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科学的研究と心霊現象

□ 科学的、非科学的の境界

 人間というものは、自分に都合のよくない時には成るべく否定し、自分の都合のよい時には成るべく肯定したがる我侭な傾向を有っています。そのめに学問研究上にもれ丈間接又直接の損害を蒙るか知れません。これはお互に皆イヤというほど心当りの節がお有りと思いますから管々しく述べぬことに致します。

 そこで思慮ある人士がこれではかぬと気がついて、成るべくその弊害を未然に防止しようと心懸けるに至りました。それが取りも直さず科学の発生した原因であります科学というものは主観的の小我を棄てて客観的の大我を見つけ出そう換言すれば個々の御都合主義を棄てて大自然の必然的法則を求めようとする真面目な欲求から発生したものでその自覚が人間に出来たのは比較的近代の事に属します。第十八世紀が甲のやり方から乙のやり方への過渡期であります。何誰どなたも御承知のガリレオの地動説の唱道――これなどが顕著なるかく時代的の目標となっています。日本人は後入斎ママだけあって天動説から地動説への移りかわり目においてこれというほどの大騒ぎを演じませんでしたが、ヨーロッパではなかなかの大問題となり、例のキリスト教の神学というやつが執拗に頑張って、宗教裁判において無理にガリレオをして地動説を取消させたなどという奇譚が残っています。天動説は客観界の自然現象、宗教裁判は没分暁漢わからずやの御都合主義、今日から考えればとても角力すもうにはなりそうもないように思われながら、人文史上の大事件として後世に伝わる位の人騒がせを演じたのであります。歴史は繰り返すという諺は余りにその字義に拘泥すると当てはまらぬ場合が多いかも知れませんが、二世紀以前に天動説を否定した人間が、これに類似の頑固性、執拗性を今日でも保留して居ないという断定は下し得ないかと推定されます。

 科学というものは客観的に存在する大自然の必然的法則を求めようとするものだ。――大体それには相違ありませんが、無論一切の現象は人間の認識するところに係りますから、主観的の要素が全然含まれぬとは言われません。主観ヌキの客観ということは絶対に存在し得ない。例えば庭前に孔雀が美しい羽根を拡げているということは普通これを客観的現象と称しますが、しかし実際に孔雀が羽根を拡げている訳ではないのかも知れません。空間に起ったところのある光波の振動によって、人間の視神経に特殊の刺戟を与え、それが脳の中枢において孔雀が羽根を拡げていると認識されるだけであるかも知れん。換言すれば羽根を拡げた孔雀は人間の脳中枢主観の所産であると見るべきです。これは独り羽根を拡げた孔雀に限らず、一切の現象が皆その通り人間の主観と不離の関係を有って居るのです。

 んな次第で主観を離れた客観的現象というものは絶対に存在しませんが、しかし羽根を拡げた孔雀としての認識を与えるある特殊の光波が客観的に存在することは否定し得ないいやしくも健全の器官を有する人間なら、十人が十人とも、百人が百人とも、その光波の刺戟を受けた時に羽根を拡げた孔雀という認識を起します。羽根を拡げた孔雀は人間の主観の所産であっても、その原因たる光波の振動は客観界に於ける一定の現象でありますから、そこでわれわれは羽根を拡げた孔雀を羽根を拡げた孔雀と観るのを、簡単な客観的の観方であると称するのです。これに反してある特殊の人――何等かの理由である特有の認識を有する人は羽根を拡げた孔雀を箒を附けた鳥と観たり何かする。これはその人だけに限るところの主観であり、特殊の認識であり、一般的の通有性がないから、われわれはこれを不正の認識として排斥します。不正認識のはなはだしいのになると客観的に何等の原因もないのに――すくなくとも他の大多数が何等正当な源由を発見し得ないのに、自分は神の声をきいたとか、再臨のキリストであるとか称します。んなのは全然主観的の幻覚又は錯覚の所産で、当人又は当人に盲従する附録的人物以外には何の価値も認められません。

それが健全なる器官を有する人々に通有の認識でありや否や。』――ここに科学と非科学との境界が発生します。そして科学が次第に栄え、非科学が次第に亡びるのが十八世紀以降人類間の不断の趨勢であります。

 ただここで銘記せればならぬことは『健全なる器官を有する人々に通有の認識』の標準が時々刻々に変化することであります。人智は日毎に進み、研究は年毎に加わり、その結果人間の認識程度はしばらく一箇所にとどまりません。新規の大発明でもあると一日の中にその標準が変ってしまいます。写真、顕微鏡、望遠鏡、電信、電話、飛行機、ラジウム、……。十九世紀から現在にかけての人間は此等これらの発見又は発明のめに何遍その標準を変更すべく余儀なくされたことでしょう! そして最近には心霊現象の科学的認識によって又々世界観人生観の根本的大変革をせねばならぬ瀬戸際に立って居ります。時代に落伍しまいとする人間もなかなか多忙な訳です。

□ 世界の三聖

□ 科学者その他

□ 死後の世界と現幽の交渉


底本: 雑誌 「心霊と人生」 第三巻第二号

発行: 1925(大正15)年2月1日 心霊科学研究会

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に準拠して、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 入力:いさお      2007年12月7日

※ 公開:新かな版    2007年12月9日


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