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死後の世界
二 死後の世界
ワアド氏が試みたる死後の世界の探検を紹介する前に、これにつきての概念を先ず爰に紹介して置くことが適当かと存じます。死後の世界と申してもそれは極めて概括的な名称で、其内容は千差万別、とても人智の究極し得る限りではないようです。人間が自分の居住する地球表面の物質世界をドーやら探究し得たのも最近のことに属します。況んや現肉体を以てしては到底接触すべくもあらぬ無限に広く且つ深い死後の世界――それがドーして奥の奥まで探究することが能きましょう。従来試みられたる霊界談なるものは、一番優秀なところで、ホンの霊界の入口に立ってその内部の匂いを嗅いだだけです。ワアド氏のはなかなかそんなものではなく、驀地にその内部に突入して縦横無尽に駆けまわって歩るいて居るのであります。
ワアド氏の探検し得たのは死後の世界の中で第七界と第六界とだけです。氏は第七界をアストラル・プレエン(幽界)と呼び、第六界をスピリット・プレエン(霊界)と呼んで居ります。第六界の奥(若くは上)には更に第五界第四界………第一界まで存在するものと信ぜられて居ますが、第五界以上にはワアド氏の探検の手は殆んど届いて居りません。
さてワアド氏の研究に従えば第七界第六界とも其内部は幾階段にも分れます。第七界即ち幽界というのは或は地界と云ってもよく、つまり地上の人間界までも含める物質並に半物質の世界の総称で、其所に居住するものの特色は悉く一つの幽体を有って居ることであります。人間にも勿論幽体がある。右の幽体は死の瞬間に於て肉体と分離しますが、地上を距ること遠ければ遠きに従いて、ますます精練され、浄化されて行き、最後に物質的には消え去るのであります。幽界全体はすべて時空の司配を受け、一定の場所もあるようですが、しかし地上の物質界の規則通りのみにも行かないようであります。
ワアド氏は幽界を七つの境に分けて居ます。即ち、
一、暗黒境(地殻の極内部で、地獄に落つる霊魂の控所)。
二、薄明境(地殻のすぐ内部で兇悪なる霊魂の落ち行く所)。
三、地上境(現物質世界)。
四、夢幻境(極微なる物質の存在する空想世界)。
五、執着境(地上の習慣が脱け切れざる霊魂のとどまる世界)。
六、超執着境(食物、睡眠等の地上の習慣を放棄せる霊魂の居住地)。
七、大成境(第六界、即ち霊界に進むべき霊魂の居住地にして其幽体は甚だ稀薄となる)。
幽界の第五境、第六境等の状況はワアド氏が後から発表した『サバルタアン・イン・スピリット・ランド』の中に極めて巧妙精細に描かれて居て、真に実地探検の名に背かぬものがあると信ぜられます。
次ぎに第六界即ち霊界というのは幽界を通過したるもの、言わば幽界の過程を卒業したる霊魂が入り行く世界で、善霊にしろ、悪霊にしろ皆その幽体を失って居ります。其特質を挙ぐれば
一、物質が全然消失して居ること。
二、空間が全く存在せぬこと。
三、時間も殆んど存在せぬこと。(但し年代的の順序丈は存在す)
等であります。即ち霊界は場所の名称ではなくして寧ろ状態の名称であります。ですから霊界に入るということは場所から言えば同一場所に居るのかも知れないのです。霊界に在りては思想がすべてであります。思想それ自身が形態を成して各自の眼に映ずるのであります。物質世界に在りては思想と形態との間に相当の距離があります。例えば甲の作った思想が乙という彫刻家によって一の肖像と化するまでには、相当の時間努力を要し、加之思想と実物との間に多少の相違が生ぜぬとも限りますまい。霊界に在りては思想即ち形態であり、実物であるのです。
ワアド氏の探究によれば霊界は左の四つの境に分たれて居ります。即ち
一、信仰と実務と合一せる境。
二、信仰ありて実務の伴わざる境。
三、半信仰の境。
四、無信仰の境――地獄。
既に述べた通り、この四つの区別は無論状態の区別であって場所の区別ではありません。故に趣味性行が異なれば同一地上にありても霊的には別世界の居住者であるかも知れず、之に反して趣味性行を同うすれば地上の人間と死後の世界に住む者との間にも交通感応が可能である筈であります。
右の四境の中、下の二境、即ち『半信仰の境』と『地獄』とは、それぞれ之を代表する所の二つの霊魂――叔父さんのLと無名士官とによってくわしく本文に紹介されて居りますから爰に繰り返す必要を認めません。ただ上の二境、即ち『信仰と実務と合一せる境』と『信仰ありて実務の伴わざる境』とにつきては詳しいことがまだ著者によりて発表されて居りませんから、しばらくその概念だけをここに紹介して置きたいと存じます。
『信仰ありて実務の伴わざる境』――これは『半信仰の境』よりはずっと明るく、夏の日の午前八時頃の英国の明るさに似て居るといいます。この境に入るものは信仰心は強いが、ただいくらか偏狭で頑固で、そして信仰はありても実行はそれに伴い得ない連中であります。この境の最下部に居る霊魂は自分の属する宗派観念に固く捕えられ、ややもすれば狭隘なる団体を作りてそれに引籠る傾向があります。其顕著なる弱点は自分免許と退嬰保守とで、眼界が自分の置かれて居る環境以外に殆んど延びません。
