心霊図書館 ≫「死後の世界」≫ 上編

(上編)叔父さんの住む霊界

十九 実務と信仰

 三がつれい霊夢れいむなかにワアド林間りんかんのとある地点ちてん叔父おじさんと向合むきあいになってすわりました。この叔父おじさんのはなし信仰しんこう神髄しんずいかんするきわめて真面目まじめ性質せいしつのものでした。──

 叔父。わしはこのへん充分じゅうぶんまえちるところまで信仰しんこう実務じつむとの関係かんけいについて説明せつめいしてきたいとおもう。信仰しんこうというものはすべて実務じつむうえ発揮はっきしたときはじめて生命いのちがあるものじゃ。したがってしんのキリスト教徒きょうとであるならその平生へいぜい生活せいかつはすっかりキリストのおしえにはまりきってしまわねばならぬはずで、くち信仰しんこうとなえながら実行じっこううえではキリストきょうの一さい道徳的どうとくてき法則ほうそくやぶりつつあるものはたんなる一の詐欺師さぎしぎない。

『ただし充分じゅうぶん努力どりょくはしても誘惑ゆうわくにかかるものはまたべつじゃ。わしはそれをも詐欺師さぎしあつかいにしようとするのではない。それ人々ひとびと所謂いわゆる信仰しんこうありて実務じつむともなわざるきょう」に編入へんにゅうされる。一ばんいけないのは日曜にちようごと規則きそくただしく寺院じいんおもむき、のこる六あいだ詐欺さぎ道楽どうらくかぎりをつく連中れんちゅうである。このしゅ似而非えせひキリスト教徒きょうと千万せんばんもっかぞえる。此等これら地獄じごくちるのじゃ。行為おこないのできてないことが、つまり信仰しんこうのない証拠しょうこである。』

 ワアド。『そういたしますと、人間にんげんというものはたんにその行為こういのみで審判さばか るるのでございますか?』

 叔父。『イヤその審判さばきという言葉ことば意義いぎからだい一にあやまっている。普通ふつうこの言葉ことば自己じこ以外いがい何者なにものかが審判さばくということ使つかわれるが、それは間違まちがってる。人間にんげん自己じこ自己じこ審判さばくのじゃ。われわれの霊魂れいこん自己じこ適合てきごうせる境涯きょうがい以上いじょうにはけっしてのぼれるものでない。よそから規則きそく励行れいこうせま必要ひつようすこしもない。そのままいて規則きそくおのずとはたらくのじゃ。このてんあきらかになればおまえ疑問ぎもんただちにける。ここに純然じゅんぜんたる物質ぶっしつ主義者しゅぎしゃがあるとする。つまかみしんぜず、また死後しご生活せいかつをもしんぜず、他人たにん此等これらしんずるのをれば極力きょくりょく妨害ぼうがいしようとする徹底的てっていてき唯物ゆいぶつ主義者しゅぎしゃがあると仮定かていするのじゃ。この人物じんぶつけっして悪人あくにんではないかもれぬ。人類じんるい物質的ぶっしってき幸福こうふく向上こうじょう進展しんてんせしめんとする高潔こうけつかんがえはたらくところの博愛はくあい主義者しゅぎしゃであるかもれないのである。いまこの人物じんぶつりにんだとする。かれはたして霊界れいかい境涯きょうがい落付おちつくであろうか? かれ霊魂れいこん姿すがたすこしも発達はったつしてない。またかれつよ光明ひかりにはない。ゆえうえ境涯きょうがいすすもうとおもえば、ずその霊体れいたい発達はったつせしめて、唯物的ゆいぶつてき観念かんねんから脱却だっきゃくせねばならない。べつ厳格げんかく審判者しんぱんしゃひかえていてかれ地獄じごくおとすのではない。自分じぶん自身じしん勝手かって地獄じごくちてくのじゃ。同気どうき相求あいもと同類どうるい相集あいあつまる。信仰しんこうがないものは、信仰しんこうもっ生存せいぞん要義ようぎとして境涯きょうがいから自然しぜん除外じょがいされることになる。

