心霊図書館雑誌総合案内> 「心霊と人生・第二巻

霊書に就きて

 書きもので他界と交通する方法はこれを三種に分類することがきます。即ち――

 (一)自動書記。

 (二)プランセット又はヴィジャ盤。

 (三)霊の直書。

であります。

 右の中最後のものは一ばん稀有の現象で、それを行うにはある特殊の能力ある霊媒を必要としますが、近代ではウィルレム・エグリントンという人が有名です。普通その方法は二枚の石盤の間に石筆を置いてしっかりと紐で縛りつけて封印を施したのをば暫時しばし卓子の下で手で持っているのです。やがて石筆が盤面にきしる音が聞え出し、書き方が終った相図あいずとして三回ほど盤を叩く音が聞えます。そこで紐を解いて見ると、大抵の場合には何かの通信文が盤面に書かれて居るのです。エグリントン氏の所へ来る人々は大概石盤石筆等を新調して来ます。そして実験を終るまで自分の手からそれを離しません。のみならず石盤上に書かれる文字は屡々しばしば持参人達の朋友だの親戚だののもので、エグリントン氏とは一面識もないのが多いのですから決して詐術であり得る道理がない。当時同氏のほかにもこの種の能力者がちょいちょい現われましたが、ドーいうものか近頃はこの種の現象がさっぱり見当りません。心霊現象にも流行はやり不流行すたりがあるものと見えます。

 この種の直接霊書に関する破天荒の事実を沢山書いてあるのはグェルデルスタッブ男爵の著述にかかる『霊魂存在の事実ラ、レアリテ、デ、ゼスプリ』と称する書物で、一八七八年巴里パリで刊行されています。その英訳がないので読んだ人が少ないようですが、霊の直書の記録としては恐らくこれ以上のものがなかりそうです。男爵が直書の実験をしたのは霊界並に霊魂の有無を徹底的に確かめんが為で、それには霊媒ヌキで自宅で直接霊魂(もし霊魂があるものなら)に文字を書かせるのが一等だと考えたのです。

 八月の某日のことでした。彼は一葉の書簡用箋と一本の鉛筆とを小筥こばこに入れ鍵をかけて封印し、その鍵は身辺に附け切りにして結果いかにと待ちました。ところが十二日間何の異変もない。紙面にはカスリ傷だに附いていないのです。が、十三日目にはこを開くと、こはそもいかに! 紙面には何やら妙な文字様のものが書いてある。彼はつ驚き、つ歓び、更にあたらしい一枚の紙をはこに収めて鍵をかけ、凝乎じっとそれを監視しました。三十分の後再びはこを開けて見ると、驚くべし、前回よりも沢山の文字が紙面に書き連ねられて居ました。

 これがそもそも同男爵の霊の直書の実験の発端で、それは連続数ヶ月にわたりました。後になると鉛筆を添えなくても文字が現われるので、単に紙丈を入れることにしました。更にその後になると紙をはこに入れず、ただテーブルの下に置く丈でも直ちに不思議な文字が書かれた。最後しまいには同男爵の居るところなら、たとえそれが戸外であっても平気で文字が現われ、彼自身の外多数の人々にとりてその実況が目撃されました。この現象の真実なることを証明した人々の中には、巴里パリのドウルシ伯爵、ド・ブレウェルン男爵、ド・プランティ侯爵、ド・コルマン大佐、ラヴェーン君等の名前が連って居ります。おグェルデルスタッブ男爵の身辺に起った心霊現象は独り霊の直書にとどまらず、手離しの卓子浮揚、椅子の独り動き、物体の貫通等の諸現象も起ったのでした。男爵の主張によれば霊魂達がすでに卓子だの椅子だのを自由に動かせる位なら霊の直書などもさして困難の筈がない。動かした物体をモ一度物体の上に動かしかける丈の手数に過ぎないから。

 直書現象が起った場所は同男爵邸の外にドウルシ伯爵邸ルーブル、聖デニス寺院そのほか巴里パリの公会堂等でした。ある時などは文字が白壁の上に現われました。それから察するとダニエル書の中の霊書の記事なども実際の記録であって心霊事実の知識なき連中が、勝手にコジツケるようなものではなかったに相違ないと思考されます。

 霊の直書に比べると自動書記は遥かに普通の心霊現象です。近代の日本にも天理教祖のかぐら歌、大本教祖の筆先東京の佐久間俊一氏の霊書そのほか沢山ありますが、西洋には更に一層多いかと考えられます。

