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神様いながら神様引張らる(その二)

――吉光稲荷の霊験と松月主人夫妻――

一記者

▼社頭に於る神示▲

 吉光稲荷社へ毎朝、参詣して庭掃除を日課として居られた梶山氏は、再びここに驚くべき霊験に接した。それは、大正九年五月三日の朝の出事来からである。

 その朝も。梶山さんは例の通り吉光稲荷社へ参詣し、庭掃除もえ、神前にぬかづいて後、いざ帰らうとすると、氏の後ろに一人の青年がたたずんで居た。その青年は平素知り合いの料亭萩の戸の息子さんである。

『やあ、お早よう……。』

『お早ようございます。』

 と、お互に朝の挨拶を済まして後、萩の戸の息子さんが、氏に頼みがあると申出た一条はうである。息子さんの父親が目下大熱発で病臥中であって、全身に吹出物が一杯出て苦しんで居る、従来某博士の診断を受けては居るがその効果も見えない、そこで他の医者と取変えたいと思う、ついては今度て戴く医者の方角を一つ神様に伺って下さい、とうのであった。梶山さんも

『近頃は少しも神様から霊示おしめしはありませんがしかし何かの神示が得られるかも知れませんから』

 と、早速に快諾し、神前に再び額き、一心こめてお伺いすると、例の自動霊語の形式を取り、腹の底から大きな声が突然飛び出して来て、

『別に医者にかかる必要はない、汝が行って加持をしてやれ!』

 とう霊示であった。梶山さんも、事の意外に自分ながら驚かれたそうだが、霊示とあれば致方いたしかたもない。そこで、氏は息子さんの方に振返り、

『お聞き及びの通りだ。私は従来病気直しをやったこともなく又如何どうしてやるのかも知らぬ。が[#行末]、しかしお霊示しめしによれば、出来るとうのです。それでよろしければ、一つやって見ましょうか?』

 と、極く短直に言われると、息子さんも、早速それを快諾して、

『あなたに御足労が願われば、何よりです。どうか一つ……。』

 とうことになり、二人は連れ立って萩の戸の別宅に、病父を見舞うことになったのです。

 病室に通ると、熱臭紛々として鼻をつき、病人は臥床のまま身動きも出来ぬとう仕末。おまけに、全身には吹出物が一杯出来て居る。梶山さんは、生れて始めての病気治療、所謂いわゆる処女祈祷である。一体如何どうして、加持とか、祈祷とかやってよいのか、皆目見当が取れない。が、平素多少心覚えのある経文を口に誦し、一心に病気平癒を祈願した。と、神示があって曰く

この病人は五日目には治る。薬は琵琶の葉を煎じて飲ませよ!』

 とうのであった。そこで、此旨このむねを告げて置いて、梶山さんはその宅を辞した。そして、毎日その宅を訪ねて、未熟ながら加持祈祷を施して居たのです。ところが、四日目に見舞って見ると、病人は床の上に起き上って居る。そして、

『お蔭様で大変気持きもちがよくなりました。しかし髪やひげひどくのびて居て気がくさくさするし、身体も油汗あせあかでびしょびしょして居て気持が悪いので、これから銭湯おゆ床屋とこやへ行って来ようか思って居るところですが、如何いかがでしょう?』

 と聞くのであった。そこで、梶山さんは、神示に問うと、

『今日、行ってはいけない。明日、お天気がよければ行ってもよろしい。』

 とうお霊示しめしがあった。病人も、その神示に従い、明日に延すことになった。翌日は、幸いにも快晴の天気であったので、病人は早速に銭湯と床屋へ出掛けて行った。すると、さしもの熱も、その日から急にさがり、吹出物も憑物が落ちたようになくなってしまった。くて最初の神示通り、五日目にこの病人は全快してしまったのです。萩の戸の老人は、現在も壮健で、七十有余歳の長壽を保って居られるそうである。

▼病気治療の霊能▲

 梶山さんの加持祈祷で病気が直るとう噂さはうともなく近所合壁かっぺきに伝って、次から次へと病気直しを依頼して来るようになった。二回目に取扱ったのは、近所のある薬屋さんの当時五歳になる小供こどもの病気であったが、それは胎毒でいたく苦しんで居たのである。これもまた、神示に五日間で全治するとわれた通り、その効験が現われた。

 第三番目には、当時十九歳であった古田もと子とう娘の肺病治療であって、この為には梶山さんも、随分骨身を惜まずつとめられたそうである。もと子さんは、回生病院に入院し、既に肺病も第二期に入り、肉落ち骨出で、しかも皮膚の色は蒼白となり、全身透き通る程凄くなって居た。神示に依り、梶山さんは、この頻死の難病者を伏見のお山に伴い、山中において一心籠めて加持祈祷を施したのである。始めの神示に依れば、二週間目には快方に向うと告げられてあったが、矢張り事実はその通りになり、最初は歩行も出来ない程気息きそく奄々えんえんとして居たもと子さんも、二週間も経たぬ間に伏見のお山全部をお礼詣りにと歩き廻ったのである。この時は梶山さんも、実に我ながら驚かれたそうで、今もお、神力の不可思議を讃嘆しながら

『あの大病人が、どうしてあの坂道を上り、あの広いお山を歩き廻ったか、私には到底説明がつきません。何か、神とか仏とかう絶大の偉力が、彼女を助けて居なかったならば、どうしてあんな急激な運動が出来るものですか』

 と、口癖のようにって居られる。

▼来る可き一大神秘▲

 くて、梶山さんの病気治療の霊能は愈々いよいよ進みその依頼は益々殖えて行った。それと共に、梶山さんの信仰も日毎にかたくなり、精神生活も刻々に立派なものとなって行った。此間このかん、語るきこと伝うべきものは数多い。そして、前号にも書いて置いた通り、霊狐の珠を二つも授けられた(前号記載『霊狐の珠研究会記事』参照)お、梶山夫人に就いても、筆を執らねばならぬことが、おびただしくある。が、紙面の都合もあり、つ、本年三月には梶山氏は或非常に大きな神秘に接しられると云う神示を既に得て居られるから、その節あらためて筆をすことにする。(完)


附記――梶山さんは、この稿の校正をして居る時に、ある神示により自宅を引払って、日光方面へ修業に行かれることになった。日光の薬師如来のお札が、かつて同家に降下したこともある。


底本: 雑誌 「心霊界第二巻第一号」

発行: 1923(大正13)年12月1日 心霊科学研究会

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に準拠して、底本の旧字表記をあらためました。

※ 入力:いさお      2007年2月5日

※ 公開:新かな版     2007年3月27日


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