幽界行脚

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九 幽界の大暴風雨

 一九一六年六月十九日の幽界旅行ではワアド氏は、又してもひどい大暴風雨おおあらしに遭遇しました。墨を流したようなやみ、それがもくもくもくとかさなってはちぎれ、ちぎれては又重なり合う有様は真暗まっくらな夜の海の荒れ狂うのに似通いました。四辺あたりには間断なき風のうなり、雷のとどろき、又蒼白の幕をひらめかす物凄ものすごい電光。――ワアド氏の幽体はさながら一ぺんあしの枯葉のように、右に左に、上に下に間断なく吹き飛ばされました。ちる時には無限に墜ち、昇る時には無限にのぼり、自分はそれっきりになってしまうのではないかと何遍なんべん心配させられたか知れなかったといいます。が、そのうち何やら手応てごたえのある固形体にぶつかり、辛くも闇の波濤の中からいあがって見ると、其所そこは山と山とに囲まれた、やや安泰あんたいな一区域でした。

 烈風にかれながらも、だんだん里らしい方向に進んで行きますと、次第に暴風雨あらしはその威力をゆるめ、それに連れてワアド氏の歩調ほちょうほとんど飛ぶようにはやまりました。周囲の山河は見る見る秀麗の度を加え、風雨も全くおさまり、やがて日頃おなじみの村にいて、例のレックスの住居へと行きました。

 今度は叔父さんもレックスも、どちらも内に居て、ワアド氏の来着らいちゃくを待っていました。

 ワアド。『ドーも大変な暴風雨あらしでしたネ。私は生れてまだあんなひどい奴に遭遇でくわしたためしがありません。いくら幽界だってあんまり猛烈もうれつすぎます。あれにはんぞしかるべき理由わけがあるのですか?』

 叔父。『現在幽界の末端はずれの方はあんな状態にありますよ。殊に東方とうはうの戦線の方面がひどい。目下そっちの方に激戦げきせんがあるのでナ。一たい戦争のめにき起される憎みと怒りの熱は、いつも幽界の空気に影響してそのめに大暴風雨おおあらしを造ります。丁度ちょうど地上の風が温度の変化や、放電ほうでんの作用で吹き起されるような塩梅あんばいに……。』

 ワアド。『そんなものですかねえ。』

 叔父。『そんな事はお前にモーわかっている筈じゃが……。』

 ワアド。『成るほどそうっしゃれば、私が最初はじめレックスを捜しに幽界にやってまいりました時にも、一種の暴風雨あらしに出逢いました。しかしあの時の気色けしきはむしろ陸上の雷雨に似ていました。ところが今日のは海上の暴風雨あらしみたいで、しかも何やら私は水中みずのなかにもぐっているような気がしました。』

 叔父。『お前は今陸上の雷雨らいうと云ったが、あれは大体幽界の敵味方てきみかたの間に進行中の戦闘そのものじゃ。換言かんげんすれば幽霊同志の戦が、あの雷雨の形式かたちとなって現われたのじゃ。電光と見えたのが即ち幽界の砲火であり、雷鳴らいめいと思われたのが即ち幽界の砲声ほうせいなのである。ところがお前が今日経験したのは、地上に荒れくるう憎悪の念が、幽界の微分子びぶんし大振盪だいしんとうを起した結果なのである。お前が今までそれに気がつかずにいたのは、むしろ不思議な位じゃ……。』

 そう言って、叔父さんは何やら考え込んでしまいましたので、ワアド氏はやがて弟の方に話頭はなしを向けました。

 ワアド。『レックス、一つお前の経歴譚けいれきだんのつづきをしてもらおうかナ。』

 レックス。『僕の経歴譚けいれきと云ったところで、モー大抵お話してしまいましたよ。――前にも申上げましたとおり、僕は戦争の最中さいちゅう――』むろんそれは幽界の戦争のことですが、その最中にサーチライト見たいな大きな光線ひかりが、下方からズ……ツと射出しゃしゅつして来るのに気がつきました。丁度それは一つの大きな漏斗じょうごが開いたようなもので、其所そこから地上の光景がのぞかれるのです。見れば其所そこは寺院の内部なかで、父上も兄上も、それから僧侶達も加わって祈祷いのりをしている。殊に私をおどろかしたのは霊界の居住者が沢山たくさんこれに参加して居ることで、これ等の人達の多くは渾身こんしん光より成り、えも言われぬうるわしさです。これが所謂いわゆる聖者の集会あつまりというものかナ、――僕は直にそう考えました。兎に角僕はその時の祈祷いのりが身にしみてうれしかったです。心のなやみがそれによりて一そうされ、希望がはらの底から湧き出してまいりました。祈祷いのりう行けば誠に難有ありがたいですが、ことごとくそうばかりは行きそうもないですナ。中には霊界スピリットプレーンどころか、幽界アストラルプレーンにすら達せぬのが沢山ありはせんでしょうか?――叔父さん、これに対するあなたの御意見ごいけんうかがいもので……。』

