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(下編) 陸軍士官の地獄めぐり

十九 地獄の第二境

 そのいけみずなんであるにしても、すくなくともそれが以前いぜん地獄じごくそこ経験けいけんしたやみ固形体こけいたいでないことだけは明白めいはくで、どちらかといえばギラのいた地上ちじょう汚水おすいに一ばんよく似寄によっていた。

 吾輩わがはいかくもこのいけおよそうとした。するとおにもつづいてみずなかまでいかけてて、吾輩わがはいすこしでも水面すいめんかおしかけるとピシャピシャむちつ……。イヤそのくるしさとったらありません。が、一しん神様かみさまねんじながらくっせず前進ぜんしんをつづけ、首尾しゅびよく対岸たいがんまでこぎつけた。

 それから吾輩わがはい絶壁ぜっぺき真下ましたうずくまりて命懸いのちがけで祈願きがんをこめた。とれば、吾輩わがはいこし周囲まわりに一じょうほそひもがかかっている。およくしらべてると、それは沢山たくさんをつなぎあわせてこしらへた一ぽんくさりで、そのというのが、ツマリ吾輩わがはい生前せいぜんきたれるホンの僅少きんしょう善行ぜんこう徽号しるしなのであった。それまで吾輩わがはいはそんなことにはまるきり無頓着むとんちゃくでいたが、かくとみとめた瞬間しゅんかんだけ吾輩わがはいむね勇気ゆうきでたかはかられぬものがあった。

 かかるうちにも、いつしか接近せっきんせるおに背後うしろから吾輩わがはいをピシャピシャった。が、吾輩わがはいはそんなことにはすこしも頓着とんちゃくせず、いそいでこしくさりをほどいた。くさり心細こころぼそいほどほそいものだが、しかしながさは予期よきしたよりもはるかにながかった。

 吾輩わがはいはそのくさりの一たん係蹄わなつくり、あめのようにろさるるおにしもとをこらえて断崖だんがいおもてしらべにかかった。もなくはいったものは壁面へきめんからヌッとしたいわの一かく、しかもそのうえにはせまい一じょううねがついている。

 何回なんかい行損やりそこねをしたあとで、とうとうその岩角いわかど係蹄わなッかけることに成功せいこうした。そしてほそくさりをたよりに、片手かたてがわりに絶壁ぜっぺきをのぼりはじめた。

 『何卒どうぞこのくさりれませぬよう……。』

 吾輩わがはいはこのときばかりはいままでにもまして真剣しんけん祈念きねんかみにささげたのであるが、不思議ふしぎなものでくさりふとくなるようにおもわれた。しばしのあいだおに依然いぜんとして背後うしろから吾輩わがはいちつづけたが、やがてそのむちとどかなくなり、最後さいごからくもれい壁面へきめんうねまで辿たどりついた。が、四辺あたり真暗まっくらがりで、なになにやらさッぱりわからず、くさりはとおもってあとかえってたが、いつしかそれさえせてた。

 暫時ざんじはただ絶望ぜつぼう長太息といきらしてたもののそのうちかんがえすこしづついてた。つまりやくにもたぬ絶望ぜつぼうをさとり、かくもここまでの救護きゅうごたいしてかみ感謝かんしゃする気持きもちになったのである。

 これで気分きぶんいくらか落付おちつくとともに、吾輩わがはいふたたあがってそろりそろりと前進ぜんしんはじめたが、みちがイヤにせまく、いつあしはずして千じん絶壁ぜっぺきをころがりつるかと寸刻すんこく油断ゆだんもできなかった。

 それでも路巾みちはばきへすすむにれて次第しだいひろくなり、あまり苦労くろうせずともあるけるようになった。

『イヤ何事なにごと強固きょうこ意思いしちからかぎる。』と吾輩わがはいはやくも得意とくいになりかけた。『強固きょうこ意思いしさえあればんな仕事しごとでも成功せいこうする。たいていの人間にんげんなら、これほどのえばがッかりしてさじげたであろうが、はばかりながら吾輩わがはい品質しなちがう。んなものだい………。』

 そうおもうと同時どうじ不図ふと爪先つまさき漂石かるいしにぶッつけてあしはずし、ゴロゴロゴロと絶壁ぜっぺきごと転落てんらくしはじめた。が、あまりとおくもかないうちいわいわとの亀裂われめなか頭部あたまをグイとんだ。

 七てんとうくるしみをけみしたのち、やっとのおもいで亀裂われめからしてもと場所ばしょ辿たどりつくはついたが、それからは、いくらかまえよりも清浄せいじょう気分きぶんになり、をつけながら前進ぜんしんをつづけた。そのへん道路どうろはガラガラした焼石やけいしばかりの個所ところもあれば、ギザギザした刃物はもののような個所ところもあり、そうかとおもえば割合わりあい平坦へいたんあるやす個所ところもあった。

 最後さいごにある一つの洞穴どうけつ入口いりくちたので吾輩わがはいかまわずそのうちあゆったが、不思議ふしぎなことにはあな内部なかほうかえって外部そとよりもあかるい。こいつァへんだとおもいながら一つのかどまわってるとそこに待伏まちぶせしていた四にんやつがだしぬけにとびかかって吾輩わがはいなぐたおし、なわでグルグルきにしてしまった。

 そのさいむろん吾輩わがはい全力ぜんりょくげて彼等かれら格闘かくとうこころみたのであるが、以前いぜんこの境涯きょうがいときとはちがって吾輩わがはい力量ちからがめっきりっていたにはおどろいた。あくぽうときには地獄じごくたいへんはばがきくが、善性ぜんせいくわわるにつれてだんだんちからよわくなる。そのかわり一うえほうへとのぼってく。

 今回こんかいはこれだけにしてきます。これでつまり吾輩わがはいはモ一地獄じごくだい三の境涯きょうがいまでかえしたのですが、前回ぜんかいひといじめて大意張おおいばりであったにきかえ、今度こんどはあべこべにひとからいじめられる破目はめおちいったのであります。

 イヤ今日こんにちはこれで失礼しつれいします。これから学校がっこうって授業じゅぎょうけるのですが、学問がくもんというやつ莫迦ばかに六ヶむずかしいので吾輩わがはい大弱おおよわりです……。


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