心霊図書館雑誌総合案内> 「心霊と人生・第五巻

実験を体験とにつきて

――昭和二年十二月十一日大阪心霊研究会において――

浅野 和三郎

 

 皆様の切なる御要望の結果、今回からいよいよ大阪において心霊上の実地修行を開始することに相成りましたにつけて、この機会を以ていささかこの問題に関する卑見を開陳して置くことに致します。

 申上ぐるまでもなく心霊問題を研究するにはここに重要なる二つの途が開けて居ります。即ち

  一方は実験他方は体験

であります。従来数年間私に主として皆様に実験の機会を提供することにのみ力を尽し、体験を与えることに対してはほとんど指を染めずに居りました。これは決して実験が大切で体験が不必要であるという理由からではありません。又私は皆様に体験を与えるべき何等の技能の持ち合わせが無いからという訳でもありません。私がそうした方針を執りましたのは、他にあらず、それが

  心霊研究を行う正当の順序

と確信して居るからであります。私自身は不幸にしてこの正当な順序を踏まず、その結果一と通りならざる苦労と失敗とを重ねました。で、せめて皆様丈にはそんな難儀な目に逢わせたくなかったのであります。

 心霊実験とはここに改めて説明するまでもなく、自分自身を客観的の立場に置きて実験室に於ける霊媒現象を審査攻究するやり方であります。無論この方法には長所もあれば短所もあります。短所からいえば観察を誤り易いこと、上滑りがし易いこと、何やらしっくりと腑に落ちないこと等いろいろありましょう。丁度鰻屋へ行って鰻の料理法をしらべたり、鰻を喰っている人の感想を承ったりして、そのまますごすご戻って来るようなもので、鰻に関する概念、一般的知識は得られても、何やら物足りない所があって、ドウも自分自身で鰻そのものを味って見たような訳には到底行かないのであります。

 しかし実験に伴う長所も決してすくなくありません。自分を局外に置いて見る所から比較的に公平な判断が下せる……自分で実行する訳でないから幾ら観てもくたびれない……沢山観て居る中には自ずと批判力が高まり一方にかたよらなくなる………眼界が開け、ちょっとした事にびっくりしない度胸ができて来る……ずそう言ったような利益があります。

 んな次第で、心霊研究をるには是非とも

  実験から進み入る

ことが必要なのであります。実験の場数を踏んで居ないものは兎角先入主に捕えられたり、誇大妄想狂に陥ったり、排他的感情の奴隷になったり、はなはだ見苦しき行動に出兼ねないのであります。その実例は現時の日本にも到る所に見受けられます。われわれはそうした弊害をできる丈剪除することに努力せねばなりません。

 さて、この数年来私が皆様に提供しました実験材料は相当多数にのぼりました。瑞景仙のお弟子の青年霊媒後藤道明氏、実業界に身を置きながら仙界と往来を重ぬる神戸の飛田信氏、太針でヅブヅブ舌の根元を貫いたり、平気で仮死状態に入ったりする藤田西湖氏、又近頃では入神状態において百里千里外の現状を偵察して百に一を過たざる中西女史、陸軍畑からとび出して自己運動の強健法に熱中する嘉悦敏氏――その他数え立つればまだまだあります。

 言うまでもなく私が此等これらの霊能者諸氏達を皆様に提供した真意は、それ等の人達の

  長所も短所もすべて鵜呑みにせよ

と註文したのでないことは充分の御諒解を得て置きたいと存じます。たった一人ですべてを兼ねそなえた理想的大霊覚者――そんなバケ者は人間世界には絶対に存在しませぬ。釈迦でも、基督でも、孔子でも、マホメットでも決してその選には漏れないのであります。一方に大なる長所があれば、他方にはかならず大なる短所が伴うというのが差別世界に生を享けて居る者の到底免れ難き運命なのであります。ですから人間若し相手の短所のみを拾った日には到底追いつかぬ話で、矢張りこれは昔から教えられて居るとおり、何人に対しても

