心霊図書館雑誌総合案内> 「心霊と人生・第二巻

心霊問答

□ 心霊研究と実用問題

乙。 僕は西洋の心霊研究家の態度に就きて大に不満があるのですがネ……。

甲。 そうですか。一腰それはんな点についてです?

乙。 僕はあの西洋の心霊学者の行っている交霊会……実験会などというものに満足し得ないのです。そりャある程度の実験は必要でしょう。まるきり何等の証験しょうけんなしに霊魂の存在だの、心霊の作用だのという事を論ずるのは無意義に相違ありません。しかし実験は、若しそれが真に正確であるなら二つか三つかで沢山だと思います。科学的正確味を以て行われたる二三の実験を見せつけられながらそれで何物をも掴み得ないような人間は、縦令たとえ実験の回数がれ丈重なったところで矢張り駄目です。んな心霊現象でも何とか理屈をつけ、霊魂ヌキの説明を下すことがきます。変態聴覚、変態視覚その他勝手な術語を製造することによりて、あらゆる現象を人間の変態的心理作用に帰することがきます。この頃かの『心霊研究の三十年』なる一書を公刊したリシエ教授などは、あれ丈の研究材料を蒐聚しゅうしゅうしているくせに、お死後の生活を肯定することに、多少の躊躇ちゅうちょっているではありませんか。我邦でも変態心理を標榜している中村古峡などという人は一生懸命になって一切の心霊現象を変態心理作用に帰着せしめようと努力して居ります。あんな連中はドーせ自分で最初からきめている目標に向ってあくまで突進せんとしているのですから到底見込がありません。素直な、そして極めて論理的な結論は棄てて置いて、まわりくどい、そしてはなはだ非論理的な結論に突ッ走らうとするのだから、そんな人達には、勝手にそれをさせて置けばいのです。心霊事実の蒐聚しゅうしゅうなどは英国並に米国の心霊研究会が過去数十年間の蒐聚しゅうしゅう発表したところですでに十二分です。卓子浮揚だの、幽霊写真だのという実験を無限に重ねたところで、それで人生は一分一厘幸福になる訳でも何でもない。二回や三回まではこんなものも必要かも知れないが、心霊実験がいつまでもそんなところで魔誤マゴ魔誤マゴしているようでは到底駄目です。それよりか、心霊研究によりてられたる知識が人生の実地問題に応用し得ることの証明がきさえすれば満天下は直ちに心霊研究の謳歌者となります。ドーも僕は西洋の心霊研究家の眼のつけどころが違っていると思います。下らない現象にこびりついて研究をつづけたところで何の役に立ちましょう! それとも西洋には内容価値に富んだ霊的産物は永久に出ないのでしょうか?

甲。 さァこいつはなかなかの大問題ですね。西洋の識者間にも内容価値のあまり豊富でない心霊実験を重ねることの比較的無価値であることを痛論する人はなかなかすくなくありません。私なども大体においてそれに賛成です。が、今迄のところでは、天下の耳目を聳動しょうどうせしめるような大々的の霊的産物は遺憾ながらまだ現われていないようです。それで止むを得ず余り面白くないと知りつつも平凡な実験を重ねて居るのでしょう。

乙。 いつまでもこの状態が続くでしょうか。若しそうなら心霊研究も結局好奇者の閑事業で終ってしまい、せいぜい、世間離れのした学究の研究対象となるに過ぎないことになりましょう。

甲。 イヤそうあたまから悲観したものではありますまい。従来見るべき心霊上の大産物が現われなかったのは主として、それが研究の初期であっためです。最初はんな発明でも応用の範囲が浅く狭く、下らない玩具式の取扱を受けるものです。活動写真が初めて日本に輸入されたのはたしか明治二十九年かと記憶しますが、その頃は鳩が舞い下がって豆を拾う所だの、馬上の人が遠方からだんだん此方こちらへ近づいで来る所だのを写した極短尺ものに限られ、それを何回も何回も繰り返して見物させたものでした。エックス光線なども掌やガマ口を透視したり何かして不思議がった位のところでした。それが御覧のとおり今日では人間の日常生活とほとんど切り離せないところまで発達してしまったではありませんか。心霊研究とてもその発達はたしかに今後の仕事です。『求めよ、しからば与えられん』――霊界の住人だって、人間の方で下らないものしか求めなければ下らないものしか与えはしません。こッちの出方一ッでドーでもなる。相手が人間だろうが霊界の住人だろうがその点に変りはありはしません。

