心霊図書館雑誌総合案内> 「心霊と人生・第四巻

ゴシップ

憑虚生

◇秋の心霊旅行

 私は十月の十五日の朝鶴見を出でその日の午后九時半岡崎の万灯山に着きました。くれば早朝から細雨を犯して内田專亮氏が見えたので早速例の神がかりを請求しました。その際私が説明を求めたのは神武以前の日本の国状でした。何にしろ四千年以前から日本に現われたと自称する守護霊なので、その言々句々は頗る意表に出で、一々これに盲従する訳にもまいりませんが、しかし確かに傾聴に値する点は多々あるように感ぜられました。従来日本国の発端を説く神道家連は、あまりに日本という狭い国土にこびりつき過ぎ、んでもでもことごとく日本内地で発生したように説きたがりますが、考えて見ると頗る不合理な話であります。物質的肉体を有った人間の行動はある程度まで土地に束縛されましょうが、霊界の居住者はさして国境などの拘束を受けません。従って適当なる霊媒さえあれば同一の神若くは仏が印度にも、支那にも日本にも自由に出現すべきは自明の理で、丁度シベリアの低気圧が日本に移りて雨を降らすが如くかならずしもこれが自国の専有物だと主張する訳にはまいりますまい。弘法大師の本地垂迹説なども恐らくそうした霊的現象に接した結果自然に発生したもので、決して神仏混淆をたくらんだ一時の方便説と見做みなすべきではありますまい。矢鱈無性にお国自慢を振りまわす固陋偏狭な神道家の類こそ却って物質的観念の奴隷となった似而非愛国者と称して宜しいようです。そのは兎に角内田氏にかかる霊魂は実際天竺も支那も朝鮮も股にかけて来た老漢らしく、霊媒の内田氏が非常に無学なるにも係らず、非常に博学多識で梵字や漢字や諺文やをすらすらと書き、そして古神道又は日本思想の淵源等につきては実に卓抜極まる意見を吐きます。ざっと逃べると日本の神道又思想は仏教、基督教、儒教、道教等の粋を集めて大成したものだというのであります。彼はう説きます。――

「何んと言っても世界中の教の根元は印度のヒマラヤ山にある。その西したものはキリスト教となり、東したものは儒教、道教等となった。かくてこれを各地の人類に施して見るに各々一長一短がある。る者はあまりに霊界に重きを置き過ぎた結果、出世間的人間を作り過ぎ、る者はあまりに現世に重きを置き過ぎた結果、神仏の存在を無視する人間を作った。最後にわれわれが霊媒的天分の優れた昔の日本人にうつり、各教の長所を採りて短所を捨て、苦心百端の後にここに日本の国教、日本の思想、日本の国語等を築き上げることに成功した。つまり世界の各宗教、各国民は日本を造るめ手習草紙にされた訳である………。」

 これは長い長い談義を極度に切りつめたものですが、その要点はお判りでしょう。私は決してこれを以て最後の断案とは考えませんが、たしかに面白味のある一家言であると考えます。んなことがほとんど無学文盲な霊媒の口から漏れる丈でも相当愉快ではありませんか。

 神がかりのついに近づいた時に、内田氏の守護霊は例によりて私のめに一個の見事な仏舎利を引き出してくれました。私として同氏の物品引寄の実験に望んだのはこれで十度にも及ぶでしょうが、その度毎に感嘆してしまいます。往年の私は此種このしゅの心霊実験を公開して頑冥な反対論者を撲滅しようなどと幼稚な考に捉えられた時代もありますが、近頃の私はそうした註文が無理であり、つ無益であることに気がいつて、至極呑気であります。奇蹟で人心を転換し得る力は多寡が知れて居ります。物品引寄などはたまたま縁ある人がその恩典に浴する丈で充分のようで、決して矢鱈な人間に公開すべきものではなかりそうです。

 翌くれば十月十七日――その日は午後一時から大阪の露天神社務所で開かるる大阪心霊研究会の秋季大会に臨む約束になって居りますので、私は未明に起きました……。イヤ未明に起されました。万灯山の修行は午前三時半頃にはいつも始まるので、たのんで置けばいかなる早起きでもできます。かくて午前六時何分かの一番汽車で岡崎を出発し、午前十一時には早くも梅田に着きました。

 講演会は午後一時過ぎから開かれ、私も今井、嘉悦、大和等の諸氏の間にはさまれて「伝統的日本思想と心霊研究」という標題で二時間許講演しました。(本号巻頭所載)聴衆は熱心な会員百余名でした。その夜嘉悦氏と共に御影の永田氏宅に一泊、翌十八日には上本町六丁目の大軌ビルヂングに開催の自健術実修会に臨み、大阪の実業界でチャキチャキの人達に面会したりしました。大阪実業界が今後何の点まで心霊問題に耳を傾けることになるかは実に日本において興味深き一の宿題たるを失いません。自健術の称道者たる嘉悦氏が神経一点張りで世間並みの所謂いわゆる霊術の施術をして居たのはツイ本年春までのことであります幸か不幸か嘉悦氏をして一足とびに心霊問題に首を突っ込ませるべく余儀なくしたのは、皆さま御承知のとおり、同氏の施術者中から 陸続霊媒者を産出したからで、若しもその事なかりせば自健術は単なる自健術として全然心霊研究の埓外に取り残されたでしょう。そうした程度の霊術は世の中に腐るほど沢山あります。しかるに自健術が他に先んじて心霊現象と接触することになったのはたしかに嘉悦氏その人の人格並に守護霊に水平線を突破する何物かが存在するめに相違ないと思われますが、自健術は要するに一の治病強健法であって、直接日本の思想問題、信仰問題等に触るるものではありません。今回大阪実業界の人達がこの自健術に対してドー理解し、ドー共鳴するか?――私は今後の成行きを充分に注視しようと思って居ります。

