霊界人と語る

心霊科学研究会刊「心霊と人生」第二十三巻 第八号 八月号より

――殊に白龍閣の霊媒に関し――

浅野 正恭


 昭和廿五年七月廿二日、私はず新樹霊に、の母をかいして出て貰った。彼と私とは伯父甥という、通り一遍の関係ばかりでなく、もっと親しみのある精神的諒解がないでもなかった。彼は昭和四年二月廿八28日大連で客死したが、当時四日市の中西霊媒が上京中で、明日は帰宅するというその前夜、彼が歿後まだ十日もたないのに、私は思い切って招霊したのであった。その事は「新樹の通信」中に記されてあるから、今更いまさらその模様などをここに記そうなどとは思っても居らぬが、幾多の事実によって、私はそれが新樹の霊であることを確認したのであった。

 彼は「約百日も過ぎたなら、母のからだにかかりて通信したい。」との希望を述べて居り、彼の母もまたその気組みであるところから、双方の波長がしっくり合致したというてよい。爾来じらい私は何回となく、彼をその母に招霊して、彼と対談したのであるが、なりうたぐり深い私として、未だかつの霊に疑いを挿しはさんだことがない程、よくの性格が現れていたのである。新樹の霊に対しても、和三郎の霊に対しても、私は確信をもって、かく言明することをはばからないものである。

 上記の如く、母にかかれる新樹霊に対して、私はうた。

「一体霊魂としては、或る霊媒から招霊されたなら、それを拒否することが出来ないものかどうか。」

 彼はしばらく考えつつあったので「わからなければ父の霊にたずねて見てはどうか。」と私は附け加えて言った。彼は答えた。

「商売にして居るものならそうでしょうが、必ずしもそうとばかりは限りません。」

 の事は新樹霊に対して、私のわんとする眼目ではなかったので、の程度で切り上げ、次の問に移った。

「自龍閣では、土屋せき氏を専属霊媒として、人々の縁故ある霊を呼び出して対談せしめ、病気の原因、事業の打開策を探究することに、もっとも卓越せる霊能を持って居り、霊界の浅野和三郎先生も、の内観霊媒は世界的のものだ!"と推奨して居られるという旨の印刷物を、各方面に配布したとのことであるが、そんなことがあったのか、父和三郎の霊に聴きただしてくれ。真偽しんぎ如何いかんは、及ぼす影響も多いだろうから……。」

 新樹霊はこれに対して、しばらく何とも答えなかった。新樹霊の仲介は不充分と思ったのでもあろうか。突如として、

「和三郎です。」

 と名告って出て来られた。よって前に新樹に問わせたのと同様のことを繰返したところ、

までも、私がる霊媒にかかったというようなことがあるそうですが、私はしっかりした立会人なしには、矢鱈やたらにかかるということはありません。恐らくは守護霊とか支配霊とかの、何等かの思惑から、そう詐称さしょうするのかも知れませんが、私は招霊されても、出たくなければ出ない迄です。世界的のものだなどとは真赤な作りごとです。」

 そこで私は言うた。

「和三郎の名を勝手に使用されて、それが迷信の手助けとなるようなことがあっては相済まぬことであるから、ここできっぱり言うことにしましょう。私もどうやら起居に差支ない程度にあるから、あなたの出る場合には、私が必ず立会人として立会うことにしましょう。私が立会わない場合は、和三郎の霊と名告っても無効であると。」

「是非そういうことにして下さい。」

 二十二日の招霊は、雑とこんなところでした。現界でも詐偽的行為は頻々ひんぴんですが、霊界では人の視聴がないだけ、の詐偽的行為がはなはだしいようです。霊媒の所言に、無批判的に信を置くことの危険は、測り知るべからざる禍害かがいあることをここに一言して置きたい。

(廿五・七・廿二)


霊界人と語る――殊に白龍閣の霊媒に関し――

浅野正恭

底本 「心霊と人生」第二十三巻 第八号 九月号

心霊科学研究会 1950(昭和25)年9月1日 発行

※青空文庫の 「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記を新字にあらためました。

※ 入力:老神いさお      2002年11月18日公開

 


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