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(下編) 陸軍士官の地獄めぐり

十七 底なし地獄

 吾輩わがはいにはとても地獄じごく最下層さいかそうむごたらしいさびしさをつたえる力量ちからはない。体験たいけん以外いがいにその想像そうぞうず六ヶむずかしそうにおもわれるから一さい余計よけい文句もんくをならべないことにしますが、しかし吾輩わがはいめにはそれがなによりのくすりでした。あんなわされなければ吾輩わがはいはとても本心ほんしんちかえるような根性こんじょう所有者もちぬしではないのでね……。

 最初さいしょ吾輩わがはいには何等なんら後悔こうかい念慮ねんりょなどはおこらなかった。むねみなぎるものはただ絶望ぜつぼう、ただ棄鉢すてばち………。するとたちまち自分じぶん自身じしん生前せいぜん罪障ざいしょう形態かたちつくって眼前がんぜんうかでて吾輩わがはいあざけめるのであった。──

なんじのろわれたるものよ。けてよくけ。なんじはわれわれをわすれていた。最早もはや汝には何等なんら希望きぼう余地よちもない。なんじはその生涯しょうがいげて悪魔あくま駆使くしまかした。人間にんげんかわかぶったなかの一ばんくずでも最早もはやなんじ相手あいてにはせぬ。なんじ見棄みすてることのできないのはわれわれのみだ。できることならわれわれとてもなんじたいなものとははなれたいのだが……。』

 一おうその場面ばめんむと今度こんどかわってやみ場面ばめんあらわれた。全然ぜんぜん寂滅じゃくめつそのもののような暗黒あんこくである。さけぼうとおもってくちけててもこえない。やみくちなかながんでせんをするような気持きもちである。

彼等かれらくち塵芥ちりもてふさがるべし………。』

 むね何所どこやらにこの文句もんく記憶きおくのこっているらしくおもわれたが、文句もんく出所しゅっしょさがにもなれない。かくさびしくてたまらない! なさけなくてしょうがない! 縦令たとえおにしもとたれながらも、うえ境涯きょうがいほうがどれほどこいしいかれないとおもえたが、それすらもモー高嶺たかねはなであった。

 とてもぶしのたたない絶対ぜったい沈黙ちんもく! 吾輩わがはいにはとてもその観念かんねんつた詮術せんすべはない。あなたがたにはうえ境涯きょうがいで八ッざき呵責かしゃくほうがよッぽどつらかろうとおもえるかもれませんが、けっしてけっしてそんなものではないです。

 うして幾世紀いくせいきいく世紀せいきかの歳月さいげつ荏苒じんせんとして経過けいかするようにかんぜられた。『永遠えいえん呵責かしゃく』──あの気味きみのわるい文句もんく吾輩わがはいむね何所どこかでりひびくようにおもわれた。『ここにりたるものはすべからく一さい希望のぞみてよ。』──このダンテの文句もんくなども吾輩わがはいみみひびいてた。

 しかり一さい希望きぼう放棄ほうき! 吾輩わがはいはしみじみとその境涯きょうがい真味しんみあじわいながら、ひと法師ぼっち幾世紀いくせいきいく世紀せいきながなが歳月としつきくるしいたのである。が、最後さいごに、バイブルのなか文句もんく俄然がぜんとして吾輩わがはい乾燥ひからびむねうかでた。──

かみかみよ、なんじ何故なにゆえにわれを見棄みすたまえるか?』

 吾輩わがはいはその瞬間しゅんかんまでこのおそるべき文句もんく真意しんいわからずにた。そんなことはトンチンカンな不合理ふごうりだとおもっていた。が、このときはじめて電光石火的でんこうせっかてきに、かみはすべての人間にんげん苦痛くつう──しかり、地獄じごくのドンぞこちて人間にんげん苦痛くつうをもって御座ござるに相違そういないとがついた。キリストの十字架磔刑じかはりつけ物語ものがたりなどはしんずるもしんぜざるもそのひとそのひと勝手かってである。しかしかみさまだけ人間にんげん苦痛くつうの一さいってられる。──このことのみは吾輩わがはいだんじてそれが事実じじつであること保証ほしょうする。

