明道会問題一束

◇明道会についての一考察

粕川 章子

 此度こたびの問題の中心となった高大業という朝鮮の一老女の空中より発声するという明道霊児の現象は自分が一回これに接した記憶と実験者の断片的報告と、そしてくした心霊現象は確在した事実である点等を綜合して考えると、明道会で神人交通と称するこの現象は心霊科学上においては直接談話と称するものの一種で、立派な科学的論拠を持つものに疑わないという事が出来る。

 新聞紙上には彼女が喉で発音するが如く報道して居るが、彼女の如く煙草を吹かし、菓子を頬張り、談笑しつつある間に人はなおの喉を使用して特種の音響を発せしむる程巧妙なる芸当を演じ得るものであろうか? 又要求に応じてその発生音の位置は比較的自由に遠近の方向を転換する事、時には室外にさえ移動をなす事、単にの二事を以ってしても、喉音や腹音に非ざる理田は成立すべく、又音を発生する器具携帯の疑念は、親しく彼女の身体検査を為したる自分はこれを完全に否定する事が出来るのである。故に自分は該現象は明道会仝人どうじんの主張の如く明道霊児が高大業女のエネルギーを使用して発声するので、心霊科学的術語でいうと直接談話(ダイレクト・ヴォイス)に属すべきものと推定する。

 しかの現象が高大業なる霊媒によって生ずる一の心霊現象である事は真実であっても、の現象の内容に至っては容易に真偽の度を断定し得べきものでない事は、霊界通信の至難なものである事を知る人は誰しも首肯する処であろう。しかるに聞く処によれば明道会においては、明道霊児即ち数歳の時仮死の状態で埋められて死んだ幼児の霊なるものが、平田篤胤翁の霊と称する他界に存在する一人格の伝令として伝うる処は、ほとんどそのまま金科玉条きんかぎょくじょうの権威を有するものの如く取扱うとの事、若し実情がその通りであるとすれば、これは多少とも現幽交通の原理の実際に通ずる人によって明らかに非難の的となるべき点である。

 心霊の科学的研究が始まって以来この数十年に渡って厳密なる実験調査の結果霊界通信なるものは非常に困難を伴うもの、従って一般に不確実性を帯びたるものと認められて居るのである。直接談話現象は他の霊言、霊視、霊耳等の如く霊媒の精神状態と関係密接なる心霊現象に比し、霊媒とは間接の関係にある故、その潜在意識が混交するの弊害を比較的避け易い事は確実であり、明道会が特に此点このてんもって明道霊児の空中発言現象を推賞するは一考に価するも、彼等会の当事者はこの直接談話においてもまた種々の障礙しょうぎがある事を充分考慮に入れぬとすれば、それははなはだしき誤謬である。

 完全な発声器官を有する普通人でさえも、自由に言語をろうして、満足にその意志を発表する事は容易な事ではないのだ。して直接談話の如く一時的なかつ不完全であるに違いない、発声装置を通じて為すにはどれ程多くの困難が伴う事であろう。従って其処そこには如何いかなる誤謬も生じようしつ不充分な点があろう事をも考慮に入れねばならぬのである。特に明道霊児の場合においては、どれ程仝人どうじんが岸博士等の指図により霊界先進者の指導の下に、修業を積んだにしても、未だ我国民の秘史を語り、吾人の祖先を確定し、その信仰を制定するほどの重大問題に関し、伝令としての使命を完全に果し得るや否や、すこぶる疑問とせざるを得ない。彼の如き頑是がんぜなき幼児の霊魂が、よしんば天才であったとしても、又時の制限なき幽冥界において、我々人間には測り知るべからざる程度の練磨をわずか二三年の間に積む事が出来たとしても、且尚かつなお明道会の信条となる程の大知識を満足に理解し得るであろうか、此点このてんまたはなはだ怪しいものといわざるを得ない。ことにその平田翁なるものの真偽に関してさえ、兎角の批評を加えるものがある事を聞いた。

 とにかく空中から声が出る、直接談話という心霊現象がある事は動かす事の出来ない事実なのだが、ある一人の霊媒におこる該現象の結果のみをもって、一事柄を決定する事は、前述の理由により識者の断然取るべからざる処であるのだ。あながち直接談話ばかりが信頼すべき唯一の方法とはいえぬ。他にも有効に霊媒を使用する方法はいくつもあるのである。あるいは霊媒を用いずして、其他そのほかの方法による事も出来るであろう……。

 最後に明道会で近頃宣伝し始めた心霊写真なるものにいて一言したい。心霊写真――これも心霊現象の一つとして認識されているものだ。しかし心霊科学者でいうこの写真は仝会どうかいで撮影するものとはの方法においても結果においても雲泥の相違を示している。

 多少はあるすがた推知すいちせしむるものがないでもないが、概して写した人の背後に現われる、陰影ともまぎらわしい黒い雲の様なものが、あるいは人、あるいは動物、しかも男、女、狐或は狸と判然と区別されるに至っては、どうも局外者の誤解を招かずには居られまい。研究のために人が写す丈なら弊害はあるまいが、有難ありがたや連に対してこの写真の及ぼす結果を考えると頭をひねくなる。

 信仰生活――それは人の落着くべき生活であり、敬神崇祖共に双手を挙げて賛成である。自らもまた日本の天神地祇を信じ、祖先の霊の保護指導によって今日ありまた将来ある事を悟って居るものである。しか唯神かんながらの大道は、明道会の主張の如く単に現在の仝会どうかいに依って指示される唯一のものでない事はあまりに明白であるのだ。思想善導しそうぜんどう国運発揚こくうんはつようを標榜するならば知識をひろく世界に求めて、現代文明に逆行せぬ信仰を振りかざして貰いたい。


明道会問題一束

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雑誌「国教」の主張を難す


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