乙。 ソーするとあなたは霊界並にその居住者の存在を仮定し、いろいろの心霊現象はつまり人間と霊界との交渉の所産であると主張さるるのですネ?。

甲。 大体においてむろんそうです。霊界並にその居住者の存在は只今の所では一の学術的仮説に過ぎない……あるいは永久にその域を脱しまいかとも考えられますが、われわれ人間に取りてそれで沢山です。若しもこの仮説のお蔭で従来不可解視された幾多人間界の事象が何等の矛盾、何等の無理コジツケなしにきれいに説明されて行くならば、それは誠に難有ありがたい仮説です。ソーなると真理というのも仮説というのも実際はその間に何の逕庭けいていがないことになります。

乙。 それはそれで宜しいとして、所謂霊界の居住者に対する註文は、どんな種類のものであればいいという御意見ですか?

甲。 それは人生経綸の上に大切な問題であれば何でも差支さしつかえないと思いますが、その間にむろん取捨選択の必要は大に起りましょう。霊界の居住者は要するに霊界の居住者であって、人間界の居住者ではありません。われわれ人間のもっとも肝要な属性の一つは物質的肉体をっていることです。その必然の結果として第一に食慾、第二に性慾――人間はこの二つの恐ろしく有力な慾求から脱することが不可能です。他にもまだいろいろの物質的慾望があります。これに反して霊界の居住者には物質的の肉体がなく、従って肉がなくては遂げられない慾望の悩みがない筈です。若しそんなものがあれば余程の変態現象で、さしづめ霊魂の病気というより外ありますまい。幾多の霊界通信の伝うるところによれば地上生活の肉的慾望からけきれない霊界の堕落者がつまり魔とか悪霊とか呼ばるる手合いのようです。ですからわれわれが霊界の居住者に求むるところはわれわれの慾望の満足の幇助者であることではけない。うッかりそんなことを試みると霊界の堕落者との取引を開始するわけになる……。

乙。 そうすると霊界との交通は高き道徳的標準の上に立つことが必要で、金儲けだの何だのという個人的慾望の満足に使ってはけないという訳ですね。それは大きにそうでしょう。人間だって他人の慾望の幇助者になるのは厭ですから……。

甲。 人間なら厭なことでも金銭で働きますが、霊界の居住者に金銭の必要はないから金銭でこれを動かすことは出来ません。まァ人間の方から誠心誠意で、自分達の力量ちからにあまる事、思案にあまる事を先方に相談して見ることですね。霊界の居住者は言わばわれわれ人間の先輩なのですから、こちらの言うことが先方の気に入りさえすれば無論相談にのってくれます。心霊研究などというと、ともすれば実際生活とかけ離れた事柄でないと取扱ってはけないように考えるものが多いようですが、それは大きな誤謬です。われわれは生きている間は何時までも現世の人間としての足場をしッかり踏みしめてすすむべきです。われわれが来世を研究したり、霊魂と交通したりするのは決して来世に憧がれたり霊魂にかぶれたり、するからではない。人生をより善く、より完全に、より楽しいものに向上進歩させたいめの、極めて真剣な努力であるのです。人間界が主で霊界は従です。霊界との交通はむしろ一の手段であって、それが目的であってはならない。恰度ちょうど学校の課程を修めることが人生の最終目的であってはならないと同一です。われわれは決して優秀な霊媒のないことを歎息する必要はない。こちらが重大な、健全な、真面目な問題を提げて霊界に臨みさえすればかならずその問題の解決を与えるに適当なる優秀な霊媒がどこかに出現する。碌な霊媒が現われないのは主として心霊研究者の責任であります。かくいう私なども最初は随分見当外れの註文のみを霊界に持ち出したものです。ず第一に奇蹟的現象の註文、第二に未来に対する予言の請求――そんなことばかり行っていたものです。単なる奇蹟を求むれば手品式の霊媒が現われ、単なる予言を求むれば法螺吹きの物騒な霊媒が現われるのは知れたことです。これではならぬと気のついた頃から不思議なものでようやくびッくりするような真面目な心霊現象が日本にも起りかけて来ました。これからせいぜい皆様のお力を借りて一層人生の実地問題の解決に努力することに致したいと思います。


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箒式では駄目


底本: 雑誌 「心霊と人生」 第二巻第八号

発行: 1924(大正14)年8月1日 心霊科学研究会

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に準拠して、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、強調表記に、置き換えました。

※ 入力:いさお      2007年6月15日

※ 公開:新かな版     2007年8月29日


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