幽界行脚

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六 レックスの死後の体験

 六月九日の幽界旅行は前回とは万事が大へんな相違で、二人はすでに現代まで戻って来ていました。

 ワアド氏がレックスを見出したのはフランス風の建物の内部でした。それは裏に庭園を控え、周囲には石塀をめぐらし、玄関は真直に街路までのり出した、すこぶる平凡な家屋で、ベルギー又は北部フランス辺でザラに見受けらるるものでした。

 内部の家具類はすッかり現代式で醜くもない代りに又面白味もない。壁には油絵やら、写真やらが適当に飾られていました。

 ワアド氏が室内に歩み入った時にレックスと叔父さんとは一個の卓子の左右に互に向き合って坐っていました。三人の間には早速対話が始まりました。

 ワアド。『時にレックス、お前の伝令はお前が戦死した三週間目にられてしまったが、モーそのしらせを受けたかネ?』

 レックス。『イヤまだ存じません。可哀相にさぞ幽界でまごついて居るでしょう。早く見つけ出してやりたいものです。誰だって死んだ当座はカラ意気地がありませんからナ。』

 叔父。『そいつァ是非見つけて世話してあげなければならんナ。しかしそうするには例の陸軍士官との接觸を得て置いた方が都合がよかりそうじゃ。あの人は私などよりもずッと幽界方面の事情に精通し、欧州大戦が始まってから幽界でなかなか大した働きをして居る。是非あの人の助力に預かりたいものじゃ。』

 ワアド。『それはそうとレックス、私はまだお前の口から幽界こちらへ来てからの纒まった物語をきいていないが、一つきかせて貰おうじゃないか。』

 レックス。『じゃ早速申上げましょう。あの当日僕達はずッと前から砲弾をあびせられ、それが時刻の移ると共にだんだん烈しくなるばかり、やがて御承知の通り、敵は左右から塹壕をたたき潰してどッと侵入して来たのです。味方は一旦首尾よくそれを撃退し、塹壕の末端を塞ぎとめましたが、死物狂の敵は猛然として更に盛りかえし、イヤそれからの重砲弾の雨下する有様と云ったら全くお話になりません。胸墻きょうしょうなどは木葉微塵こつぱみじんに吹きとばされ、味方の将卒はバタリバタリと濛々たる烟塵の裡に殪れて行きました。

『そんな状態が何時間つづいたのか僕にははッきりした記憶がありません。とに角僕は何物かにウンと一つ強くなぐられたように覚えると同時にツ……ツーツとあたかも矢を射るように下へ下へと墜落しました。四辺あたりは墨を流したような真暗闇で、最初僕はこいつァてッきり塹壕が爆破した結果、生埋にされたに相違ないと考えましたが、しかし何やら腑に落ちないのは四辺あたりが割合に広く自由で、いくらでも動きまわれることでした。

『それでも僕はまだ自分が死んだとは少しも考えません。多分こいつァ眼をまわした結果、錯覚を起しているのであろう。体の何所かに余程怪我でもしているに相違ない。――そう思って手で体中を探って見たが、しかし不思議なことには何所にも疵はない。そうする中にも大砲の響きは間断なく耳をつんざく……。

『僕は手さぐりで闇の中をうろつきながら試みに大きな声で呼んで見た。――が、誰もこれこたえるものがない。仕方がない、砲撃の止むまで待つとして、たばこの一ぷくもんでやれ。――そうあきらめをつけてポケットを捜して見たが、ドーしたことやらタバコもマッチも一つも見つからない……。

『そんなことをしている間にも僕は眩暈めまいがして、頭脳あたまの具合が変挺ヘんてこで、何やら時間の観念が不透明で、イヤに時が間延びがしている。お負けに可笑しいのは闇の中で物の形がはッきり判ったり、又妙な、ききなれない別の物音が聞えたりする……。

『と、たちまち僕の耳にドイツ語の会話が聞えました。こりャいよいよ塹壕を敵に奪られたナと思って、息をこらしているとつづいて猛烈な罵声が起る。そいつは英語なのです。変だナと思う間もなく、互に入り乱れて格闘する黒い姿の一群の兵士が渦巻をなして僕のすぐ側を擦過して行く。イヤ_後から後からとそんなものがいくらでも押し寄せる。格闘がここかしこに起る。見る間に戦線が拡大して行って、とうとう僕もその渦中にまき込まれてしまいました。