  その長を取りその短を捨てる

の筆法を用いるべきで、これは霊媒に対しても決して変りはないのであります。そうした態度で進むことによりてのみ霊媒の方でも初めて健全なる発達を遂げることができ又研究者の方でも初めてそれ相当の収穫を挙げ得ることができます。アバタを笑窪えくぼと見る極端な崇拝、針を棒と見紛みまがえる極端な排斥――これは幼稚な田舎者のする仕業で、断じて忠実な心霊研究者の執るべき態度ではないのであります。それが自分自身に不利益を招く丈ならまだいいが、同時にしばしば

  肝心な霊媒を毒殺する結果

を招来するから油断ができません。霊媒だって只の人間です。イヤ只の人間よりは却って感受性に富み、外来の影響に動かされ易い人物です。だからこれに対する態度は気を附けた上にも気をつけるきで、従来矢鱈にこれを持ち上げ過ぎたがめにのさばかり返って頓と手のつけられぬしろものにしてしまったり、又これと正反対に、無闇に排斥し過ぎたがめに自暴自棄のあまり自殺させてしまったりした実例は決してくないのであります。くれぐれも申上げて置きますが、霊媒は決して万能の神と同格でも何でもなく、ただ常人に不可能なある微妙な能力の所有者なのですから、仮にも勘違いの取扱方をしてはならないのであります。

 幸いにして当研究会においては、私の紹介した前記の霊媒諸氏に対して

  取返しのつかぬほどの大失錯

を演ずるまでに到らなかったのは何よりの仕合わせでありました。時に脱線しかけた事は何回かありましたが、間もなく又元の正道に復帰して着々研究の歩を進めつつありました。取りも直さずこれが研究会の研究会たる所以で日本国民の全部も一時も早くこの水平線まで向上させたいものだと痛感せずには居られませぬ。ヘッポコ行者に向って天下の大問題を伺って見たり、法螺で固めたナラズ者を活神扱いにしたり、そうかと思えばすでに科学的に証明されて居る普通の心霊現象を疑ってかかったり、イヤハヤ眼を開けては見て居られぬ状態であります。

 兎に角皆様はこの数年来ずっと心霊実験に親んだ結果、相当

  心霊現象並に霊媒に対する批判力

を獲得されました。皆様の第一期の準備的修養はこれてほぼ出来上ったと言って宜しいのでしょう。無論今後においても機会のある毎にこの方面の経験を積んで行かねばなりませぬが、しかしうソロソロ実験丈では不充分であります。この上は是非とも百尺竿頭一歩を進めて

  体験の獲得

にかからねばなりませぬ。

 体験――そう口で言うのは何でもないが、その実現は容易ではありません。何となれば心霊上の体験というものはる程度まで自己の心身を改造し、ある程度まで自分自身を霊媒化することによりてのみ成功する問題だからであります。何等の犠牲をも払うことなしには到底出来ない相談であるからであります。世の中には随分虫の良い人間が居て、「おれの前に霊魂の姿を出して見せい! そうすれば俺だって霊魂の存在を信じてやる」などと大平楽を並べるのがありますが、こればかりは願い下げにする外に途がありません。丁度とがずに切れ味のよい刀が欲しいと言うのと同じようなことで、恐らく五郎正宗でも裸足はだしで逃げ出すに相違ありますまい。

 さて霊媒能力の養成法ですが、世の中には幾多の養成法があり、各々その特長を発揮して相譲らないところがありますので、どれが一番優れて居るという事は容易に断言の限りでないようであります。ここに西洋に、素人に取りて実行がはなはだ容易でつ弊害も少なきものにモルス式実修法なるものがありますから、皆様の御参考までにずそれを御紹介致しましょう。モルス氏は英国の心霊研究者で、かつて「ツウ・ワァールズ」誌の主筆であったこともあり、この式を完成発表するまでには

  前後四十年の経験

を積んだと称している位ですから余りマヤカシものでない事は請合いますが、その取拾選択はもちろん皆様の自由であります

  モルス式交霊法

(一) この実修を行う者は死者の霊魂との交通を欲する者に限ること。

(二) 室は暑からず寒からず、つ明るくて、そして何人の出入をも許さぬこと。

(三) 立会人は男女相半ばするを埋想とす。人数は五人乃至七人たるべきこと。

(四) 坐席は男女交互に設くること(但し霊界通信開始後座席の訂正を他界から命ぜられたる時はこれに従う。)

