霊界通信 第一信

心霊科学研究会刊「心霊と人生」第十四巻 第四号 四月号より


 三月四日故浅野氏を招霊せる際、の次には自己の死について通信するとのことでありました。次の招霊は三月十四日に行わる場所は鶴見の浅野氏邸、司会者はA氏、霊媒はT夫人、列席者は土井晩翠氏、武藤稻太郎氏、那須理之助氏、脇長男氏其他そのた数氏で左に以上数氏の筆録を総合せるものを記載す。招霊開始は午後二時四十五分。

 なおの前に招霊せる時、同氏霊の告白するところによれば、初めは何人にもかかる積りでいたが、それでは精神統一を乱さるる恐れがある。って当分の間、他からの招霊には応ぜられぬ旨申して居られました。世間で多少の誤解がないとも限りませんから、念のめ附記することと致します。

T『浅野――浅野です。』

A『今日は此の前の約束により、死んで行く時の状況を話して貰いたい。』

 といいながら列座の人々を紹介せらる。浅野氏と列座の人々との間に、それぞれ挨拶を交わさる。

和『此の前約束したように、自分の病中から他界へ引移るまでの状況を、霊界通信の第一信として送るよう、こちらで調べて置いた次第です。しかし自分として生前の細かい事を話すことは、一面生前の事を思ひ出すという観念に司配され、余り好ましい事ではないが、是れも物の順序として致し方がないから、止むを得ず通信する次第です。皆さんどうか其のお積りで。……

 自分は心霊問題に関係してから二十年の長い間、全身全霊を捧げて来たが、時節未だ到来せず、真に残念至極です。自分としては力のある限り、命のある限り努力した所存である。

 近頃になって最も必要を感じたことは事務所を建設し、此所で精神統一をやり、立派な霊媒を養成しようとしたことです。其の養成が出来た上は、東亜心霊協会を昭和に設置し、心霊思想を普及せしむる考えで居たのですが、それも今となっては空しくなり、如何にも残念である。しかし時節が到来すれば、後継者が出て来て継続してくれるものと思う。

 その次に自分の念願していたことは、心霊学校の設置であった。そこで充分心霊上の教育を施し、益々高級な霊媒を養成する考であったが、何れも自分生存中に酬いられなかった。甚だ残念ではあるが、いずれは出来るだろうと思う。是等は総て後継者にお任かせ致します。どうぞ皆様ろしく……。』

A『命のあらん限りを心霊に尽されたのであるから、此の上更に苦闘を続けよと求むるとは、如何にも忍びないような気がする。で後の事は全部後に来るものに一任するとして、唯そちらからの冥助めいじょを切望する次第です。』

和『自分としては、生前沢山の仕事を残して急に病気となったのであるが、今自分が考えて見ても、どういう病気で死んだのか、全く判らない。』

A『本吉霊媒の言うところによると、馬に騎って摂護腺せつごせんを痛め、それから膀胱にもヒビが入って、それが原因で死んだのだということであるが……。』

和『どうも自分にも覚えがないように思う。病気の初まりが縦しそれであったとしても、今此処ここで死ぬ気持などは少しもなかった。まだまだ後一二年といふ大切な時局を控えて、ここで死んではならないと、神にも祈り、守護霊にもお願いをし、各霊媒にも依頼してもう一度の全快をこいねがった。自分は守護霊に向って、「何故にこんな事になったか。」と質問をしたが、守護霊は「今れを打明ける場合でない。心静かにして居れ、そして一切を神に任せよ。」と、耳に囁かれるのが聴えました。自分はそれを感謝しました。しかし現世と別れねばならぬと考えた時は、肉親の者についも、いささか名残りを惜まない訳には参りませんでした。

 自分は平素から心霊学徒として立って来たので決して見苦みぐるしからざる死を取るべく充分覚悟を決めていました。心の中では名残り惜しき閃きはあったが、それを口には出さなかった。欧米各国の心霊学徒の死を見てもいずれも立派な臨終であった。自分もかねてより斯くあるべしと思っていたので、女々しくも、苦しい、残念だなどとは口にしなかった筈だ。』

