず一番よろこんだのは例の伝令でした。

 ワアド氏はやがて陸軍士官に話頭はなしを向けました。――

『近頃さッぱりお話を伺いませんが、御近況はいかがでございます?』

 陸軍士官。『イヤ吾輩の仕事は大変順調に行って居る。莫迦ばかに多忙じゃが、しかし同時に愉快でもある。吾輩がこの二年間に直接救済した霊魂の数は、すでに百人を越えている。いずれも皆軍人の霊魂ばかりで、さとりを開くにはなり不都合に出来上った連中じゃが、それでいて救済し得なかったのが[#「得なかったのが」は底本では「得なかつかのが」]たッた四人だけしかない。百人中九十六人が誘惑多き幽界生活の第一歩を安全にみ出し得たというのは、決してるい成績じゃないです。しかしこの百人というのは吾輩が直接取扱った分丈で、救済団全体の取扱った人数はその外じゃ。』

 ワアド。『救われた人達はその後ドーなりました? まさかその全部が霊界スピリットプレーンの方へ引移ったわけでもございますまい。』

 陸軍士官。『むろんそんなことはない。霊界へ行ったのはただ三十二人丈じゃ。その三十二人の中で五人だけが四十歳以上じゃが、んなに若くて霊界へ行くについては皆それぞれ特殊の理由がある。その中で三十五歳未満というのがたッた一人あったが……。』

 ワアド。『三十五歳未満のものがソー早く幽界を出脱でぬけるというのには一体んな理由があるのでございます?』

 陸軍士官。『右の男は死んだ時に三十二歳であったが、母親が霊界へ行って居るというので、早く其所そこへ行きたくてしょうがなかったのじゃ。妙なめぐり合わせで吾輩その母親をよく知って居るがね……。兎に角その男は一時も早く幽体をてようと思って、ありとあらゆる犠牲的ぎせいてき修行を積んだものじゃ。んでも自分が死ぬ時に自分のことをひどい目に逢わせた幾人かのドイツ兵があったが、そいつ達の霊魂の救済までもこころみたいということで……。

『すると最後に不思議な事が起った。彼はその守護神にみちびかれて一人の男に紹介されたが、その男というのは自分よりはるかに若くて死んだ恋女房と幽界で同棲どうせいしている。――ところで男の方の幽界滞在期間はモーきたが、女房の方はまだ尽きない。「ここで又別れたなら二度と再び会えるかドーかわからない。」――そう言って夫婦は悲歎の涙に暮れている。そこで起ったのが幽体譲渡し問題――詰まり年若の陸軍々人が脱出ぬけであとの幽体を右の男が頂戴して女房のそばに居残ろうという魂胆なので、ドーしてそんな芸当がきるのかは吾輩にもよく判らん。普通期限が来ないのに幽体からけ出すことなどはめったにできる仕事ではないのです。しかし双方そうほうの守護神達が賛成したのでそんな無理な仕事が珍らしく実行され、現在右の士官の霊魂は立派に霊界の方へ移って母親と同居し、又その男の幽体は他人の容器いれものとなってこちらで楽しく夫婦生活を営んでいる……』

 ワアド。『成るほどこいつは奇抜きばつですね。東洋の小説で何やらそれに似た話を読んだように覚えます。それはそうと普通あなたの用いらるる戦死者の霊魂救済法は、ドンな種類ですか?』

 陸軍士官。『御令弟や伝令に用いたやり方と同一おなじで、つまり無声無音の太古の世界に引張って行くのじゃ。もっとも折々はそんなに遠く連れて行かなくとも済む場合もないではない。中には又すでに悪霊に誘惑されて魔道に落ちているのもある。そんな手合てあいを救済するのには酒屋その他の魔窟まくつの周回に哨兵しょうへいを配置する必要が起って来る。むろんわれわれはかならずしもそれですべてを喰いとめる事はできない。中にはとても手のつけられないシロモノも居る。最初幽界へはいった時の吾輩見たいなものでナ。――それでも、あくまで根気こんきよくっていると、堕落しかけた者でも結構、その大部分が救われる。

