心霊図書館雑誌総合案内> 「心霊と人生・第四巻

国民性の正しき自覚と覚悟

――日本の心霊家の進むべき道――

浅野和三郎

 近頃私がしきりに繰り返して居ることで、はなはだくどいか知れませんが、日本の心霊家は今において一時も早く

  自己の立脚地と目標

とをあきらかにせねばならぬと信じます。確乎不動の立脚地に立ち、唯一無二の大目標[#「大目標」は底本では「大標目」]に向って驀進することによりてのみ、ここに初めてその仕事に溌溂たる新生命が湧くのであります。

 それには心霊家が、今お唯物主義を当面の敵と心得て居るような、迂遠なことで何がきましょう。彼等のあるものがよく口にするところは所謂紋切型もんきりがたの『霊に目覚めざめる』という言葉でありますが、何という空疎な、何という陳套な文句でしょう。竹頭木屑にもひとしき唯物説に対抗した時代にこそそれに多少の意味もあったか知れませんが、今日唯物説などというものはうのむかしに生命を失い、ただその余毒が漫性的の痼疾となりて国民の内部生命をきづつけつつあるに過ぎません。そんなものはその自然消滅にまかして置けばよいので、病毒がすでに第三期第四期に入ったものが今更いまさら『心霊に目覚める』位の手ぬるい事で救わるる訳のものではありますまい。で、心霊家の今日の急務は他の腐ったものの姑息療法などを講ずることでなく、

  積極的に自家本領の建設に当るべき時代

であります。それにはただ霊に目覚めた丈では不充分であります。『霊』という概念が何の建設を生み、何の創造を生む力がありましょう! 丁度単なる『空気』の概念から風船一つ造り得ず、単なる『電気』の概念から電灯一つ生まれないのと同様であります。

 幸にして世界の心霊研究は今日着々としてんな概念時代を突破して、人間と直接交渉を有する個々の霊魂の審査探究に向って全力を挙げるようになって来ました。欧米にもまだ、個性を有てる霊魂の存在を知らざる初歩の『心霊療法家』又は『霊術家』の類が全部品切れになった訳ではありませんが、それ等が単に研究の途中のものであることに気づくものが日毎に増加しつつある現状にあります。安価な無意識状態を以て宇宙の大霊との冥合融和であるなどと思惟した幼椎不穿鑿ふせんさくな時代は迅速に経過しつつあります。精緻なる実験の結果は、ほとんどすべての心霊現象の背後に個性を有った霊魂がかならず控えて居ることを証明するのであります。日本も後れ馳せながら次第次第に右の事実に気づくものが幸に殖えてまいりました。私の知人の某将軍――この人は所謂『霊に目覚めた』人で、この数年来しきりに自己強健術の普及に努力して居りました。将軍は説明するのであります。「現代人はいたずらに人体を肉塊視して科学治療にのみ依頼し、天与の自然療法たる神経療法を閑却しているのは正しく迷妄である。この強健法によりて神経の活動を促起せしめると、身体の各部は自発的に運動を起し自分の手は自然に疾患ある部分を指示しその治癒のめに千態万状の運動を起し久しからずして病根を一掃するに至る……」大体う言った説明であります。

 私は決してこれを根本的に間違った説明であるとは申しません。薬物迷信、医師万能の現代において、ここまで気がついたことはたしかに一歩時流を抜いた卓見でありましょう。が、右のごとき自発的運動なるものは実は

  単なる未製品の心霊現象

たるに過ぎないので、その運動の背後にはチャンとある特殊の霊魂が人知れず控えて居て、そんな真似をさせて居るのであリます。で、私は興味を以てその後の推移状態を注目して居ました。

 すると、果せる哉最近に至りまして、将軍の取扱って居る患者及び門弟の中から霊視及び霊言の能力者が引きつづいて三人も現われました。単なる神経の活動で解釈し去ろうと試みた将軍もここに至りて、成る程神経の奥にも一つ霊魂というものがあるナ、と初めてお気がつかれたのであります。

 それは単なる一例に過ぎません。陸海軍の将校又は実業家などの中には所謂霊に目覚めた程度の心霊療法家が大分沢山現われ、彼方あっちにも此方こっちにもバタバタ、ガタガタ、さながらの操人形あやつりにんぎょうをきめて歓んで居らるるようでありますが、私はこれ等に対して余り賛成も仕兼ねると同時に、又頭から不賛成を唱える気にもなれません。たとえ不賛成を唱えたからとて、血眼ちまなこになって得意になって居る連中がおとなしく覚醒する訳のものでもなし、すべては時期の問題であります。それ等の自己運動がやがて一歩をすすめてうまく行ったら心霊現象下拙へたに行ったら狂暴状態となった時に多くの方々は成る程自分達の霊的知識が不充分であったと初めてお気がつかるるでしょう。私はそうした時節の到来が、余り遠き未来ではあるまいかと想像して居ります。日本の心霊研究が水平線上に首を出すのは恐らくそれから後の話で、今日は自覚せる心霊家が襟度を広く持って、一致協力して実力の培養に全能力をささぐべき時代でありましょう。魔の徒弟を以て任ぜざる限りの人々は、率先して大我的、建設的、協調的、向上的の途に就くべきであると痛感します。

 さてここでわれわれ日本の心霊研究者として須叟も忘れてならない重大事項は、

  国民性の正しき自覚

であろうと考えます。人間すべての事柄に堪能でありたいのは判り切って居ますが、生憎それは天が許しません。これは個人において、しかるが如く、一国民全体として考えても亦(また)同様で、支那人には支那人の国民性があり、印度人には印度人の特長があらわれます。で、出発点においてほぼ大体の見当をつけて着手せぬことには飛んだ無駄骨を折り、労力の大なる割合にさしたる効果を挙げ得ないことになりましょう。

 しからば日本の国民性は一体いずれの方面に向って居るか?