『僕は一人のドイツ兵を見つけてイキナリ真正面からピストルを一発あびせかけてやりました。すると其奴そいつは[#「其奴そいつは」は底本では「其奴そいつか」]たれたくせに一向平気な顔をしやがって、手に構えた銃槍をイヤというほど僕の胸に突き刺す。ちょっと痛かったがすぐ止んだので僕は構わず奮闘をつづける。何も彼もカラ無茶苦茶、突く、剌す、切る、つかみ合う、射ちッくらをする。まるきり悪夢の中の戦闘で、何方どっちが勝つでもなければ又負けるでもない。ただあばれる丈あばれ、戦える丈戦うのです。時は無限に永久に過ぎる。辻褄も合わなければこれという意義もない。ただ同一事の繰り返しです。頭上には電光がひらめく、雷霆らいていがとどろく、砲火がはためく、四周あたり真暗まっくらで月もなければ星もなく、霧のような実質ある闇が、ひしひしとわれわれを包み、われわれを圧迫して一歩もその外に脱出することを許さない。

んな間断なき争闘の裡にありながら、何所やら遠方に葬式の祈祷の文句が聞え、それに混りてコツコツコツコツと鋤で土を掘る物音がする。むろん当時の僕にはそれが何のことやら少しも判らない。当時の僕にはただ目標なしの連続的格闘がいかに何でもあんまり下らなく、莫迦ばからしく感ぜられ[#「感ぜられ」は底本では「感せられ」]、一時も早くこんな夢魔的境涯から脱れたいものだとただそればッかりわれた。

『とうとう僕は一人のドイツ兵を捕えて叫びました。「なぜ汝はくたばらないのだ? 汝は俺のめに三度も射殺されたのじゃないか!」そういうと其奴そいつが笑い出しました。無論其奴そいつの喋るのはドイツ語なのですが、あたかも[#「あたかも」は底本では「あだかも」]英語見たいに僕に判るのです。――

「莫迦だネお前は! ドーしてこの俺が死ぬるものかい! ここに居る俺達は皆モー死んでいるのだ。一度死ねば二度と死ぬ気づかいはない。ここは地獄で、未来永劫一分間の休みなしに喧嘩をつづける所だ……。」

「嘘をけ!」

 と僕が答えると、相手はたちまち僕に跳びかかって手にせる銃槍をものの見事に僕の体に突き通し、

「若しお前が生きているものなら、ドーしてお前がすぐこれで死なないのか?」

 と叫びました。これには僕も一言なかったのです。

そこで僕はむらがる集団の中をつき抜け、何所どこか閉静なところへ行って落付いて前後の事情を考えて見たいと思いましたが、いかに薄暗がりの中をほッつき廻って見てもさッぱり駄目、僕の行くきざきで多数の亡者共が格闘をやっていて、自分もただちにその渦中にまき込まれてしまうのです。

『自分には幾世紀かに亘るかと思わるる、永い永い期間うろつきまわった挙句、やッとの事で、とある小丘を見つけて腰を降して居ると、突然僕の耳に聞えるのは兄さんの声なのです。僕はその声をしるべに闇の中を無茶苦茶に突進すると、兄さんが見慣れない一つの室にいて何やら僕に注文する光景がかすかに眼に入りました。僕は死物狂いになって、そこへ近づこうともがきましたが、いつしかその光景は烟の如く消えて、四辺あたりには又もやおめき叫んで切り合い、打ち合いする軍卒が雲霞うんかの如く充ち充ちました。僕は止むなく又その渦中から逃げ出し、山と云わず、野と云わず、泥濘ぬかるみと云わずただ一散に重き足を引き摺り引き摺り、何回水溜や泥濘の中に陥ちたか知れません。最後にはへとへとになって路傍に打ッ倒れてしまいました。

『すると又も聞えるのは兄さんの呼声――僕は再び起き上って、盲滅法に闇の中を突進しました。

「兄さん兄さん! 僕はここにいます。安心してください!」

 余り安心した境遇でもありませんが、附元気つけげんきを出してんなことを叫びつつ一生懸命に兄さんの声を目標に走りましたが、又もや兄さんの声も姿も共に消えてしまって、ぐるりはあやめも分かぬ真の闇、何所どこに取りつく島とてもありません。ただいくらかましなのは、戦線が余ほど遠ざかって自分が戦渦の中にまきこまれずに済むようになったことでした。