『それからモー一つ肝要かんじんな仕事は、人間を魔道に引張りにかかっている妖魔ようまどもに、監視者を附けて置くことじゃ。妖魔の一人が血気けっきの失せない若者の霊魂をつかまえて、例の憑依法ひょういほうで不義の快楽をせいとすすめて居るのを見つけると、監視霊かんしれいが早速飛び出して行って、その若者にそんなことをしてはけないと警告を与える……。

『モ一つ肝要だいじな仕事は戦死者を助けて、他の魔誤まごついている霊魂の救済に当らせることで、御令弟なども、つまりその筆法ひっぽうで伝令を救い出したのじゃ。自からを救うべき捷径ちかみちは、つまり他を救うのが一番じゃからナ。――大体う言ったような調子ちょうしで、_われわれ救済団の仕事は、日に日にえる一方、又実際その必要が大にある。』

 叔父。『イヤ全く陸軍士官さんのッしゃるとおり、救済事業は目下もっか幽界の急務で、いくら人があっても手がまわり兼ねる位、第六界(霊界スピリットプレーン)でもこの仕事のめには、転手古舞てんてこまいをして居る。天地開闢かいびゃく以来今回のように、多数の霊魂が幽界さして入り込んだことは一度もないというからナ。先輩の話によると、普仏ふふつ戦争の時などには、格別目立った変化は起らなかったということじゃ……。』

 レックス。そこで僕も成る丈お役に立ちたいと思って、伝令を連れてあちこちるき廻っていますが、生憎あいにく格別のことにも逢いません……。』

 陸軍士官。『君のこころざしは感心だが、まだちと早過ぎる。ひとを助ける前にはず自分が少し勉強せにゃならん。』

 叔父。『それにしてもモー暁明よあけが近いようじゃ。地上のお客さんはそろそろ腰を上げたらよかろう。』

 そこでワアド氏は、すべての人々に別れを告げて戸外おもてに出ましたが、折から幽界は地上のお客さんで充満して居ました。いずれも良人おっとに分れ、愛児に分れた人達が、夢に幽界訪問に出掛けたのであります。それ等の人達がかぬ別れを惜みつつ、いずれも遠き地上をして帰り行くところでしたが、中には『急げ! 急げ! 大急ぎだ! 暁明よあけが近い。おくれると大へんだ!』などと叫んでいるのがありました。

 ワアド氏はそれ等の人達のむれにまじりて、前途を急ぎましたが、やがてはいって行ったのは一つの平原へいげんのようなところで、其所そこには一条の河が流れていました。その平原を越えると向うに一大絶壁があって、そこに一つの洞穴ほらあなが口をけて居る。一同その洞穴さして進入しましたが、あたりは轟々ごうごうと水音が高く響いて居ました。

『はてナ瀑布たきでも懸っているのかしら……。』

 ワアド氏は不審のまゆをひそめて四辺あたりを見まわすと、はからんや、その洞穴の末端が砕けて一の断崖を為し、其所そこから夢を見る人達のむれが、さながら大河の決するが如く、無限むげんの暗黒界に落ち込むのが水音のように響くのでした。

 落ち込む人達の両眼はことごととざされていて、眼をけているものは、ワアド氏ただ一人だけでした。

 ワアド氏は、つと断崖だんがいの末端に爪立って体の平均を取りましたが、それもホンの一瞬間しゅんかんたちまちにして急転直下きゅうてんちょっか、他の幾百千の人達とかさなり合い、もつれ合ってちに墜ちたと思う間に、いつしか意識を失ってしまいました。


十二 幽界の魑魅魍魎

目  次

十四 新兵募集


"A Subaltern in Spirit Land"

底本:「幽界行脚」 嵩山房

発行: 1931(昭和6)年1月15日発行

John Sebastian Marlowe Ward

J.S.M.ワアド著

淺野和三郎・粕川章子共訳

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビ と、入力者による振り仮名は、右の様に表示されます。表示事例ひょうじじれい、その他、難解な言葉遣いに対しては適宜、注記いたしました。

※ 訳者の一人、粕川章子氏の翻訳家著作商用権は2018年まで有効ですが、当サイトは粕川章子氏の御遺族の同意を得て公開しております。なお、本文の転載、商用利用などは御遺族の了承が必要です。


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