幽界行脚

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十 大入りの幽界

 六月二十三日にワアド氏は、またも幽界のおなじみの住居にって見ますと、その日は珍らしい大入りで、レックスのほかに叔父さんが居る、陸軍士官が居る、又初対面しょたいめんの例の伝令も居る、なかなかにぎやかなことでした。

 伝令はレックスから紹介しょうかいされると、早速ワアド氏に向って話しかけました。

 伝令。『イヤどうも近頃はびっくりの種がえません。幽霊の本場へ来て、きている人間さんと会話はなしできるというのは皆に意外千万です。いかがでございます近頃の戦況は? 連合軍がかねての計画けいかくどおり攻勢をり始めましたか?』

 ワアド。『露軍が攻勢を執って独墺軍どくおうぐんの南半部を粉砕しましたよ。捕虜ほりょばかりでも二十万に上るそうで、んでもツェルノウゥィツをほふり、ルックという地方とブコウィナの大半たいはんとを奪取し、なかなか素晴すばらしい大勝利だといいます。北方の独軍がしきりに逆襲をっているが、ドーも成功しなかったようです……。』

 ワアド氏はつぶさに戦況を物語りました。

 伝令。『こいつァドーも素的すてきだ! うして露助にそんなしゃれた事ができたでしょう?』

 ワアド。んでも日本から途方とほうもなく沢山の重砲を供給きょうきゅうしたらしいのです。日本では軍需品で露国を助けるべく全力ぜんりょくを挙げているのです。』

 伝令。『イヤ素的すてき素的すてき! この話をきいてすっかり気が晴々_はればれしちゃった。このぎに幽界へお出掛けのときうか新らしい材料を、沢山たくさん仕入れて来てきかせて戴けませんか?』

 ワアド。『おやすい御用で……。しかし君が本国の動静ようすを知りたいのははなはだ無理もないとして、余まりそれにばかり夢中むちゅうになってはけません。うっかりすると、地縛の霊魂となって取りかえしがつきませんぞ。』

 伝令。『地縛の霊魂? 一体そりャ何の事です?』

 ワアド。『生きている私が死んだあなたに幽界の規則の説明は少々おかどちがいのようだネ。丁度フランス人をつかまえてフランス語を教えるようなもので!……。』

 伝令。『でも吾輩はう見えてもまだ幽界の赤ン坊です。生きている人であろうが、なかろうがそんな事は問題外です。教えてくださいよ、その地縛の霊魂てことを……。』

 ワアド。『では申上げますかナ。』

 ワアド氏はいささか片腹痛く感じながらも、簡単にその説明をこころみたのでした。

 それが済むとワアド氏は、早速弟のレックスに向って、最近の状況を語れと迫りました。

 ワアド。『前回お前と別れてからんな話があったかね? 今度は私が聞き役だ。』

 レックス。『あれから叔父さんと御一緒に、この先生を見舞ったのですが、陸軍士官の意見でとうとう私と同様、無声界くんだりまで引張って行かれることになりました。無声界に居た期間はどれくらいになるのか私にはさっぱり見当が取れませんね。ドーも幽界では時間の測定法が地上とはまるでちがいます。にいさんが定期の訪問をしてくださるので、今日はこれで幾日目になるということが初めて判りますが、さもなければ僕は地上の時間をとうの昔に忘れてしまっていますよ。エーッと、あれがにいさんの御見えになった日だから、僕の伝令が無声界に行って居たのは、ざッと三日間ばかりでしょうね。にいさんの幽界旅行なども、毎月曜と金曜とにかならず来るとめてあるから、僕の方でも定期などと言っていますが、僕から見るとその途中の長さは莫迦ばかに違うように見えるのです。

『陸軍士官が僕の伝令を連れて、無声界へ行っている不在るすの間に、僕はいろいろの事を叔父さんから教わりました。イヤ霊界で行っている立派な劇や、音楽の話をきかされた時には、僕は本当によだれを流さずには居られませんでしたよ。美術品なども実に素晴すばらしいようですナ。僕は早く行って見たくてたまらないが、生憎あいにく道が遠くて困ってしまいます。叔父さんのお話ではこの幽界にはあんまりかんばしいものはなかりそうですね。まして下の地獄ときては尚更なおさらろくなものが無かりそうです。叔父さんからきかされた霊界事情の中で、僕が格別感服できないのは、霊界に小供こどもが余んまり居ないということです。その点丈はイヤですね……。』