 叔父。わしの考では、ドーも大ていの祈祷いのりは、それをっている寺院の内部なかだけのもののようじゃ。祈祷の効力は礼拝者らいはいしゃがどれ丈一生懸命であるか、又何所どこまで心が一致して居るかによってまるので、長たらしい祈祷は却ってダレてかん。短かい祈祷のほうがよく通ずるのがあるように思われる。わしは何遍もためして見ているが、ドーも霊界まで通ずる祈祷いのりというものははなはだ少ないものでナ……。』

 しばらく沈黙ちんもくがつづきましたが、やがてレックスがおもむろに口を切りました。

 レックス。『このへんでモー僕の話は大体終りです。僕達がんなふうで太古の境涯から戻って来たか、それからうしてここに住居を定めたか――そんなことは、にいさんが先刻御承知の事ですから……。

『僕の伝令が戦死してからは、僕達はその捜索に忙殺されて一こう落付いて会話はなしきませんでしたネ。――イヤしかし僕達があの男を見つけ出した時は実に滑稽こっけいでした。あいつ自分の死んだことに気がつかず、さかんに奮闘して居ましたが、ひょつくり僕の顔を見た時の、びっくりした顔と云ったらありません。僕はんでからその時初めて笑いましたね……。

『やっとの事であいつを戦線から引っり出し、いろいろいてきかせましたが、なかなか承知しません。「敵に背後うしろを見せて逃げ出すとは卑怯ひきょうの振舞だ……。」そんなことを言って逆戻りをしようとするのです。ただ死んだ筈の僕が現に其所そこに居るので、こいつァ自分も死んだのであろうとようやく気がついて来たのです。その時のあいつの言草いひぐさが振っていましたよ。――「うして死んだ人間と会話はなしができるところを見ると、自分も死人の仲間入りをしたのかな。しかしその境目さかいめがさっぱりわからん……。」

『兎も角も彼を戦線の背後はいごに連れ去り、今でも其所そこに置いてありますが、僕見たいに太古の無声界まで連れてって教育する必要があるかドーかは未定のようです。イヤしかしにいさんが御存じの陸軍士官――あの方の非凡ひぼんな人格には今更いまさらながら全く恐れ入ってしまいます。あの方が一言うだと言えば決してそれに相違ないのです。目下いま僕の伝令はあの方に監督されていますから心配はすこしもありません……。』

 しばらくしてから、ワアド氏は二人とわかれて下界に向いましたが、例の暴風雨あらしは少しも鎮まっていないので、もと来た場合と同様、惨憺たる難航なんこうをつづけ、辛うじてロンドン郊外の地上へ辿りつくことができました。その時ワアド氏がガランとして人通りのないフィンチ街道をくだり、つづいてウィリフィールドがいをのぼりて自宅にき、二階の寝室へ入って自分自身の寝姿ねすがたを見たまでは知っていたが、あとは意識を失ってしまったそうであります。


八 レックスの物語 (つづき)

目  次

十 大入りの幽界


"A Subaltern in Spirit Land"

底本:「幽界行脚」 嵩山房

発行: 1931(昭和6)年1月15日発行

John Sebastian Marlowe Ward

J.S.M.ワアド著

淺野和三郎・粕川章子共訳

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビ と、入力者による振り仮名は、右の様に表示されます。表示事例ひょうじじれい、その他、難解な言葉遣いに対しては適宜、注記いたしました。

※ 訳者の一人、粕川章子氏の翻訳家著作商用権は2018年まで有効ですが、当サイトは粕川章子氏の御遺族の同意を得て公開しております。なお、本文の転載、商用利用などは御遺族の了承が必要です。


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