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(下編) 陸軍士官の地獄めぐり
十三 自から作る罪
下
俄然として魔術者が口を開いた。──
『この莫迦者! 何んだッて[#「何んだッて」は底本では「何んだツつて」]ここへ来やがった? 汝はこれでいよいよ滅亡じゃ!』
そう言って何やら呪いの文句を唱えた。同時にわれわれ悪霊が寄ってたかってこのあわれな僧に武者振りついた。
再び魔術者が叫んだ。──
『明日こそいよいよ汝の罪悪の広く世間にあばかれる日じゃ! 俺の配下に二人の婦女が居る。そいつ達が、汝と出来合って、ここを密会の場所にしていたと、そう世間に自首して出る。──今度こそいよいよ汝の急所をおさえた。いよいよモー逃路はない。生意気にも汝は俺の神聖な仕事にケチをつけ、悪魔と交通している、などと世間に言いふらした。不埓者奴がッ!』
僧は血涙を絞って叫んだ。──
『嘘だ嘘だ! そんな事はまッかな嘘だ!。拙者は何者の罪悪も犯さない。拙者は冤を社会に訴え併せて汝が悪魔と取引していることを公然社会に発表してやる。』
『フフフフどこにそんな囈語を信ずる莫迦者があるものか! コレ大将モー駄目じゃ駄目じゃ! 余りじたばたせずに穏しく往生したがよかろう。』
散々嘲りながら何やら重いものを僧に叩きつけたので、僧は気絶して床の上に倒れた。
『まだ殺すのは早過ぎますぜ!』と吾輩は魔術者を制止した。『すッかり世間の信用を墜さしてからが可いです……』
『ナニ殺しはせぬ。斯うして置いて此奴の躯につけている品物を二つ三つ奪ってやるまでのことじゃ。先ず頭髪が二三本、それに手巾、時計の鎖にブラさげている印形……。そんな品物を二人の婦女に渡して置けば色情関係のあった善い証拠物件になる。』
『それよりは』と吾輩が入智慧した。『この坊主と女とを実際にひツつけてやりましょう。』
『成るほどそいつァ妙じゃ!』
魔術者は大歓びで吾輩の提議に賛成した。──が、その瞬間にバッと[#「バッと」は底本では「バット」]満室にそそぎ入る光の洪水で何も彼もオジャンになって了った。イヤその光の熱さと言ったら肉を熔し、骨を焦し、いかなるものでも突き透さずには置かない。後で判ったが、この光は僧を守護する大天使から発するところの霊光なのであった。
いつの間にやら天使は現場に近づいて、威容儼然、喇叭に似たる明々たる声で斯う述べるのがきかれた。──
『神は抵抗の力を失える人間が悪魔の誘惑にかかるのを黙認している訳には行かぬ。これまで汝をして勝手にこの人物をくるしめさせたのは彼に対する一の試練であったのじゃ。彼をして首尾よくその誘惑に打ち勝たせん為めの深き情の神の笞であったのじゃ。されど汝の悪事もいよいよ今日かぎりじゃ[#「今日かぎりじゃ」は底本では「今日ぎりじゃ」]。汝の不義不正はその頂点に達した。即刻地獄の奥深く沈め! 同時に地獄からのがれ出でたる汝悪霊、汝も亦地獄に戻れ! 汝が前に墜され居たるところよりも更に一段の深さまで……。』
そう述べる間もなく火焔は吾輩の躯を焼きに焼いた。魔術者も亦一とたまりもなく死んで倒れた。彼の霊魂は迅促にその肉体から分離し、そしてその幽体は烈々たる聖火の為めに一瞬にして消散し去り、赤裸々の霊魂のみが一声の悲鳴を名残に、何所ともなく飛び去って了った。吾輩も亦無限の空間を通して下へ下へとはかり知られぬ暗闇の裡に転落したのであった。
最後にやッとある地点にとどまりついたが、それは吾輩の曾て君臨せる王国でもなければ又かの憎悪の大都市でもないのであった。そんなところよりはもッともッと下方、殆んど地獄の最下層に達して居た。──が、其所で何んな目に逢ったかという話は何れ又機会を見てお話ししましょう。──
ワアド氏はその時質問を発しました。──
『ちょっとお訊ねしますが、貴下が地上に出て来る時に躯の色が赤黒かったというのはありャ一体どういう訳で厶います?』
『それは多分』と叔父さんが傍から言葉を出しました。『霊衣の色が赤黒かったのじゃろう。お前も知っとるとおり霊衣というものはその時の感情次第で色がいろいろに変る。赤黒いのはいうまでもなく憎悪の色じゃ。』
『それはそうと陸軍士官さん、あなたのお噺は先きへ進めば進むにつれてだんだん途方途徹もないものになってまいりますナ。』とワアド氏が重ねて言いました。『就中今回の魔術者の物語ときてはいかにも飛び離れていますから、果して世人が之をきいても信用するでしょうか? 近頃魔術などというものはまるで廃れて了っていますから、恐らくこんな話を真面目に受取るものはないでしょうナ……。』
『イヤ世人が信用するかせんかは吾輩些しも頓着せん。』と陸軍士官が答えました。『吾輩の物語は一から十まで皆事実譚じゃ。この話をして置かんと吾輩次ぎの物語に移る訳に行かん。吾輩がこの魔術者とグルになったればこそあんな地獄の最下層まで落ちこむことになったので……。』
『そうじゃとも。』と叔父さんが再び言葉を挿みました。『世間の思惑を心配して事実を枉ぐることは面白うない。──しかし今日は時間が来た。お前は早う地上へ戻るがよい………。』
次ぎの瞬間にワアド氏は意識を失って了いました。