心霊図書館雑誌総合案内> 「心霊と人生・第三巻

われ等の生きる道

(大正十五年十月十九日大阪新交倶楽部において講演)

浅野和三郎

 

 今回関西の旧知の方々から御招ぎに預かり、約一年ぶりで昨日当地へ参ったような次第で、ここに端なくも皆様と親しく膝を交えてお話しができるのは誠に光栄と存ずる次第でございます。さて私の今夕の講話の標題は仮りに『われ等の生きる道』と命名しましたが、これは最近十余年にわたり、ひたすら心霊問題、霊魂問題、信仰問題等に没頭した私自身の貧しい体験と欠しい経験から割り出された一私見を述べたいめの間に合わせの題目として選んだに過ぎません。無論私ごとき未完成の人間の議論に向って余り大きな期待をかけらるることは最初からお断りしますが、ただ私の述べますところに多少の取得がありとすれば、それが

 真剣味を有って居ること

だろうと信じます。兎に角、私としては常に一生懸命である。学問とか、名とか利とか言ったものからは、成るべくきれいに離れ、所謂いわゆる成敗利鈍を省みず、問題の真只中に飛び込んで味読することを努めて来て居るつもりです。後から省みると『われ過てり!』と浩歎こうたんするような誤謬失敗も数々ございますが、そこは凡夫の墓なさで、平に皆様から大目に見ていただくより外ありません。兎に角私は、白は白、黒は黒と正直に告白し、心にもない嘘は吐かないつもりで居りますから、その点は御安心を願います。事によると成るべく私の失策しくじった事実の告白をした方が皆様の後の御参考になるかも知れません……。いずれにしても今日は成るべく、抽象的議論を避け、

 私自身の体験経験等に即して

愚見を吐露して行こうかと存じます。

 下世話にも恥を言わねば理が通らぬ、などと申しますが、私の生涯は大正五年を以て丹波の大本教に接触した時を以て一転期をかくするのであります。大正五年までは詰らない官僚生活を送りながら外国文学書などをひねくり、はなはだ月並な十数年を送りました。碁でいうならば所謂いわゆる定石を打って居たのであります。所が、大本教を通じて心霊の世界と直接取引を開始するに及びて、『これはこのままに棄て置けない』という気になり、それから官職をなげうつ、文学を棄てる、一般世間と遠ざかる。他人から観ればすっかり定石はずれの手ばかり打つような人間となりで今日に及んで居る次第であります。――但し、現在の私は最早大本教とは全然無関係であるのみならず、いずれの宗教学派にも属せず、専ら心霊研究の畑に立て籠って居るもので、これは充分の御諒解をお願い致して置きます。私が大本教と絶縁してからかれこれ五年になりますが、未だに『例の大本教の浅野……』などという形容詞をくッつけられて恐縮する場合が[#「場合が」は底本では「場合か」]多いのであります。

 さて私見たいな平凡な人間が、何故に最初大本教に接触して血眼になったか? 他にあらずこれを機縁として心霊上の議論でなくして、

 心霊上の事実と正面衝突をることに

なったからであります。御承知の通り、大本教は出口直子というお婆さんの神懸状態に於ける自動書記現象、例のお筆先の出現から始まったのであります。直子の筆先の内容価値に就いては一昨年私の機関雑誌『心霊界』誌上に数ヶ月にわたりて発表してありますから、就いて御覧を願います。本日はこれに関する細論は避けますが、あれは心霊上の知識なき学者官吏、新聞記者諸君の多くが考えたようなニセモノでもなければ、又一部の催眠術者の主唱したような潜在意識や自己暗示の産物とのみも言われません。あの中には随分いかがわしい、愚痴やくり言もまじって居りますが、しかしその中には単なる人間の理性常識では到底企及し得ないと考えらる卓抜なる意見……。詰まり

 心霊の閃きと言ったようなもの

が認められます。あの筆先に、大本信者の唱道するような神書聖典という価値がありとは決して認められませんが、しかし明治大正にかけての頗る興味ある一の心霊産物たることには疑問の余地がありません。かかる問題に全然無知識の私は大正五年から七年にかけての直子の晩年の実況に接して、少なからずびっくりしたのであります。

