幽界行脚

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二 叔父の出馬

 一九一六年五月二日、ワアド氏の霊魂れいこんはいつもの筆法で恍惚こうこつ状態じょうたいおいて肉体から遊離し、叔父の住む霊界へと旅立たびだちました。そんな事は近頃ちかごろはモーすっかりお手のもので、かれは間もなく例のおなじみの山河を見ながら公園こうえんを通り抜けてさッさと叔父おじさんの校舎の一室に入ったのでした。

『叔父さん』と彼は叔父のかおを見るなり『何卒どうかレックスをたすけてあげてください。レックスは四月二十一日の受苦日グッドフライディにフランスの戦場でられてしまいました。叔父さんはモーそれを御存じで?』

『イヤ私は知りませんよ。』とかれはワアド氏に手をさしのべながら『お前にも近頃ちかごろはモー判ったじゃろうが、霊界れいかいの居住者が一切のことを決して知っているわけのものではない。殊に最近さいきんになって私は地上との接触せっしょくを次第に失いかけて居る。おまえめにはレックスの死は大へん気の毒じゃが、しかしわしの身に取ってはそうばかりでもない。私はむしろ親族みよりのものが国家のめに生命いのちささげたのをうれしく思います。で、わしはお前に向って世間並のくやみの文句を並べるようなことはしまい。お前もよく承知しょうちして居るとおり、死ということはたんに一つの土地から他の土地へ引移るまでのことに過ぎない。――が、かくお前が知っている丈の、前後の事情じじょうをよく聞かせて貢いましょう。むろん私の力量ちからに及ぶかぎりの手伝てつだいはするにきまっている……。』

 ワアド。『弟は榴弾りゅうだんでやられたのです。周囲の塹壕ざんごうが一つ一つドイツ軍の手にうばわれる苦戦の最中、弟は部下ぶかを督励して一歩も退こうとしない。すると敵からびせかけた高爆発力の砲弾の雨――弟は一遍に戦死してしまったそうで、所属の中隊長並に副官ふくかんからは大へん弟の勇気を賞讃しょうさんして来て居ます。弟は塹壕ざんごうの一角を死守して最後まで部下をはげまして居たといいます。――屍骸しがいはツイこの復活祭ふっかつさいの当日に埋葬まいそうされました。』

 叔父。出来でかしたレックス! あの肥大ふとッちょの、菓子食いの駄々だだんな立派な最後を遂げようとは実に意外千万じゃ! 強いやつじゃ! しかも日もあろうに、受苦日グッドフライディに戦死とはうじゃい。うせ死ぬものならこの日に死ぬるは何より結構けっこうじゃ。んなに親爺さんがよろこんだであろう。生死の問題にかけては職掌柄しょくしょうがらかれの親爺さんは心の練習が充分じゅうぶん出来ては居ても、しかし尚且やはりうした日に死んでくれれば一そうキリストにあやかれるように感ずるであろう。われわれ霊界の居住者に取りてたましいの復活は事実の問題であって単なる一ぺんの希望ではない。しかしわれわれと異って実際の状況ようすを知らぬ者に取りてはこの事は幾分信仰しんこうの問題に属するをまぬがれない。レックスが復活祭の当日に埋葬まいそうされたことも大変結構けっこうじゃ。地上の人達はそれによりてんなに慰藉なぐさめ見出みいだすであろう。

『が、しかしただうべんべんとしては居られない。実は私は幽界ゆうかいに出掛けて活動するのが何時いつかしらと心待こころまちに待っていたのじゃ。幽界出動の下準備したくはモーすっかり出米ている。が、私の守護神様はまだ早いとおっしゃってうしても私の出動しゅつどうを許してくださらないので、もどかしくてしょうがなかった。――が、これで万事ばんじがすっかり読めた。あれあれ! 守護神様が彼所あそこにお出でなさる!』

 そう言われてワアド氏もはじめて気がついてそちらを見るとはたして叔父さんの守護神は陸離りくりたる光彩を放ちつつその壮麗無比そうれいむひのお姿を現わして居られたのでした。あまりその光がはげしいので叔父さんも、ワアド氏も、その他の物体ぶったいも全然その光のうちに埋没し去るかの如く思われました。

 天使はおもむろにう述べられるのでした。――

『時が来た! 早速さっそく仕事にかかるがよい。恐るることや又中途にくじけることはけない。彼が首尾く霊界にのぼらん日まで決して努力どりょくをゆるめてはならぬ。一気にそちの任務に就きてこの仕事にたのしみを見出すがよい。日頃ひごろ汝を準備して置いたのもつまりこの大任務だいにんむをさせたいからじゃ。』