(五) 現象につきては余りに多くを求めざる事(霊界の存在を証明すべき最も簡単な現象が一番望ましい。普通卓子の傾斜が真先まっさきに起る。しかる時はこれを以て通信機関とする。例えば一つの運動は「否」を表示し、二つの運動は「不明」、三つの運動は「然」りを表示するの類その内に自動書記、霊言、霊視等の現象が起る)

(六) 時間はすくなくとも一時間又はそれ以上、回数は一週に二回の事(縦令たとえ何等の現象が起らずとも、すくなくとも八回までは辛抱すること。それでも何の兆候がなければ初めて中止して人員を入れかえる。たった一人の変更のめに立派な成績を挙げた実例がある。)

(七) その他の一般心得は――

 (イ) 各実験毎に常に前回と同一人物を纒めること

 (ロ) 音楽又は唱歌を以て会を開くこと。(但し絶対必要にあらず)

 (ハ) 数時間以前から過労を慎み、又飲酒其他そのほかを禁ずること。

 (ニ) 嫌いな人物、不信用の人物を除外すること。 (研究的の質疑は毫も妨げないが、先人主と猜忌心とが一番けない。)

 (ホ) 忍耐力と持久力とを発揮すること。

 (へ) 信仰その他の関係から心霊現象の発生に反対の者は自から進んで席に加わらざること。(その種の人物は科学的に心霊現象を取扱うの資格なし)      以上

 ざっと意訳すればんなものであります。左までの犠牲を払うことなしに、ちょっと他界との交通を味読したいと思う程度の方々にはたしかに誂向きの方法でありましょう。もっとも西洋の名ある霊媒中にはうしたやり方で養成されたのが相当沢山ありますから余り莫迦にもできません。

 今度は私のヤリ方に就きて念のめに簡単な注意を述べて置きます。私のは一の「静座式統一法」とでも申すべき純日本式のもので、はたしてそれが良いか悪いかは結果から判断して戴くより外はありませんが、兎に角私としては今から十三年前から

  二三万の修行者

に対して実施の上に自得したものですから、あくまで弊害や失敗はなきものとの確信の上に立って居ります。細かい注意は、いよいよ実施の際にその都度与えることにしまして、ここに大体の要領を申上げます。

  修行者心得

(一) 指導者と修行者とは一人対一人を原則とすること。 (但し最初の準備期には百人まで位は差支さしつかえなし)

(二) 修行者は指導者の指示に従って手足を組み、静坐瞑目すること。

(三) 修行者はどう然心を受身うけみに持ち、内発的自然運動又は現象等に対して何等の抵抗を加えざること。

(四) 静座の時間内(三十分乃至一時間)修行者は決して勝手に坐を起ち又眼を開かざること。

(五) 自己の意識を堅実に保持し、自己の体内に起る一切の自然運動又は現象等を冷静に客観視すること。

(六) できる丈雑念妄想を排除すること

(七) できる丈肉体の存在を忘るるよう努力すること。

 修行者としてはずこれ丈であります。若しそれ指導者の心得に至りてはここに申上げる必要もありませんが、一最も肝要な点を述ぶれば

(一) 一切空の白紙的態度で実験に臨むこと。

(二) 全然棄て身になること

(三) 一切の出来に対して全責任をつこと。

などでありましょう。兎に角私としては常にそうした心掛を忘れぬように全身全霊を捧げる覚悟で精進して居るものであります。

 最後に一言心霊修行をおこなってはならぬ人はといいますと、第一に病人――これは病気を直してからでないと絶対に行ってはけません。就中精神に異状ある人………そんなお方はこの席には居ないようですが、兎に角精神病者は到底完全に統一のできる見込はありませんから最初からお断りします。それから酔った人――これもすくなくとも酒気のせるまで修行を遠慮して戴きたい。説明はこれ位にとどめて置いて早速実修に取りかかることにしましょう……。


底本: 雑誌 「心霊と人生」 第五巻第三号

発行: 1927(昭和3)年3月1日 心霊科学研究会

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に準拠して、底本の旧字表記をあらためました。

※ 入力:いさお      2009年3月1日

※ 公開:新かな版    2009年3月27日


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