A『自分は肉親としてではなく、客観的にそれを充分認め得た事を誇りとする。』

和『私は笑って逝きました。』

A『ここに詩が書いてある。「憂時慨世一心竪。呵筆疾呼二十年。素志未酬笑而逝。霊魂当不愧皇天。」と』

和『全く其の通りです。自分ながら心霊学徒として二十年間を、よくも忍んで来たものと思います。』

A『既に身心を捧げ尽してしまったのであるから、其の方面から見れば遺憾いかんがない筈である。またって自ら慰むるに足るではないか。』

和『しかり、自分としては、初めは死といふ考えは毛頭もなかったが、神様から囁かれたりすると、どうも自分の余命が尽きるらしいと知って、早速死の準備に取懸りました。』

A『それは何日何時といふ事が分りますか。』

和『それは判らない。』

A『祝詞を奏上したことは覚えていますか。』

和『それは覚えて居ります。アノ祝詞を捧げる時は、神へ今迄のことを感謝する積りでした。向うの世界へ行くについては、ず産土神へ御願いして置かねばならぬと覚悟を定めた。しからざれば、他界で間誤まごつき、今日まで多くの人を導いて来た身として、恥じなければならないから……。

 それから自分としては、自分のからだから幽体が離脱すること、れは心霊学徒として、どうしても考えねばならぬ事であるから守護霊に、自分のみならず、誰かにも見せて置いて頂きたいとお願いしました。』

A『斎藤氏がそれを見て、来月の雑誌に其の記事が載ることになっています。さてその当時の気持は……。』

和『自分の気持ちは、奥の方では意識があり、っかり分って居るようであったが、時々判らぬ事があった。』(勿論れは肉体としての気持をいえるものである)

A『奥の方で判っているが、口へ出して言うことが出来ぬというようなことであるか。』

和『マァさうです。』

 次に土井氏との間に、告別式の時の問答がありましたが、之は略します。

A『幽体脱離の状況は?』

和『自分の死が切迫して来て、幽体脱離の状態を人にも見せ、自分でも見て置きたいと思い、神様にお願いを致しました。いよいよ臨終が近づくや、既に覚悟をした自分の心は極めて平静で、現世の事はことごとく之を神様にお任かせして、霊界へ行くことはれしい事だと思いました。

 既に決心した自分は、幽体の離れ行く容子ようすを心静かに眺めて居た。自分はかねて欧米の心霊書を読んで、横臥おうがし居るよりも、体を起して居る方が,幽体脱離の容易なることを知って居るのと、又一には此の世の別れに、モ一度起きて見たいと思って起して貰いました。そして幽体の出るところを泌々しみじみと見せて貰いました。

 幽体が出る時には、からだが少し揺れはしなかったかといふ気持ちがしました。そのうちに幽体は徐々に離脱し始めましたが、其の時肉体と幽体の連絡を見るに、成る程書物にある通り、白い紐が無数に着いて居り、その中でへその紐が一番太く、次が頭部、足が一番細く、其の他の部分は一層細いのでした。』

A『幽体が脱ける時に、それが分りますか。』

和『いヤ離れてしまったからです。そして暫らくそのままになっていたのです。此時このときはまだ死んではいないのです。此くするうち其の紐が漸次ぜんじ断れて行き、やがて最後の一つが絶れました。』

