心霊図書館 ≫「死後の世界」≫ 上編

(下編) 陸軍士官の地獄めぐり

二十三 愛慾の市

 吾輩わがはい自分じぶんすくってくれた恩人おんじんわかれて、おもいきって愛慾あいよくいち城門じょうもんをくぐると、其所そこには一人ひとりおんなが、薄気味うすきみわるい面相めんそう門番もんばんをつかまえてふざけらしていた。そのおんなもむろんろく縹緻きりょう所有者もちぬしではない。もとはこれでもうつくしかったのかもれないが、いまでは悪徳あくとくしわふかふかきざみこまれているので、一とてもぞッとするほどであった。

 それからしばらく市内しないるいてたが、とん要領ようりょうられないので、吾輩わがはいはギリシャふう服装ふくそうをしている一人ひとりおとこったのをさいわい、びとめて質問しつもん開始かいしした。──

『モシモシこれはなんというまちです?』

 かれはけげんなかおをして吾輩わがはいつめていたが、やがてこたえた。──

『一たいまえさんは何所どこからなすッた? いかな野蛮人やばんじんでもコリンスをらないものがあろうかい! あの有名ゆうめいなコリンスわん其所そこえてるじゃないか!』

 そうってかれ薄汚うすきたない溝池どぶいけたいなものをゆびさすのであった。

 吾輩わがはいはこれをきいてあきかえってしまった。──

君達きみたちはあんなどぶたいなものを風光明媚ふうこうめいびなコリンスわん見立みたててよろこんでいるのかね? 冗談じょうだんじゃない……。』

『そうえばホンにとさっぱりはしていないようだね、理窟りくつはちっともわからないが……。近頃ちかごろ天気てんきなどもドーも何時いつもどんよりしている………。』

『オイオイいい加減かげんしてくれ。ここは地獄じごくだ。地獄じごくだからんなにきたならしい………。』

出鱈目でたらめってくれてはこまるよ。』と相手あいておとこ吾輩わがはい言葉ことばさえぎってさけんだ。『吾々われわれ不老長壽ふろうちょうじゅ秘伝ひでん発見はっけんしたものだから神々かみがみがお腹立はらだちになってんなにこのまちきたなくしたのだ。おまえさんはるまいが、吾々われわれ何時いつまでってもにッこなしだ。わしなどはなんねんきているのかとても勘定かんじょうなどはきはしない。が、んまり長命ながいきかんがえもので、ねるものならんでたいようなにも時々ときどきはなるよ。いつもいつも同一事おなじことばかりくりかえしていると面白味おもしろみがさッぱりないからナ……。』

 吾輩わがはい先刻さっき恩人おんじんからきかされたことをおもして、

『それほどいやなら何故なぜここからげ出さないのです? 吾輩わがはいと一しょにもッと気持きもちのよい境涯ところこうじゃないか?』

『ウフフフ。』とかれわらした。『おまえさんはほどの田舎者いなかものだネ。さもなけりャそんな莫迦気ばかげかんがえおこはずがない。此所ここるが最後さいご生命いのちくなる。なか矢張やはり生命いのちあっての物種ものだねだ。わしだッて本当ほんとうはまだにたくはない………。』

『でもきみはモーとっくにんでいるじゃないか! 一ぺんねば二ぬる心配しんぱいはない。』

んでいるものがドーしてきていられるかい。莫迦ばか莫迦ばかしい! おまえさんは狂人きちがいだネ。だまっていないとみんなからいしでもッつけられるぜ………。』 

 そうってかれはプイとんてしまった。仕方しかたがないから吾輩わがはいひとりで往来おうらいをぶらぶらるいてったが、このへん建物たてもの大半たいはん朽廃きゅうはいしてしまって不潔ふけつをきわめ、もと面影おもかげなぞはさっぱりのこっていない。生前せいぜん吾輩わがはいもしばしば廃墟はいきょのようなものを目撃もくげきしたことがあるが、地獄じごく廃墟はいきょは一しゅそれとおもむきことにせるところがあった。何所どこやらみょうにむさくるしく、頽廃気分たいはいきぶん濃厚のうこうで、雅趣風韻がしゅふういんったようなものが味塵みじんもない。たとえば場末ばすえ大名邸だいみょうやしき改造かいぞうして地獄宿じごくやど酩酒屋めいしゅやでも開業かいぎょうしたとった塩梅式あんばいしきなのである。

 吾輩わがはいんな感想かんそうふけっているに、それまでガランとしてひと一人ひとりとおらなかった街路まちにわかにんだくれのかれ男女だんじょで一ぱいになってた。そいつらがわッしょいわッしょい此方こっちせてて、いつのにやら吾輩わがはいもそのなかにまきこまれてしまった。

 オヤッとおどろもなく、二人ふたりおんな左右さゆうから吾輩わがはい首玉くびたまにしがみつくと、一人ひとりおとこがいきなりコップをつきつけて葡萄酒ぶどうしゅらしいものをなみなみといで口元くちもとにもってた。にしろんな御親切ごしんせつ当時とうじ吾輩わがはいりてしん所謂いわゆる空谷くうこく跫音きょうおんひさしいあいだただつらいおもい、くるしいことのやりつづけで、さけおんなとにはかつえきっている最中さいちゅうなのだから、むろんるい気持きもちのしそうなはずがない。とうとうすすめらるるままに一ぱい振舞酒ふるまいざけんでしまった。

 するとたちま四辺あたりにはどッと歓呼喝采かんこかっさいこえ破裂はれつした。──

『やァんだんだ! 仲間なかま一人ひとりえたぞえたぞ!』

 んださけはむろんうまくもなんともない。っぱいような、にがいような、随分ずいぶん変梃へんてこあじである。そしてめばむほどますますかつおぼえる。吾輩わがはいはヤケくそになって矢鱈やたらにそれをんだが、さっぱり陶然とうぜんとしてった気持きもちにはなれなかった。ただったつもりになってめちゃくちゃにさわらすだけのことであった。それからつづいておこった莫迦ばか莫迦ばかしいその光景こうけい、これは到底とうていはなしするがものはない。ただ想像そうぞうまかせてきます……。


二十二 救いの曙光

目  次

二十三 愛慾の市 (下)


心霊図書館: 連絡先