心霊図書館雑誌総合案内> 「心霊と人生・第三巻

個人的目的と共同的目的

△人間一日も何等かの目的無しには暮せない。いわゆる酔生夢死と云ったような手合も稀にはあるが、それでも目的が皆無という訳ではない。目的とする所がはなはだ下らないというまでの話である。

△いうまでもなく目的の立て方にはいろいろの標準がある。人間の生活そのものが複雑である以上、その目的も当然複雑にならざるを得ない。が、大別すると個人的目的共同的目的の二つに分れる。

△個人的目的の立て方に就きては私などが出しゃばる幕でない。個人的自覚は近来ますます発達する傾向で、自立の道を立てるべくいかなる男も女も血眼になって居る。成功、致富、就職、出世――近代人はそれで七顛八倒している。

△人間死んで霊界に入ってからは衣食住の心配はらないそうであるが、地上生活においては衣食住が何より大切な問題である。人間はず何とかして生きて行かなければならない。その程度に就きては各人各様であろうが兎に角独立自活ということは個人の先決問題である。近代人にこの自覚が強く出て来たことは結構な話だ。

△衣食住の外個人としてモ一つ解決せねばならぬのは恋愛問題である。霊界の恋愛は純精神的のものらしいが、地上の恋愛は精神と肉体との相持の問題である。ここに困難が伴い、失敗が起って来るが、しかし近代人はこの点の解決に就きても相当考が練れて来たようだ。

△ドーセ人類進化の現状においてこの困難な恋愛問題がきれいさっぱり解決されようなどと望むものがあれば望む方が無理だ。余りあせり過ぎ考え過ぎると結局神経衰弱になる位のものであろう。

これを要するに衣食住の問題だの、恋愛問題だのに個人の問題だ。個人問題の解決も必要には相違ないが、それのみで人類の能事は終らない。何となれば人類は共同生活を営み、共同の目的に司配しはいされるところの動物だからである。現代の日本人には個人的自覚ができた代りに、共同的自覚がはなはだ薄らいではせぬか?

△共同的自覚と言ってももちろんその内容はいろいろに分れる。同郷的自覚、同窓的自覚、同業的自覚、同宗派的自覚――これ等も共同的自覚には相違ないが、私が現代の日本人に一番欠けて居はせぬかと思うのは日本民族全体としての共同的目的の欠乏ということである。

△個人的自覚のできかけた時には、個人という単位ばかりが真実であるように考えられる。日本の現代が正にそれだ。現在発行さるる幾百という雑誌の記事が何よりの証拠だ。衣食住問題と恋愛問題とを除いてはたして何物が残るか?

これを引離せば日本民族はバラバラの個人だが、これを引き寄せれば日本民族は立派に一つの団体だ。個人も真実であるが、団体も同様に真実である。従って個人に個々の目的があると同時に、団体にも亦団体としての共同目的がなければならぬ、それがなければ日本民族はい事になる。

△無論日本民族には全体を打して一丸としての共同目的があるには決っている。『東洋の平和、東洋文化の樹立』――苟くも日本人という日本人の胸の底にこの共同の大目的が潜んでいないものがただの一人としてあって耐るものでない。悲い哉その目的は目下下積になっている。イヤ下積にして置かねばならぬ破目に陥っている。

△明治時代の日本人はこの大目的を真向にふりかざして進んだ。個人的目的を下積にし、共同的目的を上積にして大に気張ったものだ。日清戦争、日露戦争などはその結果として産れたものである。

△その時代の日本人がこの目的達成のめに主として武力にたよったことの可否は別問題として、その時代の日本国民にはすくなくとも希望があった。光があった。内輪揉や悲観的自殺などがはなはだ稀であった。一国民を一国民として活かすめには是非とも一国民共同の大目的の存在が必要である。

△ところが欧州大戦を経、関東大震を経てからの日本にはこの大目的の影が次第に薄くなった。今更いまさらうっかり戦争もできないし又それに必要の財力もなし、縦令たとえ目的はあってもそれを達成すべき$$手的方法がさっぱり見当らないことになった。これでは一国民としての締めくくりが失せてバラバラの個人主義が勢力を占める訳だ。

畢竟ひっきょう現在の日本人は暗夜に灯火ともしびを失って戸惑いをしている形だ。大きな目標がないからこの際個々の小成功、小刺戟でも求めて御茶を濁して暮そうとしているのだ。ドウせ世の中は一寸きは闇だ。やぶれかぶれだ。こんな時代には矢張金儲でもするに限る……。ずそう言った調子だ。

△これではけないと内々心配している人々が相当にあることはある。就中老年の政事家軍人等の中にそれが多い。――が、悲い哉頭脳がふるい。すべての希望を日本の武力的威信の上にかけて居た明治時代の旧夢にこびりつき過ぎている。

△この共同的大目的を達成するめにはひとり日本人のみならず、同時に支那、印度、その他東洋民族を考慮の中に入れる必要がある。それは武力だの、財力だのも一の必要な要素には相違ないが、それ丈では充分でない。もっと深刻な要素、例えば人心の中枢骨髄から湧き出るところの随喜渇仰と言ったような精神的、霊的要素が加わるのでなければとても駄目である。一時の成功は収め得ても永遠の成功は収められない。

△先般一部の識者間に日本の建国祭というものが催されたときいて居る。まことに面白い企には相違ないが、しかし現代人を卒ゆるには頗る微温的に過ぎるようだ。われ等が求むるものは過去の建国の回顧ではなくて、現在の建国の実行方法である。

△近頃後藤子爵は新政党樹立の旗幟を飜されたようである。誠に殊勝なことではあるが、何やらわれわれの五臓六腑にしみ亘らないところがある。倫理化せる政党が倫理化せぬ政党よりも結構であることは勿論むろんだが、しかし政党の倫理化は要するにそれだけの問題である。これを以て国民全体の共同目標とするにはかなりに小さい。

△それは兎に角、近来この種の企てがあちらこちらにポツポツ起って来たところを見ると、現代の日本国民が、国民としての大共同目標なしに小刺戟や小成功を求めて各個運動をしていることにそろそろ倦いて来たこと丈は察せられる。

△人心の倦怠がいよいよ痛切になったとどのつまりにきまり切ってその反動が起る。そして規則として前の倦怠が大なれば大なるほどこれに準じて後の反動が大きい。今回の反動がいかなる形式を執るところの反動であるかは容易に逆賭し難いとして、それが精神的若くは心霊的の強烈なる色彩を有った大反動であることは疑われないと思う 。

△ところで、この反動の原動力が幸に日本国から現わるれば日本国民は精神的並に物質的に押しも押されもせぬ立派な東洋の盟主となれる。が、不幸にしてそれがきなかった暁には、せいぜいうまく行ったところで一の有力な走狗に終る……。


底本: 雑誌 「心霊と人生」 第三巻第四号

発行: 1925(大正15)年5月1日 心霊科学研究会

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に準拠して、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、心霊と人生・第三巻・第三号 巻頭言「薤の皮」大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、章毎にページを分け、箇条書きに改行を加え、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、強調表記に、置き換えました。

※ 入力:いさお      2007年12月18日

※ 公開:新かな版    2008年1月27日


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