A『その状況はどうであったか。自然に切れたのか、物でられたやうであったか、或は他から絶れたやうであったか。』

和『他から、何らかの力でられたよう思われました。』

土井『死神――黒いべールを被った、そんな姿は見えませんでしたか。』

和『自分としてはそんな姿は見えませんでした。』

A『其の時幽体と肉体との距離は?』

和『わずか一尺位であったかと思う。肉体の上に浮び上った幽体は、少し紫がかったような色をして居りました。』

A『幽体の離脱は、どの部分から始まって行ったか。』

和『頭の方から離れて、漸次ぜんじ足の方へ行きました。』

A『其の時の感覚は如何であったか。酒の粕でも絞るようなのか、蝉の殻が脱け出るようなのか、それとも引離されでもするようなのか。』

和『その気持は、何か或る物を置いて行くような感じでした。』

A『脱け出でてからは、軽いような気持ちになったことと思うが……。』

和『そうです。全く軽々とした気持ちでした。』

A『自分の肉体も其の時見たか。』

和『見ました。余り好い感じではないが、しかし自分としては、アノ肉体に六十余年も世話になったのだと思い、之に対しても感謝せなければならないとの感が起りました。』

A『幽体が離れ始めてから終りまでの時間の観念は……。』

和『しばらくであったように思う。しかしそう長くはないようでした。』

土井『それから後の幽体の感じは……。天に昇って行くような気持でしたか。』

和『上へ昇つて行ったようでした。しかししばらくはその近所に居りました。時間にして、約二時間位だったろうと思います。』

A『それから産土神へ参らなければならないと思ったのですか。』

和『そうです。もう死の自覚が出来ていたから、間誤まごっくようなことはなかった。此の「死」ということは、神界の奥の方で握られれているから、人間に知られるようなことは絶対にない。』

A『その時は守護神が導いてくれたのか或は又自発的に行かれたのですか。』

和『守護神がすっかり面倒を見てくれたのです。』

A『それには先ず第一にこちらの意志が動かねばなるまいと思うが……。』

和『それはそうです。』

土井『私が両三年前、貴下の守護神を伺った時に、先生は歴史上有名な人の名前をお示し下さったが、矢張りその方でしたか。』

和『そうでした。先年一度姿を見た丈で、自分としては平生直接の交渉はなく、いつも此の(T夫人)の守護霊を通じて指導を受けて居りましたが、今こうなって直接面会が出来、いろいろ御指導を受けつつあります。』

A『守護霊の姿を見せて貰ったのは、多分横須賀時代と思ふが、矢張りそのお姿でしたか。』

和『その通りでありました。生前自分は此のやうな立流な神が、果して自分の守護神であるや否や、時には疑問を持っていました。が、ちらで眼のあたり守護神に接して、多年の謎が解けたようで、嬉しく思いました。是れから此の守護神に導いて貰えると思う時、実に愉快です。』

 それからA氏より、心霊読本の件、小桜姫の出版が見事に出来上りたること.三月号雑誌の内容、心霊研究会組織改正の件等を報告せる後、

A『今後は現世的の事をいうても致し方がないから、そちらで現世を見得るに至るまではその儘にして置こうと思ふ。事務所の方も、月に一度でも二度でも使用するようにしたいと思っています。家族の事なども心配せぬように……。こちらで何とかするから……。向上の一路を辿らるるようお願いする。』

和『そう致します。今かかっている身体はなかなかかかり難く、思うている事が、そう細かに通じてないようである。是は霊媒に肉体としての心配があるからで、その心配が無くなれば、もっとよい通信が出来ると思う。どうかそうして貰いたい。霊媒には各特徴があるから、やがては其の得手得手にかかって見たいと思う。何れ其の中に皆様に相談致しましょう。

 今後も折々は皆様に集まって頂きたい。此の女は何年となく使って来たが、新樹の通信に於けるが如く、霊人を訪問することが長所であるよう思われる。

 五十日祭二十四日には新樹を呼んで下さい。』

 以上霊界通信の第一信として、之を皆様にお送り致します。座を閉じたのは、午後四時を少しく過ぎた時でした。


霊界通信 第一信

底本 「心霊と人生」第十四巻 第四号 四月号

心霊科学研究会 1937(昭和12)年4月1日 発行

※青空文庫の 「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に準拠して、底本の旧字表記をあらためました。

※ 入力:老神いさお      2002年11月18日公開


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