幽界行脚

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十一 レックス中尉の守護神

 レックス中尉は叔父さんからうながされて、早速兄のワアド氏に向い、初めて守護神に邂逅でくわした時の実況を語り始めました。――

 レックス。『それは僕が叔父さんと二人きりで、この室にすわっていた時のことでした。そちらを見い! と叔父さんから注意されて、対側むこうがわの壁を見ますと、ドーいう訳か壁の色が次第に朦朧もうろうとなって来て、あだかも闇の中にガラスが光っているような塩梅あんばい……。やがてそれも一層黒ずんで来て、果は何も彼も一切空さいくう、叔父さんも消えれば、室の存在もくなってしまいました。

『するとはるかの遠方にポッリと一点のかすかなる光が見え出しました。だんだんこちらに近寄るものと見えて、それが次第に明るさを加えて行きましたが、しかし人の姿らしいものは眼にはいりません。――眼にははいらないが、しかし矢張りそれはある人の姿であって、ただ無限に遠いから見えないのだと僕には直感ちょくかんされました。

たとえて見れば、ある闇の夜に真黒まっくろな水のおもてを、じっと見つめる時のようです。其所そこにはたった一つの星がうつっています。が、真黒な水はひとり、その星の影を宿すばかりでなしに、何やら大地と星との中間によこたわるところの、無限の空間をも宿すらしく見える――僕の見た感じは丁度そんな塩梅あんばいでした。

『間もなく右の無限の空間をとほしてある一つのひびき――巨大なるオルガンの遠音とほねのような声が聞えました。次第にそれは音量が加わり、やがて怒濤どとうの如く僕の全身を振撼しんかんしました。イヤその諧調かいちょううるわしさ! 気高けだかさ! 最後の審判の日――はたしてそんな日が存在するものとすれば――に鳴りひびく天使の喇叭ラッパとは、んなものかしら、それとも今日が僕に取りて最後の審判の日ではないかしら――そんな事を連想れんそうさせられたのでした。

『何にしろその諧調と云ったら崇厳無比すうごんむひで、とても形容のことばなどは見つかりません。僕は見る影もなく木葉微塵こっばみじん粉砕ふんさいされ、圧倒されてしまいました。――が、それはただ音調おんちょうだけではありません。耳をすますと、ちゃんと立派な言葉、どこまでも僕のような不束者ふつつかものを慰撫激励してくださる有難ありがたい言葉がきき取れるのです。――

「若者よ、汝はよくもただしき道をさぐりあてた。その調子で進めばよい。余と汝とを隔てたる外壁の闇――それはモー美事に突破とっぱし得た。あとは_一歩一歩に余と、汝との間隔が縮まって行く。迷わず、又くっせず、健実に進んでくれ。記憶せよ、たとえ汝が余にそむく場合がありとても余は永久に汝を見てぬ。余の姿が汝の眼に見えぬとて、ゆめゆめ本意なく思うてくれるな。現在いまとしてはこれより以上近寄ることができぬ。離れて遠き今日の会合でさえ、汝の体にはひどくこたえたではないか。――一時も早く心とおこないの上に、愛と犠牲ぎせいとの模範を示して、強き天上の光明あかりに堪えられる立派なからだになってくれ。その時は充分に余の姿を汝に見せるであろう。」

『言い終って、右の諧音かいおんは次第次第に遠く、最後に大なる沈黙が天地にみなぎった。僕はさびしき星の光をつくづくと見送りましたが、それは白から青に、青からみどりに、緑からかばに、樺から赤に、赤から紫にと変って行きました。その紫がやがて青藍あおあいがかかって来、同時にその中にくれないの色がさしたと思うと、たちまちパッと何やら形容のできない美しい色彩いろどりにかわり、末は白銀しろがねの色の中に消え去りました。

『やがて闇の浪が、もくもくもくと星の光の上に幾重にも渦巻うずまいて、とうとうそれを隠してしまった。と、僕の住んでいる家屋うちがいつしか眼に見え出し、つづいて叔父さんが見えました。』

 レックスは其所そこで言葉をとどめましたが、やがて又言いました。――

『ドーもあの時の美しい色彩は、とても僕の力量ちからでは言いあらわすことがきませんナ。う思召されます、叔父さん……。』

『とても。』と叔父さんが相槌あいずちを打ちました。『地上にはあれに匹敵ひってきする色彩が全然ないからナ。』

 再び大なる沈黙ちんもくがつづきましたが、やがてそれを破ったのは伝令でした。――

『中尉どの、わたくしは只今のお話をきいた時のように、感動させられたことは、只の一度もございません。』彼は実際感に打たれたという面持おももちを浮べ。『余り上手じょうずに述べられるので、すっかり実地を見ているような気がしちゃいました……。』

『私もその通りだった。』

 とワアド氏も叫びました。

 叔父さんは微笑を浮べて、う語り出しました。――

『イヤ人の思想というものは、実は皆形を成して現われるものじゃから。それが幾分すべてのものの心の眼にうつったのじゃ。第六界(霊界スピリットプレーン)へ行くと、思想と形との間には区別がない。一と目見た丈で他人ひとの心が読める。ここは幽界じゃからそれほどまであざやかには行かぬが、それでもきない訳ではない。地上でさえ、ある程度の思想伝達ができる位じゃもの……。

『イヤ、しかしレックスは伝令を救ってやったので、結局つまり自分自身を救うことになったのじゃ。彼は一歩自分の守護神に近づくことができた。幸先さいさきはなはだ宜しい。何より結構じゃ。――が、道中はまだまだ長いから油断ゆだんはせぬことじゃ。しかし道中の長いのはレックスばかりではない。ジャック、(ワアド氏)お前もそろそろ出発せにゃなるまい……。』

『退去命令ですか?』とワアド氏は、なかばは冗談じょうだんに不平な顔をして『遠方のお客さんに対してそれでは余り不愛相ぶあいそ過ぎるじゃありませんか。』

『それなら幽界ここに居り切りにするさ。』と叔父さんも笑いながら『しかしお前が戻ってくれないとぎの月曜日に地上の戦況をきかせてもらえんことになる。』

 伝令はムキになって、

『そいつァ大変だ。早く戻って、又改めて出直して来てください。後生ごしょうですから……。』

 ワアド氏は、間もなくすべての人々に別れをげたと思えば、あたりの一さいが消えうせて、自分自身も意識を失ってしまいました。


十 大入りの幽界

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十二 幽界の魑魅魍魎


"A Subaltern in Spirit Land"

底本:「幽界行脚」 嵩山房

発行: 1931(昭和6)年1月15日発行

John Sebastian Marlowe Ward

J.S.M.ワアド著

淺野和三郎・粕川章子共訳

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビ と、入力者による振り仮名は、右の様に表示されます。表示事例ひょうじじれい、その他、難解な言葉遣いに対しては適宜、注記いたしました。

※ 訳者の一人、粕川章子氏の翻訳家著作商用権は2018年まで有効ですが、当サイトは粕川章子氏の御遺族の同意を得て公開しております。なお、本文の転載、商用利用などは御遺族の了承が必要です。


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