心霊図書館雑誌総合案内> 「心霊と人生・第四巻

ゴシップ

浅野憑虚

 

▽霊媒行脚

 近頃私が霊媒行脚に出かけるのは毎月下旬と相場がきまり、この七月にも廿日の夜汽車で西に向いました。同行者は新井覺禪、新庄實氏さねうじの両氏、他に嘉悦敏氏も同行の予定でしたが、御母堂の逝去のめにこれは中止されました。

 岡崎に下車したのは二十一日の午前六時二十分でしたが、ジリジリと照りつける太陽の光は睡眠不足の寝恍顔ねぼけがおに脂汗を滲ませました。岡崎の停車場は市街地から一里余りも隔った、飛んでもない場所に設けてあり、辛くも単線電鉄で連絡はしているものの、その道路のほこりっぽいことは天下無双で夜露よつゆなどはすっかり熱砂に吸いこまれてしまうらしく、朝っぱらから遠慮なく濛々もうもうたる煙塵を捲きあげました。おまけに四辺あたりの山の土壌はべにを入れたように赤味を帯びているので、尚更なおさら暑苦しい感じを与えました。駆引なしに言ってこの附近の夏の温度は相当酷烈であるらしい。徳川家康をはじめ、所謂いわゆる三河武士の忍耐力はんなところで養成されたのかも知れません。

 が、青葉につつまれた万灯山へ着いて、一浴して夜来の睡魔と媒煙とを洗い落した時にはすっかり元気を回復しました。程なく予而かねて打ち合わせて置いた霊媒のN女史が見えましたので、早速神懸りの実修を始めました。女史の病症診断のお手並は今更いまさらながらあざやかなもので百里以外、二百里以外の病人の起居動作はもとよりのこと、内臓器官や血管の末の末までも仔細に透視して、百に一つも過たずという慨があります。私はこれで三ヶ月にわたりて調査を重ねた訳ですが、探れば探るほど、査ぶれば査ぶるほど、ますます感心するようになりました。新井氏や新庄氏は今回初めて実際問題を提げてその実験に立会われた訳ですが、頗る満足の意を表せられたよう見受けました。イヤ先入的僻見にとらわれない人ならば何人でも女史の霊能力の値打ちを認めずには措かないと思います。多くの霊媒に有り勝ちな、心もとなき曖昧さや、あぶなっかしいゴマカシや、邪気、衒気、野心、野望などの臭味等が少しもなく、あくまで真率、胞まで直截、すらりのんびりとしているところに千金の価値があります。無論いかなる霊媒とても万能というのはなく、殊にN女史の能力は今尚いまなお発達の途中にあるもので、何所やらにまだ若いところもありますが、日本の心霊界にんな人が現われたことはまことに結構な話と言わねばなりません。仔細ありて当分まだその詳細を発表することは差控えますが、隔ての幕を切って落す時節もそう遠い未来ではなかろうと存じます。

 女史の神懸りは一時間半に及びましたが、これ位の事でごうも疲労の色を見せないところがその特長で、必要とあれば三時間でも五時間でもノベツ幕無しにつづけ兼ねないのであります。これは守護霊の働きもさることながら同時に女史の体力のいかに堅実であるかを証明するに足ります。霊媒というと兎角病的で神経質で、その取扱いに大へん骨の折れるのが多くて困りますが、女史などは正にその正反対であります。その間女史が全然無意識状態にあることはここに申上ぐるまでもありません。

 女史の神懸りのまた済まない中に、例の物品引寄で皆様お馴染なじみの霊媒内田専亮氏が馳せ参じました。時は正に正午頃で、暑気は焼きつくようでしたが、私は直ちに又内田さんの神懸りを請求しました。

 神懸りの場所はいつもの通り講摩堂の背後うしろ土籠どろうを選びました。交霊実験をるのには矢張りうした閑寂な場所がよいようです。明滅たる灯明の光り、シッとりと沈んだ空気気の滅入めいるような静かさ……。んなところは鬱葱たる密樹につつまれた山奥の社頭か、山腹をぐってしつらえた横穴かでないとめったに見当りません。伊豫田氏が往年修行場として土籠を築造されたのは誠に良い思い付きでした。

 内田氏の神懸りはN女史のそれとは又頗る趣を異にします。似て居る点は入神状態に入るに要する時間が、どちらも一二分間であること、又どちらも全無意識状態になること位のもので、かかって来る霊魂の性質も、又その得意の方面もほとんど似てもつきません。第一回はホンの準備的実験で、いつもよく現われる守護霊の心通霊神に向い、私は至極簡単な質問と相談を持ちかけたにとどまりました。それでも同霊神は座を閉するに先立ちて新井氏に向い、

「因縁を結んだしるしに、一個のたまを覚禅氏に授ける」と言われ、たちまち例の物品引寄の印を結んで、一個の方解石を掌中に引き寄せてくれました。右の石は内田氏の掌からポンと弾かれて、私の左側に端座していた新井氏の右のたもとに入りました。当人の新井氏はもとより、初めて内田氏の実験に立会った新庄氏、宇佐美氏、中西氏等は余ほどの深い印象を与えられたようでした。

 おそのついでに心通霊神は重ねて印を結んで一個の瑪瑙めのう石の破片を引寄せて私に与えられました。これで去る五月以来私の貰った石が総計四個になった訳で、学術研究の資料として大切に保存することにしています。しかし霊神はその際私に向い、物品引寄を濫用することは却って修行の邪魔になるから、今後は霊界から特に命令の下った場合でなければ矢鱈に授けぬ旨を戒められました。私も至極御尤ごもっともな戒告と感じました。求めて掴み取る奇蹟の価値は多寡が知れています。求めずして授かる奇蹟――うも体験者に与える感銘はその方が遥に深刻であるらしい。

