幽界行脚

Today:111 / Yesterday:112 / Total:447645

三 過去の時代へ逆行

 一九一六年五月六日のワアド氏の幽界旅行は過去かこの時代への逆行ぎゃっこうという、はなは興味きょうみある経験を物語ものがたって居ります。

 叔父さんのL氏とおとうとのレックスとはワアド氏が前回にわかれた時とほとんど同一地点にとどまっていました。挨拶あいさつが済むなり叔父さんから言葉くちを切りました。――

 叔父。『ドーもレックスは頭脳あたまの具合がまだすッかり本当ほんとうではないようじゃから、一つ無声界に連れて行って静養せいようさせようと思うのじゃ。そうすればきッと精神こころの釣合が早く恢復かいふくするに相違ない。』

 ワアド。無声界むせいかいですって? それは又んな境界ところございます?』

 叔父。『お前も知ってるとおり、この幽界という所は時代じだい時代じだいで幾つもの層に分れている。氷河時代もあれば石炭時代もあり、そのほかどんな時代でもある。なかで一番古いのは地質学者ちしつがくしゃ所謂いわゆる古成層時代に相当そうとうするもので、生物いきものらしいものはほとんど一つもなく、軟体動物なんたいどうぶつさえまだ発生して居ない。私はそんな境地ところへレックスを連れてこうというのじゃ。其所そこへ行けば欧州大戦であろうが、何であろうが全く没交渉ぼつこうしょうの別天地で、絶対的ぜったいてき無声無音の理想的保養がきるというものじゃ。――ドーじャおまえも途中までつき合わないか?』

 ワアド。『そいつァ是非一つ御供おともを願いましょう。』

 そこで三人は連れ立って早速其所そこを立ち出でましたが、成程なるほど叔父さんのいう通りレックスは幾らか意気いき銷沈しょ うちんていで、そして何やらぼんやりと、とりとめのない空想くうそうふける様子が見えましたので、ワアド氏はみちすがらせいぜいその元気げんきを引き立てるようにつとめました。

 しばらくすると三人は現代げんだいの地上の光景にそっくりの一地方に進入しんにゅうしました。所々に都市らしいものが見えるが、しかし叔父さんはるべくそんな所へははいらすに、田舎道いなかみちばかりを選びました。それ等の市街まち村落そんらくあきらかに最近地上から幽界ゆうかいへ引き移って来たものらしく、現にレックスがフランスの東北地方又はオランダへんで見覚えのあるのが沢山たくさんありました。就中とりわけ著しく目立つのはイーブルの市街で、その巨大きょだいな寺院並に公会堂こうかいどうの高い屋根が周囲に密集みっしゅうせる家々の屋根の上に聳立しょうりつして居る光景は戦禍にほろびる前の、元のイーブル市の光景こうけいそっくりでありました。

 しばらくしてその地方ちほうを通り過ぎると、今度あらわれたのはほとんど、英国そっくりの一地帯ちたいでありましたが、ただ建築物の大部分だいぶぶんは十八世紀のもので、そろそろ現代離げんだいばなれがして来ました。

『とうとう一世紀せいきはんばかり逆行して、ジョージ王朝おうちょうへ来てしまった。』と叔父さんが言いました。

彼所あそこに居る人達を見るがよい。』

 成程そう言われてがついて見ると一七七〇年ごろの服装なりをした男女の一ぐんが自分達のすぐ傍を通過つうかして行きました。いずれも意外な面持おももちちをしてポカンと此方こちらを見つめて居るのみでした。

 ワアド。『一たい叔父さん、十八世紀頃の人間がうして今まで幽界に愚図ぐず愚図ぐずして居るのでしょう? とう霊界スピリットプレーンに行って居そうなものですのに……。』

 叔父。『さァいずれも進歩しんぽする気がない人達じゃろうナ。と言って別に人間に憑依くっついてイタズラをするような悪人達でもないから地獄じごくにもおとされないでいるのじゃネ。大概たいがいの霊魂は地上に住むと丁度同じ位の年月としつきを幽界で暮らすのが規則じゃが、んな時代にも少数すこしづつの例外があるのはうした理由か私にもまだ充分わからない。そんな連中は何時いつまでもだらしなく幽界に居続いつづけして、大古の氷河時代ひょうがじだいから未だにここにるものがあるから妙じゃ。