 モ一つ大本教で無視してならないのは、それが例の鎮魂帰神法を紹介して、一般修行者に霊的体験を与うるの途を開いたことであります。無論霊的修養法として鎮魂帰神法が天下一品の神法という訳ではありません。西洋にも日本にもほぼ同性質同目的の修養法は沢山あります。坐禅でも、観法でも、念仏でも、ヨーガでも、いろいろの静座法でも、又催眠術でも、ほぼ似たり寄ったりのもので、その効果の大小軽重、正邪善悪は無論これを使用するものの人格如何いか、用意如何いかによりて決します。これに限るというものがない代りに、又これは絶対にけないというものもない。要するに方法形式は末であり、従であって、修するものの用意覚悟が本であり、主であります。――兎に角大本教では専らあの鎮魂帰神法を採用し、鎮魂というと一時大本教の専売品でもあるかの如く考えられた時代もありますが、私も大正五六年から七八年にかけて、自分自身でも実修し、又他人に向って実験を重ねもしました。私自身の心霊研究は斯くしてず実地から入ったので、最初の数年間私は書物の上の研究というものをほとんど致しませんでした。

 ところで私自身は所謂いわゆる霊媒式敏感者ではありません。御覧の通り精神肉体共に平調を失せず、どこにも一風変った個所がないのです。んな人間が霊的体験を獲得するにははなはだ骨が折れます。が、ただの一度も自分自身で正体を味わって見ないことにはいかにも物足りない、いかにも力がとぼしいと思いました。実行者と非実行者、行者と学者との間には其所そこに截然たる相違ができる。で、私は主としてず自分自身の体験を得る覚悟を以て鎮魂を修したのであります。その結果比較的早く私に取りては極めて貴重なる一の霊的体験が恵まれたのであります。外でもないそれは、私に一度丈霊眼――霊視能力が開けたのであります。私は隠さず告白しますが、大正五年の四月某日を以て、深き統一状態にありて、ありありと、

 一個の霊魂の姿を目撃した

のです。幻覚、錯覚、自己暗示、うした現象にケチをつける学究的用語は多々ありますが、それは体験のなき人達の間に行わるる一の自慰法に過ぎないもので、はッきりした体験を握った人の信念を一分一厘動かす力はありません。すくなくとも私自身においてはそう感じられます。私はその瞬間から物質的現象界の奥に儼として別個の超現象世界、霊界が存在するものだという確信が刻みつけられました。いかに取消したいにもこればかりは事実ですからドウしても取消し得ません。一方からいうとはなはだ困ったものです。それからの私は縦令たとえ千万人を向うに廻してもこの

 真理の樹立のめに心血をそそいで見よう

というような、はなはだ世渡りのめに割のるい考が、牢乎として根を張ったのであります。爾来じらい今に及びて十有余年、うして人様から見れば余計な苦労を重ねて居る次第であります。

 たとえ貧弱ながらも一の体験を獲た私は、今度は向きをかえて他人をつかまえて実験を重ぬることになりました。大正五年の四月から十一月頃迄に横須賀において専ら家族だの朋友だのを実験しました。その間に起った心霊現象は透視、千里眼や霊言、並に病気直し等で、もちちん特に傑出した劃時代的の大現象と言うべきほどのものには遭遇しませんでしたが、他人の書物や講釈の受売りでなしに、自分自身の手で、それが決して通り一遍のマヤカシモノでなく、立派に赤裸々の活きた事実であることを承認することができました。(ここで二三の実例を挙げたが、それは略す)。

 やがて私は大正六年の暮に綾部に引移りましたが、それから大正八九年までの数年は綾部は私に取りては善い稽古場でありました。私が移住後大本教には次第次第に参集者の数が殖える一方で、後には毎日二三百人を算うるに至りました。大本教からいえばそれ等は結構な信者でありましたろうが、私の心霊研究の立場からいえば、それ等はまことに

 誂い向きの実験材料

でありました。その数年間に実験のめに私のみが取扱った人員丈でも約二三万人に上るだろうと考えます。

 無論良い霊媒は天賦であります。霊媒となるのには何よりず一種特有の鋭い感受性がなければ駄目であります。しかしいやしくも生きている人間ならば霊媒的感受性の絶無な人というのも又ないので、これは私見たいな鈍覚的人間でも、一生懸命となれば霊視能力の体験を獲たのでも明瞭でありましょう。お良い霊媒たるべき大切な資格の一つは、他のあらゆる方面においてもしかるが如く、立派な人格の所有者であることであります。つまり正直で、真面目で、寡慾で、ろうことなら慈悲心だの、同情心だのに富んで居てほしいのであります。人格の下等な敏感者は