 午後からも私はN女史と内田氏とに各々一度づつ神懸りを願いましたが、その事柄は私一個の私事に属しますのでここに申上げる訳にまいりません。

 翌くる二十二日は前日にもました暑熱で、殊に護摩壇の温度などは正に百度と報告されました。ここで一日八座の護摩をく万灯山の祈祷者達の勤労は正に感歎に値します。いかに暑くても又いかに寒くても、大晦日でも正月の元日でも、年中只の一回の休みということを知らない懸命の努力――恐らく人間業としてはほとんどその極点に近きものがあるかと感ぜられます。その実況を見ると全く避暑だの、遊山だのと言っては居られない気がします。日限を切っての仕事ならば我慢のしようもありましょうが、これが一年、二年、十年百年……と永久に持続して行かねばならぬ仕事なのですから容易ではありません。三百年前徳川氏をして名を為さしめた、あの三河武士の根気づよさは、今日最も明瞭に万灯山の護摩壇上に窺われるかと考えられます。

 この日も私は内田氏を煩わして午前と午後とに二回神懸りを実修しました。午前に出現したのは心通霊神で、日本の原始時代から神武天皇の時代にかけていろいろの説明をされました。時にわれわれの想いもよらぬ話が出るので私は少なからず面喰めんくらいました。何にしろ心通霊神という方は神武以前二千年の昔からこの国土に現われて居ると名告なのられている丈に、ちょっとわれわれの手に負えないところがあります。すべてを事実として承認するには有力なる典據がなく、又すべてを架空譚としてけなしつけるには余りに内容なかみが豊富過ぎ正確過ぎます。兎も角も今後の研究問題たるを失わぬように感ぜられました。この時も座を閉じるに先立ち、霊神は一個の宝石――紫水晶のような自然石を引寄せて新庄氏に授けられました。

 午後には弘法大師の使と名告なのる高岡坊が現われて私の問に応じてくれました。私は三四十分間にわたりていろいろ質問しました。その問答中に左の一節がありました。

問 「抽象的に霊界の組織等を伺う代りに是非あなたさま御自身の閲歴――つまり生前から死後にかけての実地体験をくわしく拝聴したい………」

答 「それはまだ早い、後日に伝える。目下われわれは天地の災厄を祓い、悪魔を除き人間界の悪因縁を解除する業務に精進している。この際くわしい身上噺などは致しているいとまがない……」

問 「あなたさまと弘法大師さまさの御関係は?」

答 「大師が高野に登らるる時、われ等杣の姿で案内を致した……」

問 「あなたさまの御活動なさる世界は?」

答 「むろん下界である。仔細あって下界の衆生済度につとめている」

問 「平常お住いの場所は?」

答 「平常は釈迦嶽――あの大峯の山つづきに住いして居る。葛城、大峯などはわれ等の会議の場所ぢゃ……」

問 「あなた方の食物は?」

答 「食物はず木の葉その他海のもの、山のものもあるが、次第に物の精気を吸うようになる。神仏に供えた品物がその香の失せるのはそのめぢゃ。われ等の体量は修行によりて次第に軽くなる……」

問 「いかに軽くなりてもそのままでは空中飛行は不可能と思われますが……」

答 「もちろんそれぞれの飛行術がある。空気を圧搾して、丁度人間が水を泳ぐ時に用ゆる浮袋のようにしつらえる場合もある。体もろ共空中を飛行する時には百里を行くに約二三十分位はかかる。」

問 「只今あなた様は体を以てこの所に現われなされたか?」

答 「いやいやわれ等の体は紀州の釈迦嶽に置いてある。ただ精気のみで参ったのぢゃ」

問 「天狗という文字は頗る不穏当な、誤解され易い文字のように感じられますが……。」

答 「厳密に申せば畜類から上ったもののみが天狗と書く。龍宮から上ったのは天宮、人間から上ったのは天供と書く……。」

問 「人間界から天狗界に入るものありや?」

答 「それは有る。概して日本人は心身共に天狗界に入らんとすれど、多くはその体を棄て、霊魂のみで入るものばかりぢゃ。霊魂のみのものは天上界に行くが、其所そこには蛇などの邪霊が多い………。」

問 「それ等の蛇は一体うなりますので?」

答 「蛇も長い歳月にわたりて修行の結果神通力を発揮する。いわゆる龍神ぢゃ……。」

問 「風雨雷霆等の自然現象は龍神の受持ちなるか?」

答 「あれはいずれも神が龍神を使うてやらせるのぢゃ。龍神達はことごとく神命によりて動くので、勝手な働きはできぬ。丁度人間が牛馬を使うがごときもので……」

問 「神命を伝える使者は?」

答 「いずれも生前名僧智識と言われた人達がそれに当る……」

 他にも守護神に関すること、その外いろいろありましたが、他日充分整理の上にて皆様の御批判を乞うことにしましょう。今回は標本としてホンの一端のみをお目にかけるにとどめます。

 何にしろ九十五度以上の三伏の炎暑に追いかけ引きかけ、二日間にわたりて神懸りの実験をしたことですから私達は相当にくたびれてしまい、今回は一とずこの辺で切りあげることにして、二十三日の朝の愛電で豊橋に出でそれから汽車で帰宅の途につきました。

▽心霊文庫と心霊展覧所

(二。七。二六)


底本: 雑誌 「心霊と人生」 第四巻第九号

発行: 1926(昭和2)年9月1日 心霊科学研究会

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に準拠して、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、章毎にページを分け、箇条書きに改行を加え、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、強調表記に、置き換えました。

※ 入力:いさお      2008年10月6日

※ 公開:新かな版    2008年11月1日


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