 そう言いおわるや天使は又もややみころもに全身を包んでしまったので、周囲の物体が初めて二人ふたりの眼にえいずるようになりました。

 叔父。『さァいよいよ幽界ゆうかい行きじゃが、それには取りあえず幽体ゆうたいが入用じゃ。お前は地上へりて幽体をってくるがよい。そのに私は自分の入る幽体をこしらえて置く……。』

 と、この時安楽椅子ソファの下からニョキッとばかりムクいぬの頭が現われたが、それは例のモリィ(ワアド夫人の愛犬あいけんであったもの)で、非常に昂奮こうふんしているらしい挙動ようすを示した。

 叔父。『オヤオヤ大へんうもこの犬は昂奮して居るが……。』

 ワアド。『ナニ、モリィはレックスが大好だいすきだったのです。モリィをめてやったのはレックスです。』

 叔父。『道理でナ……。そう双方そうほうの間に同情があるならモリィをれて行きたいのじゃが、生憎あいにく私はモリィに幽体をこしらえてやる方法を知らない。まァ今度だけは仕方がない、モリィを置いて出懸けることにしよう。』

 それをきくとモリィは大へんがっかりした様子ようすをしたが、よくききわけて二人が出懸でかけるのを見ても別にあとを追おうとはしませんでした。

 郊外こうがいでワアド氏はしばらく叔父さんとわかれ、地上の寝室に戻りましたが、其所そこには早やかれの複体が肉体を離れて主人公の帰着きちゃくを持って居ました。ぎの瞬間しゅんかんにワアド氏の霊魂は早くもその内部なかに入りましたが、その際当人の自覚では沐浴ゆあみを終って再び衣服きものをつけるような、多少窮屈なかんじであったといいます。

 が、肉体の方は何事なにごとも知らず顔に依然として寝台の上にころがっている……。

『ああ何時いつかは』とワアド氏は考えました。『んな風に肉体をながめ、それッきり永の暇を告げる場合がるであろう。』

『そうなればいろいろの心配も誘惑ゆうわく試練しれんも無くなる……。』

 突然すぐわきでそういう叔父の声がきこえるのでワアド氏はおどろいて振り返って見ると、叔父はいつしか余りしっくりと身にわないらしい幽体につつまれて、寝室に現われて居ました。

 叔父。わしの幽体は余まり具合がくないが、私の力でこれ以上のものが出来できないのじゃから仕方がない。むろんこれは本物ほんものの幽体じゃない。元の幽体は、とうの昔に分解してしもうた。――が、早速出掛でかけるとしよう。今度の仕事はあんまりらくな仕事ではない。わしは一度もまだ幽界の下層までりたことはないが、大てい勝手はわかっている。仏教信者に言わせると苦痛くるしみが大きければ大きい丈功徳くどくも大きい訳じゃからこれもまァ結構じゃ。――さァ一しょに幽界行きを思念するとしよう。』

 俄然として四壁はくずれ、闇が二人を包んでしまいました。そうする中に遠雷えんらいのようにかすかであった音響おんきょうがだんだん高まり、前後左右に電光さえもひらめき出しました。

 叔父『ありャただの雷鳴や電光でんこうではない。地上で行ってることが幽界まで反響はんきょうするのじゃ。』

 ワアド。『そうおっしゃるのはフランスでっている戦争のことなのですか?』

 叔父。『そうじゃとも。お前にも大てい推定すいていがされたであろうが……』

 ワアド。わたくしもそうではあるまいかと先刻さっきから考えて居ました。』

 四周あたり濛々もうもうたる濃霧のうむの海――それを照らす間断なき電光――苦痛と忿怒ふんどとの叫喚さけび――左往右往に馳突ちとつする霊魂の大集団だいしゅうだん……。