『無論全体からるとその割合ははなはだ少ない。しかし縦令たとえ百人に一人の割合でも、のべつまくなしに死ぬものがあることをかんがえると、積り積ってそれが容易ならぬ人数ひとかずになる。

『中には又地縛じばくの霊と称するものがあって、其等それらは幾世紀となく地上の旧宅に入りびたっているものじゃ。いわゆる幽霊屋敷ゆうれいやしきはそのめに出来るものじゃが、実を言うと其様そんなのは正真ほんとうの幽霊ではなくて、すでに霊魂の脱出ぬけだしてしまった幽体のみの脱穀ぬけがらであるのが多い。それ等は単に在来いままでの情勢でブラブラしているだけじゃからこわくも何ともない。』

 叔父さんがんなことを説明しているうちに三人は早くも十七世紀のジャコビン時代にさかのぼり、向うの並木路なみきみちには一六三〇年頃の服装なりをした男女がぞろぞろあるいて居るのが眼に入りました。

 んな具合に、一時代から他の時代へと次第に逆行ぎゃっこうしてとうとう古典時代にあゆみ入ってしまいました。

 叔父さんは通過つうかする各時代にきてそれぞれ説明して居ましたが、古典時代こてんじだいに就きてはんなことをいました。――

『無論ここは古典時代と云っても英国の境域さかいを離れてはしないから、こんなところでローマ文化ぶんかの精華に接触せっしょくする訳には行かない。ブリテンとうは何と云ってもローマ帝国の片田舎かたいなかで、原始時代の臭味くさみけ切れない。チャキチャキのローマ人がここへ来るのは言わば一の島流しのかくで、期限が来ればさッさと本国へ引きげてしまうのじゃ。――しかし、向うに見える御社みやしろはなかなか見事に出来ているのう。』

 そう言って一個の社をゆびさしましたが、成程その前廊ぜんろうが右手の樹木のしげみの中にチラチラ見えるのでした。

 すると、その瞬間にローマふうの、トガを着た一人のおとこが三人の前に現われてはなしかけました。――

『これこれあなたがたはさっぱり見掛けぬ人達じゃが、何所どこから来て何所へかれるのじゃナ?』

 もちろん彼はラテンで話したのでしたが、三人のみみにはすッかり英語でひびきました。古代の住民で三人にはなしかけたのはこの人物が最初はじめでした。

 叔父さんがそれにこたえました。――

『私どもは二十世紀の住民じゅうみんで、ゴールの戦場せんじょうからまいったもので、この年若き士官しかんに静養させる目的で無声界むせいかいへ行く途中でございます。――それはそうとあなたは何誰どなたさまで?』

 ローマ人。吾輩わがはいはクローディアスといつて、第十師団しだんの百人隊長をつとめたものじゃが、お話によると目下ゴールに戦争せんそうがあると見えますナ。ゴール人が叛旗はんきでもひるがえしましたか、それともドイツ人が例の侵入しんにゅうでも始めましたか?』

 叔父。『イヤ、ドイツ人がゴールへめ入ったのです。そこで、ブリトン人、ゴール人、イタリー人が連合して鋼鉄こうてつの壁を築いて防禦ぼうぎょしている最中で……。』

ローマ人。『感心かんしんじゃ! そうなければならん。シテ目下もっかローマの皇帝は何誰どなたござるナ? 吾輩永い間地上よりの消息にせっしないのでさっぱり勝手かってが判らんが……。』

 叔父。現在げんざいはローマには皇帝こうていなどはございませんがナ……。』

 ローマ人。『これこれみなさんソー人をかついてはけない! 吾輩が大昔おおむかしに地上を去ったと云うので、それをいことにして人を愚弄ぐろうするという法はない! 正直しょうじきにローマ皇帝の御名前をきかせてください!』

 叔父。『イヤ私は事実じじつを申上げて居るのです。ローマ皇帝こうていが亡びてからモー百年以上になります。その以前とても何百年かの間名称めいしょうはローマ皇帝と云いつつも内容はドイツ人であって、権力けんりょくは少しもなく、しかもローマにさえめないでダニューブ河岸で司配しはいして居たのです。』

