幽界行脚

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七 レックスの物語

 一九一六年六月十二日の晩にワアド氏は更に幽界の奥深くくぐり入り、前回に叔父さんと弟とに会合した家屋に入って見ると、今日は叔父さんは不在るすで、レックス一人がポッネンとしてすわっていました。

 ワアド。『これこれ叔父さんは何処どこへ行かれたのかい?』

 レックス。『イヤ叔父さんは例の士官を捜索さがしているのですが、まだ見つからないのです。兄さんがお出掛になってからすぐに出張して、そのまま帰って来られないので、僕はさびしくてさびしくてしょうがないです。モー追ッつけ戻られそうなもので……。』

 ワアド。『ナニ戻ってられるとも。お前はそんなことに構わずズンズン前回の物語のつづきをきかせてお呉れ。――叔父さんは私との月曜日の会見に一度もスカをわしたことがないから、今日だってきッと大丈夫だいじょうぶだ……。』

 レックス『それじゃ早速始めましょう。にいさんが帰られてから叔父さんは僕に詳しく幽界アストラルプレーンの説明をしてきかせて呉れました。叔父さんの話はざっとうです。――

 お前が現在住んでいるこの幽界アストラルプレーンというものはる程度物質じゃが、しかしその物質は極度に微細で、地上のそれと比較すると丁度ちょうど瓦斯体ガスたいと固形体とを並べたようなものじゃ。兎に角幽界はすぐ地上界と接触しているので、従って私が居住する霊界スピリットプレーンくらべると遥かに地上臭いところがある。

 幽界は大体ダンテなどのえがいている煉獄の思想に符合ふごうしている。所謂地獄は霊界の所属である。又天国というのも、ひくいところは霊界にあるが、しかし真の上等な天国は霊界よりも上のものじゃ……。

 幽界に居住する間は、お前はまだ地上の影響えいきょうから免れることはできぬ。多くの人達は地上の影響が単に悪人のみに限るように言うが、それは事実でない。幽界の居住者は地上へりて行って、ある善行を積むことによりて、過去の失敗過誤をつぐなうことができる。同時に又地上へ行って禁断の果実を味わい、くだらない真似まねをすればそのめに害毒を招く[#「招く」は底本では「招ぐ」]ことにもなる。あんまり悪事を働くと、しまいには霊界の最低部――まことの地獄に落ち込んでしまう。其所そこから上の結構なところへ上るのはこの幽界から上るよりも遥かにみちが困難じゃ。

 私は今まことの地獄ということを申したが、この幽界にも大へん、地獄に類似したところがあって、表面的うわつらの観察者にはそれがしばしばほんものの地獄と間違われるのじゃ、地上にも地獄まがいの境涯ところがあるから、幽界にも当然そんなところがありそうなことじゃ。邪悪な連中が集まって居ればその付近が地獄らしくなるにきまっとる……。

 お前はよく注意してそんな境域ところに近寄らぬことじゃ。殊に悪友と交わるのが一等けない。人体に憑依ひょういすることを勤める奴に禄なものはない。そんなやつとの交際は極力避けるのじゃ。――お前は憑依ひょういということを知って居るじゃろう?

「知っています。いつかにいさんからその説明をくわしく聴かされましたッけ……」と僕が答えました。叔父おじさんはお言葉をつづけ、

 どーも困ったことには、お前の守護神しゅごじんは大分遠く離れているらしいが、それはやがて修正されるとして、不取敢とりあえずお前はこの新しい境涯ところに安住するような手がかりを作り、就中とりわけ戦争だのんだのという、娑婆臭しゃばくさい事柄からお前の精神を切り離してしまわねばかんナ。

 さァこれから現世げんせとの連絡の絶無なところへ出掛けるとしよう……。

『そう言って叔父さんは、僕を連れて長い長い限りなき旅に出掛けたものです。最初の間周囲まわりには濃霧が立ちこめて、混乱と恐怖との空気がみなぎっていましたが、だんだん荒涼寂寞こうりょうせきばくの度を加え、大氷原だいひょうげんを渡ったり、原始森を突き抜けたり、大沼沢を横断したりしているうちに、しまえには一切の生物が絶滅して、歴史以前の奇怪なる動物の影さえも失せ、森閑ひっそりとした無音無声界となったので、これはにいさんも御存じの通りであります。

『このさびしさは僕の頭脳あたまに喰い込み、ほとんど痛みを感ずる位、あたかも焼鏝やきごてのように、めちゃめちやになった神経のもつれを焼き切ってくれました。――が、それもしばらくで、だんだん気持のよい鎮痛剤のように僕の全身にしみ込んで、すべてをいやし、すべてをきよめ、同時に周囲がだんだんはっきりして来ました。僕は初めて自分の居る場所が、石の多い荒地であることに気がつきました。あッ、只今いま叔父さんがお帰りです……。』

 レックスがそう言うより早く、いて叔父さんが入り、そのすぐ背後うしろにはかねてお馴染の例の陸軍士官がつづきました。ワアド氏はよろこんで二人を迎えましたが、ただ陸軍士官の容貌かおかたちの変化しているのには一方ならずびッくりしました。最初った時分の、あの唇辺の惨忍ざんにんな皺はほとんど消え、その眼光めつきなどは鳩のようなさしみを帯び、そのくせニヤケ気味などは微塵みじんもなく、実に立派な大丈夫ますらおになっていました。

『イヤ』と彼はワアド氏と熱心に握手あくしゅしながら『この前あなたとお別れしてから、私は此方こちらへ末て一生懸命仕事をして居ますが、その結果は面白おもしろくないでもない。まァ吾輩のがら相当な仕事でしょうナ。くわしい話は後でします。――ところで肝腎の用事だが、これからレックス君の伝令の行方ゆくえを捜して上げます。ついでにワアドさんも吾輩と一しょにやって来ませんか?』

 叔父。『それもわるくはないが、まだ少々早過ぎましょう。――ついては』とワアド氏の方を向いて『今日はお前とゆッくり会話はなしをしていられない。何にしろ陸軍士官は愚図ぐず愚図ぐずしているのが嫌いで、これから早速仕事にかかろうというのじゃから……。』

 ワアド。『ではこのぎの金曜にお目にかかれましょうか?』

 叔父。『さァ私達の中、何人だれかが居ります。多分レックスが居るじゃろう……』

 ワアド。『じゃ今日はこれでお別れします。』

 そう言っているもなく、ワアド氏一人を残して一同ゾロゾロ玄関から出て行きました。ワアド氏は急に疲労つかれを覚え、早速其処そこに置いてある安楽椅子の上にころがって眠りましたが、眼がめた時には、モー地上にもどっていました。


六 レックスの死後の体験

目  次

八 レックスの物語(つづき)


"A Subaltern in Spirit Land"

底本:「幽界行脚」 嵩山房

発行: 1931(昭和6)年1月15日発行

John Sebastian Marlowe Ward

J.S.M.ワアド著

淺野和三郎・粕川章子共訳

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビ と、入力者による振り仮名は、右の様に表示されます。表示事例ひょうじじれい、その他、難解な言葉遣いに対しては適宜、注記いたしました。

※ 訳者の一人、粕川章子氏の翻訳家著作商用権は2018年まで有効ですが、当サイトは粕川章子氏の御遺族の同意を得て公開しております。なお、本文の転載、商用利用などは御遺族の了承が必要です。


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