 自動書記の弱点はその出所の不確実な点にあります。もなる出所として左の三つを挙げることがきます。

 (一)霊媒自身の潜在意識。

 (二)周囲の人間の暗示。

 (三)霊界の居住者(多くは死亡せる親戚又は朋友の霊魂)よりの通信。

 これ等が往々ごッちゃになって自動書記として現われますからその審査に骨が折れるのです。単なる心霊実験としてはれでも構わないが、他界との交通という見地から考察すれば前二者は全然無益有害で、ただ第三番のもののみが有意義であります。唯物主義の心理学者連はひたすら第一第二の場合のみを拾い出すことに汲々としで純粋の霊界通信をも否定せんとしますが、これは飛んだ間違であると同時に、迷信臭味のある霊魂論者は霊媒自身の下らない潜在意識や他人からの入智慧を多量に加味せる不純なる自動書記をも全部神様の託宣でもある如く尊重して自他ともにはなはだしき害毒を蒙ります。唯物論者と迷信家とは蓋し社会人生をあやまる害毒党の二大大関で、純真なる心霊研究者の神聖なる任務はずそんなところから血祭にあげることだろうと確信致します。

 英国のスパン氏は三十年以上にわたりて自動書記の実験者ですが、自己の体験をはなは率直に告白していますから左に紹介することに致します。

『私は自動書記には永い経験ある者ですが、厳密なる実験と精緻なる観察の所産としてぎの結論を下すものであります。即ち私が自動的に書いた通信の多くはうたがいもなく他界の居住者から来たものであると。――この事実に就きては極めて有力なる証拠があるのです。が、私の書いたものの中でなり沢山の分量は私の潜在意識の所産であり、又その幾分は生きて居る人々の精神から出発して居ると認められるのです。例えば私の朋友で遠方に住んでいるものが、肉体の睡眠中に幽体でけ出して来て、自動書記の活用により私と通信を試みるのであります。んな実験は人の寝鎮まっている真夜中でないとうまく行きません。

 霊魂若くは幽体が睡眠中に肉体から流出することに就きては私は何等のうたがいたぬものであります。で、若し誰かがねむっていさえすれば、信念意志想像との力によりその人の霊魂をこちらへ引き寄せ得ることに就きて私は絶対確信を抱いています。人間の大多数は睡眠中に他界の人々と結合します。他界に行くかわりに霊媒の体にかかって来て言葉くちをきいたり、文字を書いたりすることもある筈です。いろいろ他界との交通法がある中に恐らく自動書記が最簡単でしょう。一番不自然味、厭味いやみ等がすくないようです。私などは単にペン若くは鉛筆を執り、できる丈消極的受働的態度を保ちて、眼に見えざる不可思議の力の来るのを待つ丈です。時とすれば心の中でる問題を提出し、これに対する返答の出るのを気永に待ちます。

 そのお蔭で私は自分の理性ではとても推定することのきそうもない事柄をば数週若くは数月以前に予知したことがあります。私の自動書記は時とすると逆に出ますから、そんなのは鏡に写してでないと読めません。はなはだしい時は上下顛倒して出ます。不幸にして私の自動書記は充分整頓されたものでありません。時とすれば答がボンヤリしていたり、見当外れがして居たり、ソーかと思うと馬鹿に正確で、とても人間業では及びもつかぬ性質のものであったりします。

 かつて私が自動書記の原理をある霊魂に訊いて見ると、その答はうでした。――われわれ霊界のものが人間に通信しようとする時は霊媒の脳髄……むしろ脳髄の中にあるる物質の上に作用し、自分の有する原料と霊媒から抽き出した原料とを混合する。そんな場合に霊媒の方では何の気もつかずに居る云々。けだし一説として参考の価値があると思います……。』

 兎に角自動書記は他界との交通方法としてたしかにもっとも調法でつ比較的に正確味が多い方でしょう。言わば丁度ちょうど他界との電話機を架設したようなものです。ただこの電話機は極めて敏感な脳髄や神経組織で出来て居りますから、いろんな原因でくるい易く、殊に霊媒の能力を過度に使うのが一ばん毒なようです。くるった機械で行うところの通信が半分の価値もないことはいうまでもありません。

 自動書記を行うと大へん疲労するという霊媒もあるし、又さッぱりそんなことがないというのもあるし、一様にはまいりません。同一人物でも時によりてその肉体に与える影響が相違して居るようであります。有名な米国の霊媒にアンダウッド夫人というのがありましたが、この人が自動書記をやる時に自分の良人が居てくれると大変うまく行くがその代り良人の方では非常に疲労するという話です。これなどはたしかに一心同体式に良人の方で妻君を助けるに相違ありません。

 プランセットそのほかの機械を使って通信を試み、相当面白い結果を挙げたのもありますが、人間の指先よりも遥かに不器用な器械をわざわざ使用するのはドーカと思います。今後の心霊実験にあんなものの使用はだんだんすたれると思います。


底本: 雑誌 「心霊と人生」 第二巻第九号

発行: 1924(大正14)年9月1日 心霊科学研究会

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に準拠して、底本の旧字表記をあらためました。

※ 入力:いさお      2007年7月05日

※ 公開:新かな版     2007年8月28日


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