 私は日本開闢以来の歴史的事実につきて考察し、又自分自身が接触見聞せる狭い範囲の経験を考慮の中に入れて帰納的に推究を下した結果、日本国民の根本的特質ともいうべきは、はなはだしく実践的色彩を帯びたものであって、詮ずる所、小家族の建設から進んで、

  地上に理想的の一大家族制度を建設

することを以てその生命として居るのではあるまいかと考うるのであります。

 日本の古典を繙いて見ますと、何よりもず大切な事柄は建国の御神勅であります。ところがこの建国というのは侵略や征服の意味でなくして、日本民族というものを一大家族と見做みなして天津日嗣天皇がこれを知ろしめさるる意味であることは、何よりもず歴史的事実が証明する所であります。バラバラにすれば日本国は多数の小家族の集合でありますが、固めて見れば 天皇を大家長と仰ぐところのたった一個ひとつの大家族であります。うしたきた実例を地球上に求むるに、日本以外に何所どこにも見出すことができません。

 一体地上の経綸ということは実践的傾向を帯びたるすべての民族の脳漿を絞るべき大問題で、従って従来いろいろの方法がいろいろの国民によりて試みられました。現在の世界を見渡しましても御覧の通り種々雑多の組織制度が行われて居ります。此等これらの中(うち)いずれが一番優秀であり、いずれが最後の勝利を占めるものであるかは軽々に断定するこどは避くべきでありますが、日本開闢以来伝統の大家族制度がそれ等の中で最も優秀なものの一つであることは、いかに反日本主義アンチにほんしゅぎの外人でも容認せぬわけには行かぬと存じます。何となればそれが単なる机上の空論でなく、最もすくなく見積っても二千五百八十七年の大試錬を閲して揺がざるものであるからであります。人間世界で何が有力と言っても事実ほど有力なものはありません。

 ここで心霊家に取りて特に肝要な問題は、単に表面の制度や組織の考察にとどまらず、常にそれ等の制度や組織の由来する淵源に向って探窮の歩を進むることであります。現象の世界に何等かの果が現われるにつけては超現象の世界即霊界に必らず何等かの因がなければならぬ筈であります。これは心霊科学の実証する所であって、断じて御都合主義の一家言や小主張ではないのであります。

 ところで、大宇宙の無窮にわたりての変遷推移は到底人智の採り得る限りでありませんが、すくなくとも人間の記録の示す範囲内では、地球上に建設された大小新旧様々の国家の中で、

  独りわが日本のみが一度も国体の変更を見ない

のであります。私はこの事実を以て霊界の意思、更に進んで宇宙意思の発露の結果であると考うるのであります。

 無論長い間には日本国内にもこの点に向って疑議を挿んだものがちょいちょい出現したようであります。がいずれの時代に、いかなる人物が出て、んな真似をして見ても最後にかならず滅びたということはそもそも何を物語るものでありましょうか? 断じてこれは単なる人間の努力又は工夫の結果と見做みなすべきでありません。日本国家の上に儼として御守護遊ばさるる大神霊の御意思の発動と考うべきであります。

 これを要するに日本国においては、何事を行い、何物を企つるに拘らず、常に、

  日本国体の擁護を枢軸として進むこと

が肝要で、心霊研究とても決してその選に漏るる訳には行かないのであります。片時もこの大立脚地を忘れた時に日本の心霊現象は到底碌なものの現わるる見込がありません。これは日本霊界の万世不磨の大鉄則であるのだから致方いたしかたがないのであります。

 試みに日本の古典並に歴史を繙いて御覧になったら、私の申すことに間違のないことがお判りでありましょう。 天孫の降臨、大国主おおくにぬしの国譲り、神武の東征、神功皇后の三韓征伐、大和武尊の東夷平定、宇佐八幡の御神勅、伊勢の神風、明治の王政復古………。活眼を以てその辺の事蹟をお読みになれば、いかに日本神霊の御活動振のさかんであるかがよく判ると思います。卓子浮揚現象も結構です。直接談話現象も至極有益でありますが、此等これらの国家国民的大奇蹟、大現象の前にはそれ等の諸心霊現象ははなはだ影が薄く、単に傍証として役立つべきもののように考えられます。

 此等これら日本式の諸心霊現象で一番困る点は、それがいかにも大物である上に、実験者の誂い通りこれを勝手に製出せいしゅつさせる事が絶対に不可能なことでありますが、幸か不幸か現時は正に、

