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(下編) 陸軍士官の地獄めぐり

十一 皇帝の誘惑

 叔父おじさんがワアド書斎しょさいむかえて二ことこと挨拶あいさつをしてうちに、モー陸軍士官りくぐんしかんはいって早速さっそくその閲歴譚えつれきだんはじめました。これからかれの地獄じごく生活せいかつさらに一だい転換てんかんおこりかけるきわめて肝要だいじ個所ところであります。──

 さて前回ぜんかい吾輩わがはい新領土しんりょうどれて王位おういいたところまでおはなししましたが、実際じっさいってると王侯おうこうたるもまたがたかなで、ただの一瞬間しゅんかんをゆるめることがきない。間断かんだんなく警戒けいかいし、間断かんだんなく緊張きんちょうしていないと謀叛むほんがいつ何所どこから勃発ぼっぱつせぬともかぎらないのです。

 はやはなし地獄じごく王様おうさまいてる一ぐん猟犬りょうけんいつめられた獲物えもののようなもので、ちょっとでも隙間すきまがあればたちまびかかられる。吾輩わがはいはあらんかぎりの残忍ざんにん手段しゅだんこうじて、謀叛人むほんにんおどかそうとつとめたが、なにこころみても相手あいてころすことがきないのであるからいかんとも仕方しかたがない。刑罰けいばつ厳重げんじゅうにすればするほどますます彼等かれらにくみとうらみとを増大ぞうだいせしむるにぎない。

 そうするうち皇帝こうていから使者ししゃがあって、吾輩わがはい戦勝せんしょうしゅくすると同時どうじ凱旋式がいせんしきへの出席しゅっせき請求せいきゅうしてた。これを拒絶きょぜつすれば先方せんぽうおそれることになる。これにおうずればその不在ふざいじょうじて叛逆者はんぎゃくしゃ蹶起けっきする。いずれにしてもあま面白おもしろくはないが、かく吾輩わがはい後者こうしゃ危険きけんおかして皇帝こうてい招待しゃうたいおうじて度胸どきょうせてやることに決心けっしんした。

 さて部下ぶか精鋭せいえいまもられつつ、威勢いせいよく先方むこうんでると、先方むこうもさるもの、極度きょくど業々ぎょうぎょうしい準備じゅんびをほどこして吾輩わがはい歓迎かんげいした──すくなくとも歓迎かんげいするらしいふりをした。が、儀式ぎしきというのは無論むろんれいによりてれいとおり、たん空疎くうそなる真似事まねごとぎない。楽隊がくたいはさっぱり調子ちょうしわぬ騒音そうおんそうする。街衢がいくかざはたのぼりよごってつビリビリにけている。吾輩わがはい通路つうろかれたはなしぼって悪臭あくしゅうはなつ。行列ぎょうれつ先頭せんとうかざ少女しょうじょたちまでが、よくよく注意ちゅういしてると、その面上めんじょうには残忍ざんにん邪淫じゃいんとのしわふかふかきざまれていて嘔吐おうともよおさせる。

 皇帝自身こうていじしん出迎でむかえの行列ぎょうれつ出逢であったうえで、われわれはって武術ぶじゅつ大試合だいしあいのぞんだ。それがおわると今度こんど宮城きゅうじょうって、大饗宴だいきょうえんせきれっしたが、れいによってからッぽの見掛みかたおし、なにも一さいうそかためて、真実ほんとうことへばただ邪悪じゃあく分子ぶんしがあるのみである。

ときに』と皇帝こうていおもむろに吾輩わがはいをかえりった。

王位おういむる苦労くろうもなかなか大抵たいていではござるまいがナ……。』

 吾輩わがはいはからからとたかわらった。

まったくでございますが、しかし陛下へいかのお膝元ひざもとるよりはやすまります。』

『そうかもれん。──が、間断かんだんなく警戒けいかいのしつづけでは、なかなか大儀たいぎなことであろう。そのてんおいてはとても同様どうようじゃ。で、その気晴きばらしのめにはときどき地上ちじょう出掛でかけてまいることにしてる。ここでめまぐるしい生活せいかつおくったあと地上ちじょう出張しゅっちょうするのはなかなかいい保養ほようになる……。』

 これをきいて吾輩わがはい好奇心こうきしんはむらむらとうごした。

地上ちじょう出張しゅっちょうツしやられますが、うしてそんなことができるのでございます。一たん幽体ゆうたいうしなった以上いじょうそれは六ヶむずかしいかとぞんじますが……。』