 ローマ人。『これはしたり、あなたは意外いがいなことばかり仰ッしゃる! 最後さいごの皇帝は皆ドイツ人……今日では皇帝こうていがない……。まるで夢物語ゆめものがたりじゃ! 若しもそれが真実ほんとうの話だとすると――あなたの話振りではドーも真実ほんとうらしいが――こりャんでもない事ですぞ! ローマがほろぶれば世界が滅びるという予言よげんがありますぞ。ローマに皇帝がない以上、世界の命数めいすうきたというものじゃ。――一たい現在では何人なんびとがローマにおいて主権をにぎって居るのです?』

 叔父。『イタリー王が司配しはいして居ります。勿論むろんかつてはローマ法王ほうおうが主権を握っていた時代もありましたが、今日こんにちではローマ法王はただローマにむだけです。もっと司配しはいはせずともローマ法王ほうおうはなかなか重要じゅうような人物には相違そういないので……。』

 ローマ人。『イヤいろいろあたらしい事をきかせてくだすってあつ御礼をのべます。吾輩わがはいに取りて皆初耳はつみみのことばかりじゃ。ローマ法王とやらいうもののうわさだけは余ほど以前いぜんにチラと耳にしたように記憶しますが、皇帝こうていのなくなったことは今日はじめて知りました。それはそうと今度の戦争はんな塩梅あんばいですナ?』

 叔父。『イヤなかなかの激戦げきせんでドイツ人は多数の都市を劫掠ごうりゃくし、多数の人民を殺戮さつりくし、男女老若の区別なく無慈悲むじひ極まる取扱いをなし、一さいの軍律を無視むしして居るのです。』

 ローマ人。『イヤ、ドイツ人というやつはいつも惨酷でそして譎詐性きっさせいに富んだ奴原やつばらじゃ。彼等のいうところはとんと当にならない。戦争にければおとなしく条約に調印ちょういんするが翌くる年の夏には平気でそれを破る。あんなやつどもはせいぜい神罰しんばつが当るがよい。――皆さん、おしずかに……。』

 そう言って彼は彼方かなたの神社に達する街道をスタスタすすみましたので、三人はそれとわかれて更に前進ぜんしんをつづけました。

 が、そうする中に次第に一さいの文明は後に残され、見渡す限り欝蒼うっそうたる森林のつづきとなり、ところどころに小っぽけな村落そんらくがあるばかり、其辺そのへん往来おうらいする男女はことごとく獣皮の衣服きものを着て居るのでした。

 それまで沈黙ちんもくを守りつづけて居たレックスはきゅうに言葉を発しました。――

『これはドーやらブリトン人の時代じだいらしいですが、このぎは所謂いわゆる新石炭時代になるでしょうナ。イヤんな面白い旅行りょこうたらありません。たッた一の旅行で、生きて居る時分じぶんに何冊かの書物を読んだよりははるかに歴史れきしを覚えます……。』

 が、この時ワアド氏はようや疲労ひろうを覚え、つ地上の肉体にくたいがしきりに呼んでいる様子なので林間りんかんのとある小路こうじで足をとどめました。

 ワアド。『私はこれでおいとまを致しますが、次回には何所どこでお目にかかりましょうナ?』

 叔父。『そんなことは心配しんぱいせずに、お前の精神を私達の上に集中しゅうちゅうすればよい。すぐにえる。むろん其時そのときには私達わしたちは無声界にいている……。』

 ここでワアド氏は二人にわかれを告げて荒野道を帰りかけましたが、たちまち一切が濃霧のうむの裡に消え去りてあとは前後不覚ぜんごふかくになりました。


二 叔父の出馬

目  次

 四 無音無声


"A Subaltern in Spirit Land"

底本:「幽界行脚」 嵩山房

発行: 1931(昭和6)年1月15日発行

John Sebastian Marlowe Ward

J.S.M.ワアド著

淺野和三郎・粕川章子共訳

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビ と、入力者による振り仮名は、右の様に表示されます。表示事例ひょうじじれい、その他、難解な言葉遣いに対しては適宜、注記いたしました。

※ 訳者の一人、粕川章子氏の翻訳家著作商用権は2018年まで有効ですが、当サイトは粕川章子氏の御遺族の同意を得て公開しております。なお、本文の転載、商用利用などは御遺族の了承が必要です。


心霊図書館: 連絡先