心霊図書館雑誌総合案内> 「心霊と人生・第二巻

心霊問答(巻頭言)

□ 心霊と人生

甲。 お蔭様で雑誌の大刷新並に今後の経営方針もようやく立ちました。これからは以前に倍し、真の落付いた気持ちで愉快に堅実にこの道のめに力をつくすことがきるつもりです。日本に於ける心霊問題の真面目な研究は恐らくこれからでしょう……。

乙。 それは大へん結構です。せいぜい御奮闘を願います。そう申しては何ですが、これまでのところあなた方の事業は随分不安定で、何やら目標が定まらなかったように見えましたね。現に雑誌の標題の変るのがこれで三度目ではありませんか?

甲。 イヤ全く不安定を極めましたが、今後はめったにぐらつく事がないと思います。最初の『心霊研究』時代は心霊現象の有無に就きて日本の社会に一っさぐりを入れて見た時代です。活きた、有力な、的確な心霊事実があっての心霊研究でいくら力んで見ても種子がなければこんな研究は自然消滅に帰してしまいます。で、私どもは微力の及ぶ限り心霊現象並に霊媒の有無につきて探窮たんきゅうを試みたものです。ところが実際に当って見ると、案外碌なものがないのに一時がっかりしました。

乙。 綾部の大本教などはドーなのです。彼所だけには相当有力な現象があったでしょうが……。

甲。 無いことはないがただお粗末で、お座敷に出せないものが大部分を占めて居ました。一と口に言えば安価な心霊現象の標本製造所と云ったようなもので、ちょっとびっくりさせるにはいいが精緻な心霊科学の研究材料とするには物足りないものばかりです。出口直子の自動書記でも今日から考えれば純の純なるものではなかったと考えられます。

乙。 王仁さんの『霊界物語』とやらいう奴はいかがです。随分沢山出るじゃありませんか。三四百頁の本が三日間位で出来上るというのは兎に角不思議ですナ。大本信者に云わせるとあれが世界の聖典神書だそうで……。

甲。 有田ドラッグだの仁丹だのの広告と同様、あれは王仁さんの例の自家宣伝でしょう。自分で書いて、自分で聖典だと銘を打つのだから世話はありません。無邪気といえば無邪気、押しが太いと云えば押しが太い。兎に角尋常人にはきない芸当です。

乙。 心霊学上の資料としての価値はいかがです?

甲。 一と口に言えばゼロに近いでしょう。霊界や幽界の事を描いても単なる概念の羅列で、在来の伝説に何等加うる所がありません。それに名称は霊界物語といいながら、霊界らしい気分や匂いが少しも現われず、イヤな俗界の臭気ばかり紛々として居ります。所々何やら霊に関する理窟めいたことも書いてありますが、さかんに自家撞着をやって居りますから、他人の批判を待たず自分で自説を崩壊させてしまい、はなはだ世話が焼けないところが妙です。

乙。 けれどもあれで救われる善男善女があれば結構ではありませんか?

甲。 そうですとも! 何なら鰮の頭で救われる信者があればら結構です。――が、生憎二十世紀の人間の頭脳は大へん緻密になっていて、実験はあくまで正確なることを要求し、理論は何所までも精到なることを要求します。心霊研究などという学問もつまりその要求の結果として生れたもので、一方において根も葉もない迷信を打破すると共に、他方において不窮理きわまり、不詮鑿せんさく極まる浅薄な唯物主義を撲滅し、健全な人生観の樹立に資したいというが眼目です。しかし、両手に花ならいいが、両手に敵があるのだから心霊研究も骨が折れます。世の所謂霊術家だの、何宗何派に属する連中だのは、自分達の勿体らしく吹聴する難有ありがたづくめの宣伝だの広告だのにケチをつけられると思うからの正直な心霊研究者を大へん嫌います。同時に十九世紀式の物質科学に立脚した学問なり規則なりで飯を食って収まっている連中は自分達の安眠を妨害する警鐘の乱打以上に心霊研究を邪魔物視します。随分われわれは割のわるい役目を引き受けたもので、大正十二年の春に心霊科学研究会が東京で組織されたのはむしろ一の奇蹟です。しかもヤレヤレ一と安心と思う間もなく例の大震火災の勃発です……。

乙。 あれにはさぞお困りでしたろう。

甲。 随分困りました。ようやく蒐集しかけた書籍や資料なども一朝にして皆種子無しにしてしまいました。が、何が幸福になるのか判らぬもので日本の心霊研究がようやく確乎たる基礎の上に立ち得るに至りましたのは実にあの大震火災の賜と云ってもよい位です。何となればあれを境界として世界の舞台へつき出して恥かしくない真の立派な心霊事実がわれわれの手に入って来かけたからです。詰まり物質的には多大の損失を蒙ったが、精神的には何物にもかえられぬほどの恩沢を蒙った訳であります。で、われわれは一時大阪において、『心霊界』という標題で曲りなりにもこの事業の血脈をつなぐと同時に、一心不乱に大震火災後に起った活事実の調査に従事したような次第です。ところが近頃に至り、ようやく世間に発表して大方の批判と指教とを仰いでも差支さしつかえないという自信が出来かけました……。

乙。 あなたの所謂いわゆる活きた心霊事実というのは薄々承って居る後藤道明さんだの、飛田信さんだの、品川守道さんだのの身辺に起った事柄なのですか? あれは確かに本物なのですか?