 はなはだ始末のるい不良霊媒

を造ることになります。んな次第ですから、大本教に雲集した数万人の修行者の中から、心霊界の檜舞台へ持ち出して、見込のあるのがいくらも出現しなかったことは必然の道理でありましょう。九分九厘九毛までは霊媒として落第であります。それ等の中で現在のところ私の大に望みを嘱するものはごく少数で、しかもそれ等は今日は全部大本教とは離れてしまった人達ばかりであります。これは誠に不思議な、そして意義深い現象であろうと考えます。

 が、私の関係せる数年間に大本教の部内に種々雑多の霊媒現象が続出したことはすこぶる非常なもので、単なる心霊現象の調査研究という点から観ればはなはだ有益――すくなくとも私のめには実に絶好の研究資料でありました。その点において私は大本教に向って深く深く感謝の意を捧げて居るものであります。当時の数ある現象を類別して見ますと、自動書記、霊視、霊言、霊耳、霊縛、霊夢、及び治病等の諸現象であります。(実例略す)大体においてその性質は幼稚、雑駁ざっぱくであり、又その取扱方は科学的正確味において欠けて居り、心霊現象として学界に報告するには不充分でありますが、しかし私自身の経験を豊富にし、私自身の信念を強め、心霊問題に対する大体の見解を構成せしむるがめには、なかなか有益なものでありました。

 それ等種々の心霊事実を実験した結果、私が最後に帰納した結論は根本の要点だけ摘記すると左の諸項であります――

 一、各人の肉体に霊魂が宿って居ること。(図表に就きて説明)

 二、肉体を離れた霊魂は死の彼岸に存続すること。

 三、死者の霊魂は生者の肉体に憑依すること。

 四、霊界と人間界との間には交通が可能であること。

 五、霊魂の働きは威力と種類とに富み、ある程度時間と距離を超越すること。

 六、心霊研究の提供する証拠は人生百般の問題と不離の関係を有すること。

 いずれもこれは人間に取りて重大問題ばかりで、この真理が確認さるると否とによりて

 人間生活の全般

わたりて大変革が生ずる訳であります。

 そう思いまして先年私は筆に口に自己の所信を天下に発表した次第でありましたが、綾部時代の私の研究はいかにも粗雑に過ぎ、玉石混淆、美醜相半ばせる大本教の主張を鵜呑みにし過ぎた感がありましたので却って世人の嗤笑と圧迫とを受けたにとどまりました。今日から省みてそれは誠に当然の話で、深く自から恥じ入って居る次第であります。

 最後に私は大正十年を以て一切の情実を棄てて大本教ときれいに絶縁し、それから転じし純心霊研究に従事することになりました。それから霊媒の実験と欧米の心霊事実の調査とに忙殺され、烏兎匆々うとそうそう早くもここに五年の歳月を費してしまいました。この間の私は真理の検討以外に何物もありません。

 嘘は嘘、事実は事実

ときッぱりさせて置いて、その上でわれ等の生きる、正しき道を築いて行きたい――ただそれ丈の念願で進みつつあったのであります。ところが最近五年間、研究を重ぬれば重ぬるほど往年私の脳裡に据えつけられた、前記の諸項は一層強く、一層明瞭に裏書される丈で、縦令たとえ天地が逆さまになるとも、こればかりは恐らく違わないという磐石の確信を有つようになりました。――万々一この私の主張に不備の点があったらいくらでも訂正を施しますから、斯道のめ是非御指教を仰ぎたいのでございます。

 本日は時間に制限がありますので此等これら諸項の一々に就きて細論する余裕は到底ありません。私は十年来の研究の総決算を致すつもりで、目下『心霊講座』と題して自分の雑誌に連載中でありますから詳しいことはそれを参考までに御一読あらんことを切望して止みませぬ。お講演後においてゆっくり御質問に応じて卑見を述べたいと存じます。(ここで各項に就きて実例によりて説明したが略す)