  それ等自然的大現象の出現すべき時代

に遭遇したように思考されるのであります。御覧の通りの支那の動乱、財界の動揺、天候の不順、就中日本国内に瀰漫[#「瀰漫」は底本では「瀰蔓」]し切った魔的思想と魔的行動の跋扈ばっこ、更に眼を転じて遠方を見亘しますと、英露の葛藤と欧亜全土に漲る不平、不満、自暴自棄の感情の欝結――有史以来内外共に感心すべき状態に置かれて居ること、今日のごときはずめったにありません。果せる哉人間の中で一番早耳の世界中の霊能者達は口を揃えて人類の危機の接迫を叫びつつあります。むろん、霊媒なるものは敏感である丈、それ丈錯誤を伝うることも多くうッかりその言葉に盲従すれば飛んだ失敗に陥ることを免れませんが、しかし十人が十人、百人が百人ことごとく大同小異の事を伝える時に、多少の考慮をこれに費さぬは余りに無謀であります。よし一歩を譲りて霊媒の警告などは無視するとしても、吾人の常識、吾人の理性ははたして大平無事の予感を吾人に与えるでしょうか? 何等かの慾のめに眼がくらんだものでなければ恐らく深く省み、強く憂うるところがなくてはならぬ周囲の状勢であると信じます。で私の所見を忌憚なく申上ぐれば、今日の如く、

  日本国に対する脅威の猛烈なる時代

は前後に無いと思います。しかしながら、日本の心霊家としては正に千歳一遇の好機会に遭遇した訳かも知れません。何となれば、由来日本の霊界はんな時代においてのみ大々的活動を起してくださるのを常則として居られるから……。

 以上のぶる所は極めて粗雑極まったものでありますが、日本国の心霊研究の使命の那辺に存在するかはほぼこれで見当がつきはせぬかと思うのであります。私がしばしば繰りかえす通り、日本国の心霊家は欧米の心霊家の真似まねはできません。たとえ真似まねて見たところで受合って碌な効果は挙げられまいと信じます。よくてもるくても、これは国民性……イヤむしろ国民の守護霊の相違がしからしむることであって、何とも致方いたしかたがないものと諦むべきであリましょう。

 ただここでわれわれ日本の心霊家として御同様大に注意を要する点は夢にも固陋偏狭の弊に陥らぬことであります。日本の心霊家の大目標が、我皇の大家族制度の擁護拡充にありと言うことは事実であるにしても、人類としての他の複雑なる責務を無視して差支さしつかえないという意味では断じてないのであります。過去の日本国民久しい間東海の別天地にすッ込んだ、世界の田舎者としての日本国民は国家擁護の単なる道具に使わるることに満足し、浅薄なるお国自慢を振りまわして得意がり、これを一人一人の単位として考うる時に、いかに贔屓眼[#「贔屓眼」は底本では「贔負眼」]に見てもあまり立派なものとは言い兼ねたのであります。この傾向は明治大正の時代を経来った現代においてもまだ充分にけ切れないようで、一たん国家に緩急ありて全国民一団となりて奮起した場合などには世界無比の働きをいたしますが、平時において一本立ちの人間としては、日頃日本人が見下したがる支那人にもはたして優るかどうかが疑問とされて居ります。

 うした境涯からは一時も早く脱却すべく懸命の努力を払わねばなりません。人間としての資格、文化人としての資格はなかなか複雑でありまして、家族人国家人たる資格の外に個人としての資格もれば、社会人としての資格も又世界人としての資格も具備せねば駄目であります。日本人が世界に誇り得るのは小家族人及び大家族人としての訓練がよく行き届いて居る点で、これは今後においてもますますみがきをかけねばなりません。所謂モダーン、ボーイやモダーン、ガールはこの自覚のはなはだ稀薄な連中で、つまり

  日本人としての根本的資格を失った不具者

でありますが、しかしこの二方面の自覚がある丈では真の文化人たる資格が備わりません。個人としての才芸徳操、社会人としての親切同情、又世界人としての正義と雅量との巧妙な使い分け等は是非とも三たび肱を折るの覚悟を必要とします。此等これらの方面の徳性の錬磨にかけては、われわれは広く諸外国の苦労人の長所に学び、儒教、仏教、基督教等、何でも毛嫌いせず、いやしくも良いものは採り、るいものは棄てるの識別力を蓄えて置かねばなりますまい。それ等の準備の出来上った時が日本人の建国以来の大理想たる
  世界的大家族主義の実現

する時期でありましょう。日本国民がはたしてこの複雑なる大準備に堪え得るや否やの試練は今正に吾人の頭上に落下せんとしつつあります。日本国民中の先覚を以て任ずる心霊家の深く深く省みるべき問題でなくて何でありましょう。

(二・六・二)


底本: 雑誌 「心霊と人生」 第四巻第七号

発行: 1926(昭和2)年7月1日 心霊科学研究会

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に準拠して、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、章毎にページを分け、箇条書きに改行を加え、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、強調表記に、置き換えました。

※ 入力:いさお      2008年9月7日

※ 公開:新かな版    2008年9月7日


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