甲。 私達の足掛三年越しの調査によればドーしても事実と認めない訳に行かないのです。私なども今から約十年前初めて綾部の大本教へ行って例の問題の鎮魂帰神というやつを試み、又出口直子そのほかの神懸り現象を観た時代には都に出て来た田舎者のようにおおいにびっくり仰天し、その結果さほどにもなき心霊現象の内容価値を過信し若くは過大視する傾向をちましたが、その後こいつァ用心せぬとかぬと気がつくに及んで大へんに人がわるくなりました。モー大概の霊術家の自家宣伝やペテン術策には乗りません。おせいぜいこの方面の問題に興味を有せらるる先輩や友人にも一々諮って夢にも失策の生ぜぬようにつとめて居ります。が、いかに追窮しても穿議立てをして見ても、ドーしても嘘詐うそいつわりでない破天荒の心霊事実がげんとして存在する以上私どもとしてそれを握りつぶす訳にはまいりません。それを有りのままに天下に報告して大方の諸賢の御一考を願うのが目下の急務かと考えられます。で、今後は私どもとして大にその方面に力をつくすつもりですが、世間の識者先覚者も、活きた有力な事実を眼の前にギューギュー突きつけられては今迄のように無下にそれを冷殺し又は黙殺する訳にはまいりますまい。何となれば心霊事実が、人生の上に及ぼす直接間接の影響は、実に甚大ですから……。

乙。 成程改められた雑誌の標題の意味がいくらか読めたように思います。あなたは心霊問題即人生の重大問題であるという御意見なのですナ。イヤ事によるとそんな事かも知れません。モー議論や理窟の時代はうに過ぎ去りました。誰も頭脳からいねり出す廻りくどい、勝手な説法には倦き倦きしてしまって、赤裸々の血の通っている活きた事実を要求して居るものばかりです。眼の玉のとび出るような破天荒の心霊現象があるなら思い切って早くそれを天下に発表紹介してください。一昨年の大地震で一寸緊張味を見せた人心が、近頃は以前に倍してだらけ切り、み切って居ります。目標のない人生――それがいつまでも持続すれば結局は堕落、自暴自棄、滅亡の筋道を辿るばかりです。地震の結果を見ても判りますが人心の革正かくせいは外部からの附焼刃では到底駄目です。内部から湧き出ずる純真な魂の叫び――それが是非とも必要です。それには心の眼を開かせるに足る丈の深みと強みとのある何物かが無ければなりません。私はまだあなたの所謂いわゆる破天荒の心霊事実の内容がよく判りませんが、はたしてそれ丈の威力をったものなら結構です。西洋に頻出する卓子浮揚現象だの、幽霊写真だのも学問上極めて興味ある事実には相違ないが、人生に与える直接の威力にはすこぶるとぼしいうらみがあると思います。東洋に出現する心霊現象はもちと気のきいたものであって欲しいと思いますが……。

甲。 イヤその点につきては私どももほぼ同感です。これは私一個の意見ですが、ドーも西洋の心霊現象は科学的正確味をもっまさり、東洋の心霊現象は人生指導の内容価値をもっまさるべき傾向を有って居るのではないかと考えられます。所謂いわゆる心霊研究のめの心霊研究、心霊科学の樹立のめには西洋の方がたしかに一日の長がありそうです。これに反して宇宙人生の帰趨きすうあきらかにし、意義ある社会、意義ある生の建設のめには東洋の方が恐らく一歩を抽いて居るらしいです。兎に角同じく心霊研究と云っても東洋のそれと西洋のそれとの間にはたしかに大なる懸隔があると信ぜられます。まだ今の所で断言はきかねますが、私は最近三年来の調査の結果東洋の心霊事実に多大の期待を有って居るものです。


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底本: 雑誌 「心霊と人生第二巻第七号」 

発行: 1924(大正14)年7月1日 心霊科学研究会

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に準拠して、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、強調表記に、置き換えました。

※ 入力:いさお      2007年7月9日

※ 公開:新かな版     2007年7月20日


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