 さて右に申上げました数項がいよいよ真理であると認められますと、それが認められなかった時代、すくなくともそれが半信半疑のままに取り残された時代とは、

 人生観の上に大変動を来し

従ってわれわれが実際に生きて行く道、実生活の上に、大変動を来すべきは当然の次第であります。卑近な例で申しますと宇宙間に電気があることが認められた結果、今日の電気事業が出現したようなものであります。発明又は発見から始まって活用が起り、学問研究から始まって実地応用が伴って来る。これが人間界の通則であります。今日霊魂問題は好きとか嫌いとか言って騒ぐ感情論の時代、得だとか損だとか言って争う功利主義の領域から立派に脱却して純科学の問題となって居ります。科学はどこまでも冷静であります、公平無私であります。賛成でも不賛成でも今日は最早霊魂の存在を認めない訳には行きません。強いてこれを否定する方々は、つまり自分が理性と常識とに欠けた人間であることを自白する所以ゆえんでありますから、お気の毒でもそれ等の方々は追々社会の表面から退いて戴かねばならぬことになりましょう。日本の制度習慣を無視するものはまことの日本国民の資格がない。霊魂の存在を無視するものは

 まことの人間としての資格がない……。

 手取早く言うとそう言ったことになりましょう。私はそうした時期の到来は案外に迅いと信じます。すべて物事は甲乙ッちかにきまるまでの揉み合時間が長いので、一たん決まったとなると一瞬間に形勢が急転します。この問題だって同じことです。学問として霊魂問題はもう勝ちました。これからはそれが実社会にどう影響し、どう発展するかの問題です。私はこれに就きて簡単に卑見を述べて見たいと存じます

 すべてある一つの問題が世の中に影響を与えるに当りましてはかならず二つの途があります。

 甲は間接の影響乙は直接の影響

であります。霊魂問題が人生の各方面にわたりて与える間接の影響に至りましては、掛値なしに全般的であります。政治、道徳、信仰、実業……。一として例外がありません。今それ等の一々に就きて卑見を申上げる時間もなく、又私などが殊更に申上げなくても、皆様御自身でお考えになられたら、却ってその影響の至大なるに驚歎されるでありましょう。で、今日は単に後藤子爵の最近提唱された『政治の倫理化』という問題に就きて心霊論者としての立場から一考察を下すにとどめます。

 政治の倫理化、ちょっとは面白い標語であります。つまりこれは現代の政党者流並に官僚界全体に向って露骨無遠慮に不信認を表明した言葉と見受けられます。もっと平たくいうと『汝等はことごとく堕落している。腐敗し切っている。私利私慾の奴隷となって国利民福を無視している。早く心を入れ代えればよし、それがきなければそのままでは承知しないぞ! 愚図愚図して居ると叩ッ殺すぞ……。』まさか叩ッ殺しもしますまいが、兎に角なり猛烈な内容をった標語と考えられます。

 すべて物事には決して偶然ということがなく、一見はなはだ詰らないような一片の言葉にも一枚の絵にもしばしば時代の風潮又は思想等を言い表わしていることがあります。この意味においてかの民謡、はやり唄というようなものにも活眼達識の士が注意を払うことを怠らないのであります。ましてある変動時代にかならず発生する一の標語モットウ、こいつはほとんど

 天の声と称していい

かと考えます。天に口なし、人を以て言わしむ……。そうした趣があきらかに見受けられるのであります。例えば幕末の尊王攘夷という標語、あれなどが矢張りそうです。つまりこの語の中には何よりも当時の為政者たる徳川幕府に対する不信任の意味が十二分に現われているので、後藤子の今回の標語と、ある程度まで共通の個所がたしかにありますが、同時に又大に異った要素もある。尊王攘夷の中には建設と破壊の両面が立派に具備して居るに反し、政治の倫理化には

 建設がなくて単なる破壊のみが言い表わされている

――これが大なる相違の点であります。

 何故かと申しますに、後藤子は倫理を口にされるが実は現代の倫理そのものは一の死物であります。それぞれの徳目の羅列はある。一と通りの道具立は備わっている。しかしながら肝腎な倫理の基本的観念がまだ確立して居ない。試みに現代の倫理学者に向って敬神崇祖の説明を求めて見ればすぐ判ります。最近の心霊科学の精緻なる研究の結果を取り入れることなくして敬神崇祖の真の説明は到底出来ません。縦令たとえ出来ても、心胸のドン底から迸り出る大信念の表明でないから、ただ口頭倫理たるにとどまりて一代の人心を熱化せしむる烈々たる焔がありません。死んだ倫理の形骸が何になりましょう。現にその事実は露骨に世相に現われている。今のままで政治の倫理化がきれば結構だが、それは到底きない相談であることが余りにあきらかである。で、