 最初さいしょこのかんがえ吾輩わがはいむねうかんだときには格別かくべつそれを大切たいせつ事柄ことがらともおもわなかった。が、だんだん時日じじつつにつれてこれにはなにかのふか意味いみがこもっていることのようにおもわれてた。吾輩わがはいかんがえた。──しもかみ人間にんげん苦痛くつうって御座ござるなら、あい権化ごんげであるかみ人間にんげんたいして多少たしょうあわれみをいだかるるはずである。むろんかみ矢鱈やたらにわれわれをたすけるわけにはくまい。れる樹木じゅもくれねばならぬ。しかししも神様かみさま何所どこかにおいでになる以上いじょうかならず吾輩わがはいのことをあわれんでいてくださるに相違そういない……。

 次第しだい次第しだいあたらしい感情かんじょう吾輩わがはいむねしてた。──吾輩わがはいはドーしてんなに莫迦ばかだったのだろう。何故なぜもっとはや後悔こうかいして地獄じごくからのがれることにがつかずにたのだろう? 後悔こうかいしさえすればきッとかみからゆるされる………。

 が、てよ、地獄じごくというものは永久えいきゅう場所ばしょではないのかしら………。はたして地獄じごくからすことができるかしら………。

 吾輩わがはいかんがえてかんがえてかんがいた。揚句あげくはてにはなになにやらさっぱりわけわからなくなってしまったがしかしなにかんがえるよりもキリストのことかんがえるのが一ばん愉快ゆかいなので、吾輩わがはいはそればかりかんがえつめるようになった。公平こうへいかんがえて当時とうじ吾輩わがはいにはまだなかなか純乎じゅんこたる後悔こうかい念慮ねんりょなどはおこってはいなかった。が、かく自分じぶんほどの莫迦者ばかもので、つまらなく幾月さいげつ空費くうひしたものだとかんずるようになっていた。

『イヤ』と吾輩わがはいさけんだ。『吾輩わがはい借金しゃっきんだけはきれいにかえさねばならない。くだらぬ愚痴ぐちわぬことだ。吾輩わがはいきている時分じぶんにもそんな真似まねはしなかった。今更いまさら世迷言よまいごと開業かいぎょうでもあるまい……。』

 そうするうちにも、過去かこおい吾輩わがはいひとほどこした多少たしょう善事ぜんじ──すうはあきれかえるほどすくないが、それでもその一つ一つが、不愉快ふゆかいきわまる光景こうけいうらにチラチラうかて、吾輩わがはいひからびたむねに一ぷく清涼剤せいりょうざいとうじてくれた。それからモ一つなつかしかったのははや死別しにわかれたはは記憶きおく……。

今頃いまごろはは霊魂れいこん何所どこにドーしてられるだろう………。』

 はは吾輩わがはいのごくおさな時分じぶん歿なくなったが、しかしその面影おもかげははっきりむねにきざまれてた。そのははからおしえられた祈祷きとう文句もんく──ドーいうものか吾輩わがはいにはそればかりはさっぱりおもせなかった。ほか事柄ことがらのこらず記憶きおくしているくせに、祈祷きとう文句もんくだけわすれてしまっているというのはまった不思議ふしぎ現象げんしょうで、世間せけんのろわれたものに祈祷きとうができないというのはあるい事実じじつなのかもれないとおもわれた。

 かく自分じぶんでもがつかぬうち吾輩わがはいはいくらかづつ祈祷きとうでもしてようという気分きぶんすくなくともことをしてようという気分きぶんになりかかてたのであった。

 この一じつ吾輩わがはいりて方向ほうこう転換てんかん相図あいずであった。それからドーして地獄じごくでることになったかは、これから順序じゅんじょってのべることにします。

 吾輩わがはいは一とずこのへんで一ぷくさせてもらいます。いよいよちるところまでって、これからはうえのぼるはなしです。人間にんげんりてだい一の禁物きんもつ絶望ぜつぼうである。かみ御力みちからはどこまでもとどく。善人ぜんにんにも悪人あくにんにもということは絶対ぜったいい。永劫えいごう地獄じごく生活せいかつちかくはあるがではない。こころかみむかえば地獄じごくそこからでも受合うけあってることができる。吾輩わがはいなによりいその証人しょうにんである……。


十六 地獄のどん底

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