『まだわかいまだわかい………』とかれさけんだ。『モ勉強べんきょうせんとかんナ! ……しかしおんみ現在いままでこれしきのことらずにたとはむし意外いがいじゃよ………。』

 かれはしばらく吾輩わがはいかお意味いみありげにつめたが、やがて言葉ことばをつづけた。──

んな地獄じごく霊魂れいこんでも、しも地上ちじょう人間にんげん連絡れんらくをとることさえ工夫くふうすれば暫時ざんじあいだぐらいはかり幽体ゆうたいつくるのはいと容易やすいことなのじゃ。うまくけば物質的ぶっしつてき肉体にくたいでもつくれぬことはない。人間界にんげんかいでこちらと取引とりひきむすんでいるのはおとこならば魔法使まほうつかい、おんなならば巫女みこった連中れんちゅうじゃが、むろん彼等かれらかかるのはたいていは妖精ようせいるいで、真実ほんと地獄じごく悪魔あくまかかるようなことはめったにない。──もっともわれわれが魔術者まじゅつしゃ取引とりひき関係かんけいをつけるには余程よほど警戒けいかいはせねばならぬ。魔術者まじゅつしゃなどというものはみな意思いしつよやつばかりで、うっかりすると其奴そいつめに絶対ぜったい服従ふくじゅうめいぜられる。』

うして彼等かれらにそんな威力いりょくがあるのでございます?』

『われわれが部下ぶか号令ごうれいをかけるのとべつかわることはない。つまりただ意思いしちからによるのじゃ。で、くだらぬ弱虫よわむし霊魂れいこんわけなく魔術者まじゅつしゃ奴隷どれいにされる。──もっともわれわれのように鉄石てっせき意思いしっているものは、あべこべにその魔術者まじゅつしゃ司配しはいして自己じこ奴隷どれいにしてしまうこともできんではない。そうなるとじつにしめたものじゃ……。』

 そうってかれはツとおこし、

『それはそうとこれから一しょ芝居しばいでも見物けんぶつすることにしようではないか?』

 それッきり皇帝こうてい魔術まじゅつけんかんしてはただの一ことれなかった。しかしかれがそれまでにべただけ吾輩わがはいむね強烈きょうれつなる印象いんしょうあたえるには充分じゅうぶんであった。

不思議ふしぎなことがきるものだナ! 自分じぶんも一つってようかしら……。』

 吾輩わがはいはこんなかんがとらえられるようになってしまった。

 当時とうじ吾輩わがはい何故なぜこの仕事しごと裏面りめんひそめる危険きけんがつかなかったのかは自分じぶんにも時々ときどき不思議ふしぎかんぜられることがある。皇帝こうていがこの問題もんだい提出ていしゅつしたのは吾輩わがはい危地きちおとしいれようという魂胆こんたん相違そういないのであるが、その胸底きょうてい秘密ひみつ吾輩わがはいにさとらせなかったのは矢張やは先方むこう役者やくしゃが一まいうえなのかもれない。

 もちろん当時とうじ吾輩わがはいとて皇帝こうてい好意こういがあろうとはすこしもかんがえてはしなかった。

『こいつァひと地上ちじょうはらっていて、その不在中るすちゅう謀叛人むほんにんるのを計略けいりゃくだナ』

 そこまでのことはさっした。しかし吾輩わがはいいてそれを問題もんだいにしなかった。

謀叛人むほんにんたらたでい。もどっててたたきつぶすまでのことだ……。』

 そうかんがえた。──ところが、皇帝こうていほうではたしかにモ一っそのおくまでかんがえてた。──吾輩わがはい地上ちじょうくだって悪事あくじおこなえば、そのつみめにモー一だん地獄じごくおくめられ、やいばちぬらずしてらく厄介やっかいばらいができる……。

 さすがの吾輩わがはいそこまで洞察みぬ智慧ちえがなく、保養ほようもしたいし、地上ちじょうもなつかしいし、あたらしい経験けいけんみたいしとったふうで、とうとう地上ちじょう訪問ほうもん覚悟かくごをきめてしまった。

 もなく吾輩わがはい自分じぶん領地りょうちもどったが、はたして予期よきしたとおり、国内こくない内乱ないらん進行中しんこうちゅうで、一謀叛者むほんしゃがダントンをろうからして王位おういにかつぎげてた。吾輩わがはいがさっさとそんなものをかたづけて、一徒党ととうふたた監獄かんごくにぶちんでしまったことはうまでもない。吾輩わがはい地上ちじょう訪問ほうもんはそれからのはなしである。


十 地獄の戦

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十二 魔術者と提携


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