 後藤子は畢竟ひっきょう きない相談を持ちかけて

破壊事業を行うものだと言われても致方いたしかたがないでしょう。

『政治の倫理化』という標語が、この意味においすこぶる物足らぬ点があるばかりでなく、この多事多難なる現代を率ゆる標語として余りにもその規模が小さいかと考えられます。政治はわれ等の生きる道の大切な一部門に相違ありませんが、しかしそれが人生のすべてでないことも確かであります。大風呂敷と言わるる後藤子としては実に意外に縮小的標語に満足されたものです。それよりかも

 国民の心霊化

とでも言った方が、深みも加わり、広さも増して、よほど面白かったろうと思います。『日本のような貧乏国、日本のような狭い島国、又日本人のような小ッぽけな人種、んな物質的には恵まれていない国家、国民に与えられたる唯一の活路は、物質的羈絆の外にできる丈超脱することである。国民的士気精神の活躍を期することである。見よ、霊魂の働きはかくくしびではないか! 見よ、われ等の祖先は他界からいくらでも必要に応じてその子孫の擁譲に努力されるではないか! 起て国民、奮え同胞……。』後藤子があの意気でうでも叫ばれたら、前途に赫灼たる光明が輝いたでしょうに、誠に惜しいことをしたものです。あのままでは転変常なきこの動揺時代において一の波紋を描いたに止まり、きへ行くに従ってだんだん消え失せてしまいそうです。

 心霊問題が間接ではあるが政治問題の上にいかに多大の影響を及ぼすかはこの一例を見てもほぼお判りと存じます。これから心霊問題が人間の生活に及ぼす直接の影響を考察して見たいと考えます。直接の影響といいますと、詰まり

 人間それ自身の改造

であります。自分の肉体にはくしびな霊魂が宿っている。自分の肉体は亡びても自分の霊魂は永遠に生き残るのである。自分は百年前、千年前の古人といくらでも交通ができる。自分に真心さえあればかならず天地の大神霊の加護がある。――そう言った信念、科学的に築かれた、磐石の大信念が宿った人間と、虫ケラ同様、喘ぎ喘ぎただ無意味にその日暮らしをしている物質かぶれの人間とは、同じ人間でも品が違います。大地に咲き出づる自然の花と紙や布で造りあげた造花との相違があります。政治家も心霊に目覚めた人でなければ立派な政治はできません。実業家もうした人でなければ立派な働きは立てられません。文学者も心霊に目覚めることによりて傑作が出来、画家も俗意俗情に遠ざかることによりて神品が作れる。

 心霊問題などというと、いかにも実生活と没交渉の道楽仕事でもあるやに考えられ勝ちですが、これは大間違のはなはだしきものであります。心霊ヌキの人間、心霊ヌキの人生などがあって耐る訳のものでありません。丁度それは魚から水を奪い、鳥から空を奪ったと同様の結果になります。

 文学、美術、学問等の畑から、真に心霊に目覚めた、そうした人物の輩出も望ましいが、しかしかく行詰った現代の日本としては何よりも

 心霊に目覚めた経世の大偉才

の出現が望ましいと痛感されます。五尺の肉体を以て天地宇宙と感応交通し、坐ながらにして千里万里の外を察知し、百年千年の後を洞察して誤らずと言った霊感的大人格――そうした人物でも出ねば日本の前途は誠に心細いものです。古来日本にはマサカの場合、かならずこの種の人物が現われたところから考えれば、今の時代にのみそれが現われない筈はないかと信じます。イヤ事によるとそんな人物はすでに何所どこかに出て居るのかも知れません。ただあくまで心霊問題に無理解な現代の日本人には、所謂いわゆる猫に小判式で、折角現われているものを見つけ出さずに暗中模索をってるのかも知れません。後になってから『何アーンだ!』と呆れ返るようなことがあろうと思われます。

 私どもはそうした時代の到来を促すべく微力の限りを尽しつつあるものであります。決して他人事ではないのであります。何卒皆様に置かれましても今後の御奮発を切望して止みません。本日は誠に御清聴を感謝致します。


底本: 雑誌 「心霊と人生」 第三巻第十二号

発行: 1925(大正15)年11月1日 心霊科学研究会

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に準拠して、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、章毎にページを分け、箇条書きに改行を加え、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、強調表記に、置き換えました。

※ 入力:いさお      2008年3月20日

※ 公開:新かな版    2008年4月24日


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