 叔父。『これこれ詰らんことを言うてはかん。』彼はレックスの言葉をさえぎりながら『私のところに子供が余り沢山居ないというのは、単に私だけのことじゃ。私は老人としよりなので死ぬる前に余り小供こどもとの交際がなかった。それで死後霊界においても矢張り小供こどもと交らないというまでじゃ。決して霊界に小供こどもが居ないのではない。私の居る境涯ところにも沢山見かける……。ここに一つ充分はらに入れて置いていてもらいたいことは、霊界の小供こどもというものが年齢としできめられずに、精神の発達程度でめられることじゃ。私なども初めて霊界に入った時分には、よくよく小僧ッ子の姿じゃった。これに反して地上に居た時に、ホンの小供こどもであったものが霊界で当時の私の姿より、もッと発達した姿をしているのが無いではない。人間というものは精神的に発達せぬ限り、霊界に於ける姿ははなは貧弱ひんじゃくなものじゃ。

『レックスの肚ではこれから早速霊界へ行って、小供達こどもたちでも集めて、遊ばせてやるつもりらしいが、それこそ飛んでもない見当外けんとうはずれというものじゃよ。御当人自身がッぽけな小供こどもで、チョコチョコ小学校へ通学せにゃなるまい。しかも私の推測ではなり出来のるい、びりッこけの生徒らしい……。

お霊界で本当に小供こどもを愛するものは、地獄の学校へ行って、小供達こどもたちの世話をするのじゃ。お前もにいさんからきかされて知っているとおり、地獄には二種類の学校がある。甲は地獄からけ出そうと努力する落伍者らくごしゃを教育する学校、乙は未発達の小児……つまり地上で神の観念や来世の思想を学ぶ機会のなかったものを収容する学校じゃ。いかに無邪気むじゃき小供こどもでも信仰が無ければ、信仰を必須ひっすう条件とする境涯へはドーしても入れない。丁度魚類が陸上で生活のきぬがごときものじゃ。そこでそれ等の教養のめに地獄の最高部に、んな二種類の学校が設けてあるので、詰まり信仰の不足ということが双方そうほうに共通している点じゃ……。』

 レックス。『でも叔父さん、あの暗闇くらやみはあんまりひどいですね。無邪気な小児こどもの霊魂が、あんな闇の中にほうり込まれるのは随分不公平な処置だ……。』

 叔父。『誰が無邪気な小児が暗闇くらやみの中に居ると言いました? 彼等は暗いどころか、ほとんどえられないくらいの明るい光線の中に置かれている。つまり四辺あたりは暗いのじゃが、教室を受持っている教師達のからだから放散する光線が強烈なのじゃ。詳しい説明はいず機会おりを見てお前丈にきかせて上げよう。あんまりそんな事に時間をつぶしていると、肝腎かんじんなお前の物語がさっぱり進まないで困る……。』

 レックス。『そりャ全く叔父さんの仰ッしゃるとおりでございますが、僕は是非小供こどもの教育をって見たくてたまらないです。いつか許されないものでしょうか?』

 叔父。『許されないことは決してない。小供こどもの教育は私もたしかにお前の性格に当てはまった仕事のように思う。――が、ひとを教える前には、ず自分で勉強せんければ駄目じゃ。』

 レックス。『勉強してきッと成ってお目にかけますよ、小供こどもの先生に……。』

 叔父。『それはそうとレックス、お前はこの間、お前の守護神においしただろうがナ。その話をにいさんにしてあげるがよい。何時いつも手ぶらで帰らせるでは相済まない。』

 レックス。『ほんにそうでしたね。では早速そのお話に取りかかりましょう……。』


九 幽界の大暴風雨

目  次

十一 レックス中尉の守護神


"A Subaltern in Spirit Land"

底本:「幽界行脚」 嵩山房

発行: 1931(昭和6)年1月15日発行

John Sebastian Marlowe Ward

J.S.M.ワアド著

淺野和三郎・粕川章子共訳

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビ と、入力者による振り仮名は、右の様に表示されます。表示事例ひょうじじれい、その他、難解な言葉遣いに対しては適宜、注記いたしました。

※ 訳者の一人、粕川章子氏の翻訳家著作商用権は2018年まで有効ですが、当サイトは粕川章子氏の御遺族の同意を得て公開しております。なお、本文の転載、商用利用などは御遺族の了承が必要です。


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