 その夜は大阪の龍田氏宅に一泊し、翌十九日には在大阪の江間式の幹部諸氏に面会しました。私の大阪に来て居ることが先方の耳に入り、心霊に関する一席の講演を求められるのでした。私は歓んでこれに応ずることにしました。江間式の霊術の可否如何は私の関係する限りでない。私はただ私の心霊研究を提げて、求むる者あれば何処どこへでも出掛ける丈であります。心霊研究という一点で共鳴するものであれば私にはそれで沢山で、宗派の異同や人種の黄白などを論ずる遑はありません。この点は充分に皆さまの御諒解を乞う次第であります。

 十九日の夜は御影の上田邸に一泊、久しぶりで歓話に時を移しました。翌日二十日の午後に再び大阪に出で、三年以前大阪心霊倶楽部時代に厚誼に預かった斎藤、中村、楠夫人諸氏と会談、それから大軌に立寄りて嘉悦氏を拉して所謂江間式の大阪道場なるものに赴きました。右道場は元高倉某の邸宅たりしものとかで、なかなか数奇を凝らした建築、大阪に於ける江間式の人気旺盛振りを実証するに足るものがありました。従来は江間式の霊術と心霊研究との接触点が薄弱であっために私は只の一度もここに臨んだことがありませんでしたが、今日私がゆくりなくも招かれて心霊上の講演を行うことになったというのは其所そこに時運の変遷を物語るものがたしかにあるのでしょう。

 この日の会合ははなはだ突然の催しであったにも係らず、聴衆は百余名にのぼり、はなはだ熱心に私の下拙へたな講演に傾聴してくださったのは実に近来の快事でした。私は心から同会員諸氏の雅量を謝しました。私はうした機運の一時も早く全国に瀰漫し、取るにも足らぬ宗派観念や党派観念に煩わさるることのないようになることを切望して止みませぬ。

 翌二十一日は私の今回の大阪滞在の最終日で、その夜の大軌に於ける講演を済ました上で終列車で帰東する予定なのですから相当多忙でした。朝九時頃行李をまとめて上田邸を辞し、大阪であちこち駆けまはった上で午後五時過ぎには大軌に赴きました。その夜の講演者は私の外に例の嘉悦、大和の両氏で、九時頃迄に終結するようにとの注文でした。時間が短かいので私が真先まっさきに出で、あっさりした所で御免を蒙り、最後の大和氏が一番詳細に疾病と憑霊との関係を説明されました。大和氏は京都市で開業の医学博士でありながら心霊研究の大々的鼓吹者であるというのは痛快千万な話で、これこれの病気は医薬で治るが、これこれの病気は絶対に医薬では治らない、是非とも心霊上の施法を要すると喝破して聴衆を驚かせました。博士のごときは日本に於ける心霊研究史上の先覚としてたしかに金鵄勲章功一級に相当します。

 講演終了後私は急いで梅田駅に駆けつけ、やっと午後十時四十五分の汽車に乗り込みました。これは廿二日から廿三日にかけて箱根の強羅の中村別邸において催さるる第三土曜会に出席するめで、他の人達は東京から同地へ参集の予定になって居ります。第三土曜会などというといかにも鹿爪らしく聞えますがこれは心霊問題で共鳴する若干の東京在住者の単なる懇話会で、いつも第三土曜を期して東京で集まるのですが、今度は会員の中村氏からその別邸を開放されたので、一つ箱根の秋色をでながら温泉に浸って大に交情を温めようという虫のいい話が纒った次第なのであります。

 私が国府津に下車したのは午前九時過ぎでした。それから熱海線で小田原に出で小田原から電車で強羅に向いましたが、満山三分の紅いを呈して居る所へ、襲来せる時雨の晴れ間に虹がかかるなどの景品まで添いまして、矢張り箱根はいいなと感心しました。私が三浦半島に居た頃はちょいちょい箱根に来たものですが、一たん心霊問題に首を突っ込むと同時に東奔西走、箱根の山に背くことここに十数年、いつしか顎髯あごひげに霜を置くようなもっともらしい年輩になりてしまいました。私は電車の窓から四辺あたりの風光をでつつも、しきりに今昔の感という奴に耽らざるを得ませんでした。

 午後には同勢がゾロゾロ東京から到着、湯に入る、散歩に出る、大に論ずる、快く飲む………そんな事はここに記す必要はない。翌日は大湧谷を越え、湖水を横切り関所の跡を吊ひ、箱根権現に詣で、湖畔でゆっくり休憩の後、自動車や電車を利用して午後三時過ぎには早くも国府津につきました。帰宅したのは二十三日の日暮過ぎでした。前後併せて九日の秋の心霊旅行、ざっと書き記してゴシップの埋草と致す次第であります。

◇中西女史の再度の東上

―二。十一。六―


底本: 雑誌 「心霊と人生」 第四巻第十二号

発行: 1926(昭和2)年12月1日 心霊科学研究会

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に準拠して、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、章毎にページを分け、箇条書きに改行を加え、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、強調表記に、置き換えました。

※ 入力:いさお      2008年10月09日

※ 公開:新かな版    2008年01月21日


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