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天恩洪大

浅野 和三郎

 大正天皇御大葬を機として、ここに大赦の恩典が布かれ、その恩沢に浴する者が万を以て数えらるるようである。新聞紙の報道によれば私もその中の一人であるらしい。

 顧れば大本事件が勃発したのは大正十年二月のことで、それから指折り数うれば昭和二年二月まで、正に満六年、しかも最近まで未解決のまま残されていた。よくは知らないが、あるいはこれなどが、日本国で長い裁判の記録であるかも知れない。それ丈この事件の内容に複雑こみいったところがあるのである。

 何よりこの事件を困難ならしめたのは、恐らくそれが思想信仰上の問題に触れて居た点であったと思う。心霊上の実験なり、体験なりをっているものには神懸り現象は一の事実であり、常識であり、霊魂の価値は屡々人間の価値以上のものと考えられる。ところが、何等心霊上の準備なき人々には、それがすべて一の架空の方便、若しくは何にかめにせんとする野心家の詐術位にしか考えられないのである。これでは何年経っても議論がない筈である。

 冷静に考えて大本教にもいい点が全くないではないと思う。就中鎮魂帰神の法を実修して、顕幽交通の途を講じた点は、死せる宗教に新生命を与えたもので、たしかに至大の意義がある。が、るい点も決して尠くない。就中大本教が大神の名を口にして、唯神の道を唱えながら内実はかならずしもそうでなく、ややもすれば執着界以下の怨霊、堕落霊等と交通しつつ、ひたすら出口一族の閥的勢力の達成のめに腐心しつつある点は、いつしか功利主義の奴隷となったもので、断じて純真なる信仰の道にあてはまらない。

 私は綾部滞在両三年にして、次第に大本教に慊らず思いはじめた。殊に直子歿後の、ますます露骨なる出口王仁氏の言動に不感服の意を懐いた。私としては、その当時において当然自己の去就をあきらかにすべきであった。

 しかるに私にそれができなかったというのはああ何たる腑甲斐なさであったろう。『私をたよりにして折角綾部に集まった人達がんなに沢山居るのに、それを見棄てて去るのはいかにも気の毒だ……。』『大本教にも恩義がある。私は大本教のお蔭で心眼を開いたのだから、成るべくそれを善い方に導きたい……。』――私はそんな私的の小義理小人情にからまれて、荏苒として一二年を送り、大正十年一月に及びてやっと大本教との関係を絶つことを講じた。幾もなく、突如として大本裁判事件が勃発した。

 私の罪はたしかに万死に当っている。

 最初大本事件が起った当座、私が最も心外に感じたのは出口氏とグル扱いを受けたことであった。が、幸いに次第にその真相が判って来て、最近四年以来二人の問題が全く切り離さるるに及び、私の心は全く平静に帰してしまった。私は公正明大なる判決の下さるるを謹んで待っていた。こうした際に今回の不慮の御大変。

 私の心霊上の信念はことごとく自己の体験と実験とから来ているのであるから、こればかりは拭い去るべき途がない。縦令たとえ死を以て脅かされても止めることはできない。

 私は今後においてますます自分の行くべき道に向って、真直まっすぐに進もうと思う。それがとりも直さず、洪大無辺なる天恩に報ゆる唯一の途であると確信する。

 愚昧なる私のごときものが十年以前に杞憂しつつあった世相は、その後次第次第に全世界に瀰漫しつつある。十年前に奇矯視せられ、又危険視せられた言説は、今日では、ほとんどすべての階級の人々の常套語と化しつつある。考えて見れば世の中も変ったものだ。これからき、この世界はう進むか? 又この日本国はう変はるか? 又世界の人類は、いかなる覚悟を以てこの大転換の渦乱の裡をくぐり行くべきであるか?

 問題は実に至難だ。

 多くの賢明な人達よりも一と足おきに心霊研究に身を投じた、微力私のごときものが、はたしてこの難問題の解決に向って万分の一の貢献を為すことを得るや否やは疑問である。しかしながら、成敗を度外に措いて、私はその覚悟で今後ますますこの道のめに粉骨砕身しようと思う。――【二、二、一二】――


底本: 雑誌 「心霊と人生」 第四巻第三号

発行: 1926(昭和2)年3月1日 心霊科学研究会

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に準拠して、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、章毎にページを分け、箇条書きに改行を加え、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、強調表記に、置き換えました。

※ 入力:いさお      2008年5月15日

※ 公開:新かな版    2008年6月10日


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