ゆえかれ行先地ゆくさきち当然とうぜん地獄じごくだいであらねばならぬ。其所そこには勿論もちろんかみあい見出みだされぬ。しかしその仲間なかま同志どうしあいだにはあいがあるからそのおかげあるいはそれからうえのぼろうとする念願ねんがんしょうぜぬものでもあるまい。

しもさいわいにしてそのひとがここで翻然ほんぜんとしてれい目覚めざめてくれさえすればその進歩しんぽ確実かくじつであるとおもうが、兎角とかく唯物ゆいぶつ主義者しゅぎしゃ死後しご唯物ゆいぶつ主義者しゅぎしゃでありちでこまる。極端きょくたんなところになると、あくまで自己じこ否定ひていし、自己じこ霊体れいたい物質的ぶっしってき肉体にくたいであるとかんがえ、霊界れいかいりながら依然いぜんとして地上ちじょう生活せいかつをつづけてるように勘違かんちがいしてるものさえある。よしそれほどでなく、自己じこんだことにはがついてても、尚且やはりかみ存在そんざいあくまで否定ひていして信仰しんこうすすめにみみかたむけないのがある。いずれにしてもみな地獄じごくから資格しかくがない。

『とはいうものの、純粋じゅんすい唯物ゆいぶつ主義者しゅぎしゃというものはひと普通ふつうかんがえるほどそう沢山たくさんなものではない。表面うわべには唯物ゆいぶつ主義者しゅぎしゃ名告なのって連中れんちゅうでも、はらそこ案外あんがい信仰心しんこうしんってるのがおおい。それ当然とうぜん私達わしたち居住きょじゅうする境涯ところる。

『のみならず、唯物的ゆいぶつてき傾向けいこう人物じんぶつ死後しご容易よういにその幽体ゆうたいうしなわずにるものである。したがって彼等かれら幽界ゆうかい生活中せいかつちゅう結構けっこう心霊上しんれいじょう初歩しょほ知識ちしき吸収きゅうしゅうし、唯物説ゆいぶつせつるにらないことを自覚じかくするようになる。

幽体ゆうたいはなしついで幽界アストラル・プレーン意義いぎ説明せつめいしてくが、幽界ゆうかい幽体ゆうたい所有しょゆうするものの居住きょじゅうする世界せかい総称そうしょうで、地上境ちじょうきょうはツマリ幽界ゆうかいの一ぎない。

地上境ちじょうきょう大体だいたいこれを二ぶんして肉体にくたいのあるものと、肉体にくたいのないものとのふたつにけられる。前者ぜんしゃ勿論もちろん前達まえたちのような人間にんげんであり、後者こうしゃ地縛ちばく霊魂れいこん、そのさまざまの精霊せいれいどもである。死者ししゃは一みなこの幽界ゆうかい通過つうかせねばならぬ。そして幽体ゆうたいてたあとでなければけっして霊界れいかいにははいれない。無論むろん地獄じごく霊界れいかいの一なのじゃ。

わし自身じしん幽界ゆうかい生活せいかつきわめてみじかいもので、って幽体ゆうたいほとんど自分じぶんらぬあいだせてしまった。くちにいうとわし幽界ゆうかい素通すどおりにして地上ちじょう寝室しんしつから一そくとびにこのうるわしい霊界れいかい景色けしきなか引越ひっこしてたのである。

『しかし、あの陸軍りくぐん士官しかんなどのはなしをきくと、死後しごひさしいあいだ幽体ゆうたいつつまれてて、それがくなるときのこともはっきり記憶きおくしてるということじゃ。

『これでたいてい信仰しんこう実務じつむとの関係かんけいあきらかになったとおもう。おまえはや地上ちじょうもどって安眠あんみんするがよい……。』

 そうって叔父おじさんがワアドまえって幾度いくど按手あんしゅすると、たちま知覚ちかくうしなってしまったのでした。


十八 守護の天使

目  次

二十 インスピレーション (上)


心霊図書館: 連絡先