心霊図書館 ≫「死後の世界」≫ 上編
(下編) 陸軍士官の地獄めぐり
九 ダントン征伐
下
さていよいよ戦争の話でありますが、──われわれが敵地に闖入すると同時に敵の軍隊も亦向うの山丘に沿いて集合した。ざッと地理の説明をやると、皇帝の領土と敵の領土との中間には一の展開した平原がある。余り広いものでもないが、それが二大勢力間の一つの障壁たるには充分で、恐らくダントンの強烈なる意思の力で創造り出したシロモノかも知れません。尤もその地帯の巾は幾何、長さは幾何ということはちょっと述べにくい。霊界には物質界の所謂空間と云ったようなものが存在せぬからです。──が、兎に角それは相当に広いもので、二つの大軍が複雑きわまる展開運動を行るのに差支がない。地質は想像も及ばぬほど磽
确で、真黒に焼け焦げ、ざくざくした灰が一ぱい積っている。
山は二筋ある。ダントンは向うの山を占領し、われわれは手前の山を占領して相対峙した。空は、地獄では何時でもそうだが、どんよりと黒ずんで空気は霧のかかったように濃厚であるが、斯んな暗黒裡にありてもお互の模様はよく見える。
味方の重砲は三個の主力に分れた。──ナニ地獄の戦にも大砲を使用するかと仰ッしゃるのですか。──無論ですとも! 人間が間断なく発明しつつある一切の殺人機械が地獄へ行かずに何所へ行きましょう? 半信仰の境涯だとて、まさか大砲を置く余地はありません。兵器という兵器はその一切が地獄のものです。ところで、爰に甚だ面白い現象は、地上に居る時に、小銃その他近代式の兵器を使用したことのない者は霊界へ来てからまるきりそれを使用することが能きないことです。地獄の兵器は単に形です。従って兵器が敵に加える損害は精神的のものであって、ただその感じが肉体の苦痛にそッくりな丈です。
で、地上に居た時、一度も小銃の疵の痛みを経験したことのない人間には殆んどその痛みの見当が取れません。従って他人に対してその痛みを加えることも能きなければ、又他人によりてその痛みを加えらるる虞もない。生きて居る時分に小銃弾の与える苦痛を幾らか聴かされていた者には多少のききめはあるとしても、真に激しい痛みを自も感じ、又他にも感じさせるのには、是非とも生前に於て実地にその種の痛みを経験したものに限ります。
同一理由で、地獄に於て尤も兇悪なる加害者は、地上に於てみじめな被害者であったものに限ります。若し彼が誰かに対して強い怨恨を抱いて死んだとすれば、自分の受けたと同一苦痛をその加害者に酬いることが能きるからです。かの催眠術などというものも、つまりその応用で、術者自身が砂糖を嘗めて、被術者に甘い感じを与えたり何かします。就中神経系統の苦痛であるとこの筆法で加えることも、又除くことも能きます。──が、地上に於てはその効力に制限があります。それは物質が邪魔をするからです。しかし、モ些と研究の上練習を積めば催眠療法》も現在よりは余程甘い仕事が能きましょう。序でにここに注意して置きますが、この想念の力なるものは他人を益するが為めにも、又他人を害するが為めにも何方にも活用されます。昔の魔術などというものは主としてこの原則に基いたもので、例えば蝋人形の眼球へ針を打ち込むということは、単に魔術者が相手の眼球へ念力を集注する為めの手段です。そうすると蝋人形に与えたとおりの苦痛が先方の身に起るのです。
ですから、斯んなことを行るのには、無論相手の精神──少くともその神経系統を攪乱して置いて仕事にかかる方が容易であるが、しかし稀には先天的に異常に強烈な意思の所有者があるもので、そんな人は直接物質の上に影響を与える力量を有って居ます。最高点に達すれば無論精神の力は物質を圧倒します。地球上ではそんな場合はめったにないが、霊界ではそれがザラに起ります。
兎に角右の次第で、地獄の軍隊は生前自分の使いなれた兵器を使用します。大砲や小銃をまるきり知らないものにはそんな兵器はまるで無用の長物です。
ところで、爰に一つ可笑しな現象は、地獄に大砲はあっても馬がないことです。馬は動物なので各々霊魂を有っている。大砲その他の無生物とは異って単に形のみではない。従って矢鱈に地獄にはやって来ない。
但し馬の不足はある程度まで人間の霊魂を臨時に馬の形に変形させることによりて除くことが能きた。むろんこれは吾輩が皇帝の故智を学んで行った仕事で、敵のダントンが其所へ気がつかなかったのはどれ丈味方に有利であったか知れなかった。一たい人間の霊魂を縦令一時的にもせよ、その原形を失わしめるということはなかなか容易な仕業ではない。何人も馬や犬の姿にかえられることを大へん厭がる。何やら自分の個性が滅びるように心細く感ずるらしい……。事によるとダントンには、人の厭がる仕事を無理に行らせるだけの強大なる意思力がなかったのかも知れません。