 そんなものすごい中をば二人は右に左にき分けき分け行手ゆくてをいそぎました。丁度汽船が船首に当る怒濤どとうをば突き切り突き切りすすむように……。

 所々である霊魂が二人の通路をふさぎにかかったり、又引っつかまえにかかったりしましたが、叔父さんはもなくそれをはらいのけて前進をつづけました。

 る地点では化生けしゃうの群中を突きぬけましたが、そいつ等が密集部隊みっしゅうぶたいを作ってこちらに向って突撃して来る有様は身ののよだつばかりですが、大喝だいかつして一撃を加えますと,そのうちの幾人かは木葉微塵こっぱみ じんに砕け散り、案外手応てごたえがない。形態は大ていふくれ切った奇形きけいの奴ばかりで、夢魔式の顔、ひょろ長い腕、変ちきな体躯からだ、――動物然たる代物しろものも居れば、人間と動物との合いの子ぜんたるヌーポーも居り、色彩しきさいなども大概はドスぐろく、時々赤黒い奴や、ドス青い奴やらがまじっている……。

 難なく其所そこ突破とっぱするとやがて広漠こうばくたる荒地が現われ、折れた樹木じゅもく、倒れた家屋、鉄条網、塹壕などが所せまきまで散乱さんらんして、到る所で大部隊の軍兵がここを先途と奮戦して居る。大砲もりひびけば砲火もひらめく。地上の戦場そっくりの光景こうけいであります。

 やがて其所そこを突き抜けると、ブラブラうろつきまわる沢山の人達ひとたちの中にひょつくりレックスの姿があらわれました。

 ワアド氏は早巡さっそくレックスを呼んで叔父さんにわせました。叔父さんはレックスの手を握りながらいました。

 叔父。『ああレックスかい。飛んだところで出逢であうことになったものじゃナ。キングストンに居る時分にはお前は大変イタズラ小僧こぞうで、仕方がないから私が巡査おまわりさんに引き渡してやるとおどかしやったことがあったネ。うじゃお前は今でもあの事件ことを記憶して居るかナ?』

 レックス。記憶きおくして居りますとも。』

 叔父。『そうかい。ところで今度は私が巡査おまわりさんの役割になってお前を幽界ここで充分保護してやろうと思うのじゃ。さぞ幽界ゆうかいでは万事が混乱状態で何が何やらわからぬだろうが、これからは私がそばについて居て面倒めんどうを見てやるから安心じゃ。そして最終しまいにはお前の事をもっとしずかな、住心地のよい場所へれて行ってあげる。』

 レックス。有難ありがとございます。若し叔父おじさんさえ僕と一しょに居ってくださればそんな安心あんしんなことはございません。しかしドーもこのへんは住んで余りに結構けっこうなところではございませんナ……。』

 ワアド。『それはそうとレックス、お前が勇敢ゆうかんに塹壕の一角を死守してうごかなかったことは副官も中隊長もこころから感心して、口をきわめてめちぎって居たよ。』

 レックス。『そいつァ有難ありがたいです。僕はただ僕の最善をつくした丈のことです。イヤ彼所あそこは全く狭苦しい場所ばしょで、あんなに弱ったことはありゃしません。僕がんでから彼所はうなったでしょう? 全部敵軍てきぐんの手にちたでしょうか?』

 ワアド。『それはわからんが、兎に角最後に再び敵からあの塹壕ざんごうを奪取したこと丈はたしかじゃ。お前の遺骸いがいなども見事に奪回だっかいして、二日の後には戦線せんせんに埋葬した……。』

 レックス。『そうでしたネ。僕もいくらかぼんやりとそれを記憶きおくして居ます。――アレ兄さん、あなたは何所どこへお出懸けです?』

 ワアド。『私は地上へもどらねばならぬ。私のからだが呼んでいるから……。しかし叔父おじさんがお出でなさるから親船おやふねに乗ったような気持で、安心して御指図おさしずを受けるがよい。――それなら私はこれでしばらく地上ちじょうへ戻って来る……。』

 ワアド氏は何やら下方した下方したへとちるような気がして、やがて間もなく覚醒かくせい状態じょうたいかえったのでした。


一 亡弟との邂逅

目  次

三 過去の時代へ逆行


"A Subaltern in Spirit Land"

底本:「幽界行脚」 嵩山房

発行: 1931(昭和6)年1月15日発行

John Sebastian Marlowe Ward

J.S.M.ワアド著

淺野和三郎・粕川章子共訳

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビ と、入力者による振り仮名は、右の様に表示されます。表示事例ひょうじじれい、その他、難解な言葉遣いに対しては適宜、注記いたしました。

※ 訳者の一人、粕川章子氏の翻訳家著作商用権は2018年まで有効ですが、当サイトは粕川章子氏の御遺族の同意を得て公開しております。なお、本文の転載、商用利用などは御遺族の了承が必要です。


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