妖精について

粕川 章子

 

 先年本誌上に妖精写真について書いた事があったが、この四月号にはコナン・ドイル卿の発表したフェアリー(妖精)の立派な挿画と記事がある。ドイル卿のこの著書「妖精来カミング オブ ゼ フェアリー」にあるなお数枚の確実なる写真及幾多の妖精実見者の報告、そしてこの生物に関する霊智学徒(セオソフィスト)の意見は、この未知とも思われる世界も一部の人々によって、案外な処まで研究が進められて居る事を知らしむるに充分である。

 四月号に載って居る二枚の写真は一九一七年の七月と九月に偶然撮れたものだが、そのこの問題の実地調査を行ったガアドナー氏が実験的にも数年に渡り何回かの撮影を為したが、其等それらいずれにも蝶に似た小さい女の姿等が判然と撮れている。

 一九二一年の八月に行った実験にはエルシイとフランシスの他にガアドナー氏の友人で霊視の出来るサーヂアントという人が仝行どうこうして、ヨークシャイア・コッティングレーの問題の谷に現われる妖精連の実地検分と出掛けたが、この人の霊視能力は前記二少女以上のものであったと見え、二人が見出し得ぬものまで看破したかの感がある。彼が其時そのとき書き残した記録から、そのままを引用すると――

 その野原へ行くと、土の精ノームと思われる小さい生物が彼処そこ此処ここに現われて居たが、私達一行を見ると、不気味なしかめ顔をして見せるのであった。中の一人は何が面白いのかしきりと両膝をガチガチと打ち合わして上機嫌でいたものだ。

 エルシーは代る代るに一人づつの妖精が見えるといって居た。私の眼には妖精が群をして居るのが見える、ただ其中そのうちの一人づつが目立って居た様に考えられた。侏儒こびとの土の精も居たが特に眼についたのは花の精であろうか、女の姿をした妖精の一群が環をつくって遊戯をして居る有様であった。真中まんなかに一人の花の精フェアリーが静かに立って居る、その周囲を取巻いておどっている女達は種々いろいろな色彩の花で美しく着飾って居た。見て居るとある者は手をつなぎ合わして門をつくり、他の者がその下を何度かくぐって出たり入ったりしていたが、その運動の結果であろうか、地面から四五尺の高さに一種の力の凝集ぎょうしゅうとも思われる龍巻様のものが立上って来るのであった。全体から見て妖精は矢張り草の繁った場所で一番よく活動的であったとう事が出来る。

 渓流には大きな岩があり、小さい瀧がかかっているが、其処そこ水の精ウォタースプライトを見た。全裸の女の姿をして居る、長い美しい髪を指先でくしけずる様な工合ぐあいいじって居た。足があったか否か? 残念ながら判然した記憶がないが、とにかく肌の色がホンノリとバラ色を帯びた白色に輝いて居た事や、顔が非常に美しかった事が判然と今なお眼底に残っている。スンナリと美しく伸びた両手の動きは何処どことなく波を思わしめるものがあった。時々歌を唄って居るらしく見えたが、私の耳にその声は聞えて来なかった。

 彼女が居た場所は岩が一寸突き出し、苔が生えた小さい洞穴の感じがする処であった。翼は無いと見え躯を動かす有様は、あたかも蛇の様に全身を半ば水平にノタクラせて行く、一寸不気味な感があった。全体の感じから見てもこの水の精ウォターニンフは、他の花の精フェアリー共とは全く別種なものである事が解る。私が傍に居る事にも一向気が附かぬか、写真を撮らうとして機械を向けても、逃げもせぬ代りにはまたその姿を判然としてもくれぬ。そのからだは何となく周囲のものに融け込んで居るかの様に輪廓りんかくが何処かボンヤリとして居り、そのままでは撮影は出来なかったのである。

一、(一九二一年八月十二日、コッティングレーの山毛欅ぶな下にて)

 私達が倒木に腰を下して居る前へ二人の小さい木の精が走って来たが、私達を見ると五尺程手前の処でハタと立止り、シゲシゲとこちらを鑑察かんさつし始めた。非常に面白いものを見附けたという様な、その面には少しの恐怖心を現われて居らぬ。

 あたかも一枚皮で出来て居るかの様に見える、肉儒袢じゅばんごとからだにキチンと合ったものを着て居たが、その表面はぬれてでも居るかの様な光沢があった。腕やすねむしろ瘠せて細い位であるのに躯に比べて馬鹿げて大きな手と足、恐ろしく上の方に突き出て居る、そして梨の実の様に拡がった大きな耳。気が附くと、こんな恰好かっこうをした生物が地面の上を其処そこ此処ここと大勢け廻って居るのが見える。鼻はツンと尖って、その下には横に平たく切れた大きな口がある。気のせいか知らぬが、全体が何となくゼリーか何かの塊で出来上って居るかの感がある。

 凝視して見ると、丁度ちょうど物質体の周囲をエーテル体が取り囲んでいる如く、彼等のからだの周囲は化学作用で発生する瓦斯ガスの様な緑色の光で包まれて居る。フランシスが私の傍に来て、この二人の木の精から一尺ほどの距離に座った時、彼等は驚いたのか、八尺ほど向うへ退いてしまった。が去ろうともせず、其処そこにヂッと立つまま、私達の方を見ながら大方批評でもして居るのかしきりに何か話をして居る模様であった。この二人は其処そこにあった山毛欅ブナの大木の根下に住んで居るのか、それから間もなく、根元の割目の中へ、丁度ちょうど人間が洞窟の中へ入る様な工合ぐあいに歩み入り、そのまま地中へ姿を消してしまった。