ただ下の『半信仰の境』を経てこの境に上って来たものはこの種の弊害から脱却し、多くは公平綿密にこの境に見出さるる種々の信教を研究し、各教の裡につつまれた肝要な真理のみを抽き出そうと努めます。
ワアド氏の肉体を借りてこの境の状況を通信した霊魂中にPというのがあっていろいろ有益な啓示をして居ります。中で面白いのは神々は沢山存在して居て之を崇拝するものの祈願に応ずると述べてあることであります。そしてPはエジプトの某神殿でオシリス神が出現したこと、印度の某神殿では軍神カルティケーヤが司宰して居ること等を報告して居ます。
Pは又信仰の境域にある図書館の模様を述べて居ます。此等の図書館は何れもその規模が宏大で、殆んど都市をあざむくばかり、そして其内部は三部に分れて居るそうであります。第一部には地上で消滅した書籍ばかり集めてあるが、勿論一部分は地獄の方へ行って居るから、それは地上に現われた全部の書籍ではないのだといいます。第二部には霊界で出来た書籍ばかり集めてあるが、地上の書籍とは大に趣を異にして居る。一言にして尽せば皆絵本なのであります。即ち思想が絵画の形を以て示されて居るのです。第三部は殆んど書籍として取扱い得ざる性質のもので、活動写真のような一の心霊画なのです。即ち大きな室に舞台のようなものを設けてあると其所へ事件やら人物やらが歴々と現われて活動する。これ等の書籍……寧ろ活動画の作者は特にそれに任命された学者達の仕事だということです。日本の青年霊媒後藤道明氏が出入往来を重ぬる瑞景閣の模様などをきいて見てもそれと大へん類似の点が認められます。
次ぎに『信仰と実務と合一せる境』――これは殆んど何人も死後直ちに入るという訳には行かぬようです。爰に入るものは単に強き信念を有って居るだけでは不充分で、よく偏狭な精神から超脱し、尚その上に人類愛を事実の上に発揮し得たものでなければなりません。要するにその信仰が実際の行為の上にあらわれ、生きて居る時から聖者と呼ばれた人でなければとてもその資格がないようであります。
従って大ていの霊魂は死後の修行をつんでから初めてこの境に入って来るが、其歩みは頗る遅い。そして入ってからも随分長年月の間ここに留らねばならぬようです。この境の光線は熱帯地方の真昼位で、あまり進歩していない霊魂はとても明るさに堪えぬといいます。
いろいろの宗教はだんだん上の霊界に進むにつれて統一されて行きますが、但しその統一という意義はすべての教義をゴチャゴチャにして混沌不鮮明なる信仰に導くという意義ではなく、各宗教の有する真理の部分だけを抽き出し、虚偽の部分を棄てて、一大組織体を構成することのようです。
此境に居住する霊魂は主として其同胞、就中地獄に落ちて居るものを救済することに従事し、間断なく其所へ降りて行くようです。十四世紀に死んだアムブロースという僧はその一身を殆んど全くこの仕事にささげましたが、最後にその望みが協って『火の壁』を通過して上の界へと消え去りました。その際彼の忠実なる愛犬は、主人の後を追い、敢然として『火の壁』を突き抜けて行き、同時に一人の婦人――それは彼の愛人であったが、僧であるが為めに地上で結婚し得なかったのです――も共に之につづいたといいます。
さて右の第六界と第五界とを限る『火の壁』ですが、それは一たい何であるか?
ワアド氏も之に明答を与えて居ません。ある霊魂はそれを『第二の死』と呼びます。そして人間が死を畏れる如く、霊魂のあるものは之を畏れますが、ただ人間の死が不可抗力で来るのに反し、第二の死は霊魂の自発的覚悟で求められるのであります。
第二の死は霊魂の形態に影響はするが、しかし之が為めに霊魂の実在が破壊さるる訳ではないようであります。火の壁を通過して上の境に居住する一人の天使がPに向って左のように述べて居ります。
『第六界に下りて居る間は、自分は天使の姿をして居るが、それは自分の元の姿ではなく、又地上にいた時の姿でもない。ただそうしようと念ってその姿を創造るまでである。姿は自分の念う通りになる。動物の姿になろうと念えば直ちに動物になり、火焔の形になろうと念えば直ちに火焔になる……。いわゆる悪魔と称するものにも、この力は具って居るが、その秘密はこれより以上にもらすことは能きない。兎に角火の壁の彼方のことは説ききかす限りでないが、個性の失われぬことだけは保証する……。』
第五界以上のことは第六界の居住者に取りて殆んど全然不明であるらしく、又其所から降りて来る守護の天使達も断じて秘密を漏さぬようであります。一部の人達は火の壁を通過すると同時に霊魂はモ一度物質界に戻りて復活するのだと信じているようですが、それは必らずしも全部ではないようであります。宇宙間はすべてで七つの界に分れていると言われていますから、上の方の界へズンズン向上する霊魂も必らず存在するに相違ないと思われます。火の壁の所から地上へ復活を命ぜられるのは恐らく下根の霊魂で、モー一度地上に降りて改造を要するものでありましょう。