『僕は遠雷えんらいうな砲声をききつつ腰を卸して、バラバラな断絶とだえがちの思想を成るべくまとめようと努めました。一体ここは何所かしら……。僕は今死んでいるのかしら……。そしてこの夢魔式の辻褄の合わない境涯は_そもそも何を意味するのであろう……。兄さんから日頃聞かされた幽界生活――自分は今其所そこへ来ているのかしら……それともドイツ人がかしたようにここは地獄なのかしら……。イヤ若くて急激の死を遂げたものは最初から地獄へはちず、その前に是非一度幽界の関門かんもんをくぐる筈である。ここは矢張り幽界に相違ない……。

『そんなことを考えている最中さいちゅうに、又もや兄さんが見え出しました。なつかしいお姿が闇の中をば一歩一歩に僕の方へしずかに歩み寄る――イヤその待ち遠しさったらありません。今度もプイと消えはしないかしら……僕はただそればかり心配しましたよ。が、いよいよ接近した所を見ると兄さんは幽界の他の住人とはよほどちがったところがあって、何所どこやら僕の眼には非実質的に感ぜられるのです。其所そこあるいは僕達よりも一層実質的な点かも知れません。兄さんに一つの特徴は一じょうの銀糸のようなものを後ろに引ッ張って居る点で、ほかの者にはそんなものは、一つも見かけません。そいつは頭髪かみのけのように細いものだが、しかし見渡すかぎり何所どこまでもつづいているのです。

『イヤそのときの会見のうれしかったこと……。僕のめに兄さんが叔父さんを連れて来てあげると言われた時などは全く以て有難く感じました……。

『あなた方も御存じのとおり、外国滞在中母国語をきいた時のうれしさは一と通りや二た通りではないものです。して僕見たいに地上を離れた独り法師ぼっちのさびしい境涯、ここで肉親の兄から絶えて久しき地上のなつかしい消息たよりと友情の溢れたる慰めの言葉とをきかされる……。その時のうれしさはとても筆にも言葉にもつくされるものではありません。

『兄さんがむしろあッけなく立ち去られた時に、僕の胸には随分空漠くうばくを感じはしましたが、しかし新らしい希望を植えつけていただいたお蔭で、前に比べるとどことなく元気が違います。待って待って待ちぬいて、いよいよ兄さんが叔父さんと連れ立ってここへお見えになられた時のうれしさ、心強さ! 今想い出してもゾクゾクします。

『その時気がついたのは、叔父さんの姿が僕達と違って居り、又兄さんのとも違っていることでした。叔父さんの幽体は臨時間に合わせのシロモノで、間断かんだんなく消散しようとするのを、叔父さんはしきりにそれをつなぎ合わせ、時とすると暫時しばし何所どこかへ行って補充されるようです。

『叔父さんが来て居て戴くお蔭で、これまでにもモー僕は大へん利益を受けています。眩暈めまいなどはモーすこしもしません。又過去において僕の身にんなことが起ったか、又将来僕の住むべき世界の法則はんなものか、それ等も大体教えていただきましたから、僕見たいなものでもドーやら無事に行けそうに考えられます……。』

 レックスが其所そこまで語ったときに叔父さんが口を挿みました。――

娑婆しゃばのお客さんが帰る時刻が来たから、今日の物語はその辺でけりをつけ、以下次号としたらよかろう。無理に一度に形附けなくともい……。』

 そこでワアド氏は二人と分れ無限むげんの空間をただ一気に突破して肉体に戻り、そのまま物語のつづきを失いました。


五 帰路

目  次

七 レックスの物語


"A Subaltern in Spirit Land"

底本:「幽界行脚」 嵩山房

発行: 1931(昭和6)年1月15日発行

John Sebastian Marlowe Ward

J.S.M.ワアド著

淺野和三郎・粕川章子共訳

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビ と、入力者による振り仮名は、右の様に表示されます。表示事例ひょうじじれい、その他、難解な言葉遣いに対しては適宜、注記いたしました。

※ 訳者の一人、粕川章子氏の翻訳家著作商用権は2018年まで有効ですが、当サイトは粕川章子氏の御遺族の同意を得て公開しております。なお、本文の転載、商用利用などは御遺族の了承が必要です。


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