心霊図書館雑誌総合案内> 「心霊と人生・第三巻

ひとり語

△私が心霊問題に手をそめてからかれこれ十年以上になる。いつも馬車馬式に遮二無二前へ前へ前へ前へと突進ばかりつづけて居るが、それでも時には人並にちょっと後を振りかえって見ることもある。殊に何かの故障にぶッつかった時には不図ふと立ち停まってハテナと首を傾けたりする。

△考えて見ると私の研究の仕方は大分非学究式、非秩序的に出来ている。今まで文学の畑に呑気な顔をして暮らしていたものが、何の準備もなしに直ちに心霊上の実地問題に突入して体験を嘗める、実験に耽る、驚く、あわてる……。これでは失策しくじりも多い筈だ。 丁度ちょうど赤ン坊が這々ハイハイから立った立った、立った立ったから歩行あんよは上手と一つづつに進んで行くやり方だ。俐巧りこうな人はんなヘマな真似まねはやらない。

△東洋にも西洋にも心霊上の問題を取扱っている先人の書物は山ほどある。一生の間朝から晩までどんなに精出して読んでもとてもその百分の一も六ヶ敷むずかしいと思われるほど沢山の参考材料がある。俐巧りこうな人間はずそれ等の参考資料の研究から始める。イヤ多くは一生涯をそれ等の参考資料の研究だけに捧げてしまうのである。これなら決してあぶなげがなく、又それで結構世間からも重宝がられる。

お世間には死んだ書物ばかりでなく、生きた書物生きた字引が沢山ある。耶蘇ヤソ教の畠にも、仏教の畠にも、さては神道の畠にも驚歎すべき大学者、敬服すべき大徳が到る所で親切に教を垂れて居られる。そんな重宝な機関をほかにしてどこまでも自己流をふりまわし、直ちに超人間的存在物、百年も千年も前に現世を去った霊魂達と膝詰談判ひざづめだんぱんをしようなどとは全く突飛なやり方、すくなくとも非当世向きなヤリ方と謂わざるを得ない。

△お蔭でこの十有余年来の私の失敗の歴史となった訳であるが、もちろん何もも自分自身の肚裏はらから出た仕事で誰を怨みるところもない。他人に向って私の真似まねをせよと勤めるような気分は味塵もないが、自分丈は今更いまさら致し方がないもの、今後もあくまで在来の愚を守りて進み得るかぎり進み、究められるだけ究めることだと心の底で覚悟をきめている。

△私に一ばんけない弱点は莫迦正直なこと、極度に甘いことである。他の欠点あらを見つける前にずその長所に惚れ、ある事柄を否定する代りに成るべくならばそれを肯定しにかかる。これでは資質たちのよくない相手にかかった時に一ぱいわされるのは当然すぎるほど当然である。心霊の世界とても同じ浮世の姿そのまま、資質たちのよくないものがなり沢山多いようだ。十年以上もかかってやッとそれが判りかけたのだから自分ながらその迂愚うぐに呆れる。

△が、これが私のもって生れた性分なのだから今更いまさらペンキ見たいに外面だけを赤から白に、白から黒にと勝手に塗りかえる訳には行かない。同時に私はこの年来の方針を変更して柄にもない真似をする位なら心霊問題にかかり合うのは真平御免だと思っている。詐術の看破、悪霊の退治等にかけては他に適当な人がいくらもある。そちらの方面の研究はそれ等の方に全然お任せして私はあくまで私の愚を守りたい。イヤ私の愚を守らざるを得ない。

△西洋の方では霊界の居住者にも霊媒の方にも一と足きに自覚的活動が起りつつあるようだ。正直者と正直者との寄合で相当意義ある心霊現象が起りつつあるようだ。日本だっても、まさかいつまでこのまま停電しても居りはしまい。勿論むろん日本の心霊現象は西洋のそれとは、性質、種類、目的等を異にしているに相違ない。それは古来の慣例を見てもほぼ推定がつく。が、兎に角早晩何等かの形を以て自覚的活動が起るものと見ることが正当のようだ。

△イヤその活動は暗黙の間にすでに起りつつあるように私は思っている。本誌にちょっと紹介した横森家に搦まる現象のごときがその一例である。私は従来相当の興味を以てこの調査に当りつつある。西洋式の実験材料とするには不適当であるが、他方において充分これを償うに足るだけの深みと言ったようなものがあるようだ。恐らくこれなどが日本の代表的心霊現象の一つかと思う

△兎に角何等かの意義ある一の心霊事実であった時にそれが何であるかは余り問うべきでない。人間の方で鋳型を作ってそれに当てはまる心霊現象を註文して見たところではじまらない。深みのある心霊現象の発生は何時いつもその主動者が霊界の方に在る。横森家の現象だっても正にそうだ。霊媒のからだきたえ方一つを考えて見てもその辺の消息がよく判る。

△『今度もまたヘッポコ霊のイタズラか!』――私は今まで何回この歎声を漏らしたか知れぬ。『ドーセ碌な心霊事実が無いのなら心霊研究なんか廃めてしまって芋でも作らうか?』――こんな考もちょいちょい胸に閃いたことがないではない。が、そうした瞬間にいつもひょつくり面白い現象が天の一方から湧いて来るので、私の胸の暗雲は一とたまりもなく一掃され、希望の光明がぱッと全身を包んでしまう。これが私の過去から現在にかけての境涯であるが今後それがドー進展するかは自分でも興味ある問題である。

△立派な心霊事実の出現も難有ありがたいが、それにも劣らず難有ありがたいのは私のようなもののやる仕事に対して真の理解者、共鳴者の現われることである。人から笑われる仕事、金銭の少しも儲からない仕事、雲をつかむような仕事、だまされても怒らないでいる仕事――んな割りのるい仕事が天下にそう沢山あるものでない。それを充分承知の上で尚且この仕事に突入しようとする殊勝な人が最近にも現われた。『日本国も見棄てたものでない………。』――私はそう思って衷心から歓んでいる。

(一五、三、一四)


底本: 雑誌 「心霊と人生」 第三巻第四号

発行: 1925(大正15)年4月1日 心霊科学研究会

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に準拠して、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。

※ 入力:いさお      2007年8月31日

※ 公開:新かな版    2008年1月20日


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