 一、(一九二一年八月十四日)

 この日も矢張り小さい瀧の傍で水の精を見た。水が飛沫となって散って居る、その水煙の間に不鮮明ながら小さい妖精フェアリーを認めたが、の水の精はからだもオーラも上半身が蒼味がかった紫、下半身がおなじく蒼味を帯びた薄紅で、オーラと躯がどう色であるためかその境目が判然と解らなかった。この生物はスンナリとしたその背を反らし、左手を高く頭の上まで伸ばした姿態で、丁度ちょうどカモメが強風に対抗しつつあるが如く意気衝天、パッと砕ける水沫の中にその身を支えて居たのであった。翼もなく人間の姿はして居たが女か、男か、性の区別は無い様に思われた。しばらくしてその姿はき消す如く見えなくなってしまった。

(八月十四日午後九時野外にて)

 月の美しい夜であった。野はいつもより一層美しく見える。そのせいこの夜は種々な自然霊――ブロウニィ、フェアリー、エルフ、ノーム等と呼ぶ妖精共が遊んで居るのが見える。

 一体は小さなブロウニィも今夜は八寸程の脊丈せたけがある。濃い色の縁のある鳶色の着物に、尖った袋の様な帽子、膝きりの半ズボン、それから短かい靴下、細い足首に不似合な長い先のツンと尖った足――丁度ノームとおなじ様な足である。

 面白いものでも見附けたかの如く、私達の方を熱心に見詰めて立って居る彼のかおには何の恐懼きょうくも、悪意もなくむしろ親しみ易い表情を見た。物がだんだん解りかけて来る、無邪気な小児の様にさも不思議そうに眼を丸くして眺めている有様は、彼の幼稚な頭では解釈のつかぬ難問題に出合したという状態に他ならなかった。其中そのうち彼の背後から一群のフェアリー共がやって来たので、道をあけるかの様に彼は少し一方へ寄った。どうもその精神状態はまだハッキリせぬ半夢状態にあるとでもいうのか、面白いものならば一日中飽きもせず、眺めて立ちつくす小供こどもの様な処があるのではあるまいか。確かにこのブロウニィは私達人間のオーラを見て、その放射力の強いのにおどろいて居たに相違ないと思われる。

 フランシスは今小さいフェアリーが環になって踊っているのが見えると云う、そして見て居るうちその妖精達の体は一人一人だんだん大きく拡がり、れに連れてその環も自然と拡大して行くのであった。エルシーは他の妖精群が空中へ垂直に環をつくって緩かな運動を続けて居るのを見た。彼等はグルグル廻り、下に来たものはチョコチョコと地面の上を歩んで又上へ登って行く。な長いスカートを着けて居たが、薄いのか足が透いて見えて居る。熟視するとそのダンスの環全体が金色がかった黄色の光りに包まれて、その外面は種々な色を発して居たが、中でも黄色が目立って見える。

 此等これらの妖精が空中に浮ぶ時は非常に静かに動いて居る。胴も手足もジッとしたままで、地面に足が着いた時始めて足を動かして、又再び上方へ浮び上るという工合ぐあいである。耳を澄まして聴くとかすかな音楽の音がする。全体の気分は何となく遊戯よりはもっと儀式ばった感じがする。

 フランシスは此度こんどは翼のあるものと無翼のものとが二人、丁度ステージでやる様な舞踊をして居るのを見たという。無翼の方が頭が地に着くほど背を逆にそらす、そして有翼の方がこれを支えてその上へかがんで居るのだが、二人の躯は日光に輝くさざなみの如くキラキラと美しく輝いて居る。又一方には道化役者の様な滑稽な恰好かっこうの代物が帽子を高く上げ、頭を下げると仝時どうじかかとで土を蹴るといった工合ぐあいに、身振りのおかしい踊りに興じて居るのが眼に入るというのだ。

 エルシーは撫子なでしこ型の妖精を見附けた。この花を上下にした形、すなわち青いがくが胴となり其処そこから手と足が出て居り、首はその上にあり、花瓣かべんはスカートになってその下から割合に瘠せた二本の足が見える。この妖精は草の上をピョンピョンと飛ぶ様に歩いて居る。色は蒼味がかった撫子ピンク色である。

(以上は月光下にて記す)

 このほか私は一尺程の丈のある、男と女が野の中央でワルツ風のダンスをして居るのを見た。この二人はエーテル体にボーッと包まれて、何となく幽霊の感じがあった。躯の周囲が灰色に光り輪廓が判然として居らなかった。

 エルシーは猿の型の小鬼インプとでも、いたい恰好かっこうの小生物が草の茎をグルグル廻って登って居るのを見たと云う。奇怪な顔つきで私達の方を見守って居た調子は余興の役目をして居るかの如く思って居たらしい。

 ブロウニィも時々前へ出て来ては余興係となって居るかの如き感があった。中でも私は特筆すべきものを見た、それは妖精泉フェアリーファウンティンと呼ばれて居るもので、この時は二十尺程前方に出来た。妖精力によって地上に噴水せしむるもので空中高く魚尾状に拡がる。色は種々のものが集合して居る、これはフランシスも仝時どうじに見たのであった。


妖精について(つづき)


妖精フェアリーについて     粕川章子

底本: 雑誌 「心霊と人生」   第8巻第7号7月号

発行: 心霊科学研究会 1931(昭和6)年7月1日

 

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入力: いさお


雑誌「心霊と人生」より

 

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