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主張と告白 その四

――信仰問題心霊問題を中心として――

浅野和三郎

出口直子の自働書記の欠点

 

(一)

 私はこれからいよいよ出口直子の自働書記の産物――即ち筆先に対して忌憚きたんなき批判を発表せねばならぬ順序になりましたが、私の執るべき態度は、筆先そのものの内容価値――詳しくいえば道徳的、心霊的、もしくは実践的価値を普通人間としての立場から公明正大に審査して行こうというのであります。前にも申上げました通り大正六七年以降八九年にかけての私の筆先紹介の文字は、世間の風潮と反抗的にその長所美点のみを吹聴して少からず宣伝気分を発揮したきらいがありますから、私の微力の及ぶ限り今において十分にそれを訂正して置きたいというのが唯一の念願であります。くれぐれも大方諸賢の御諒察をお願いする次第であります。

 私は敢て前年陥った過失の罪ほろぼしもしくは埋め合わせをするという訳でもありませんが、今回は一つ逆にず筆先の欠点短所と考えらるる点を拾い出し、それから後にその長所美点――若しあるならば――を摘出して行きたいと存じます。一小心霊研究者たる以外に何等の顧慮も心配もない現在の私の立場から観察すると、ドーも出口直子の筆先きには相当多量の不純分子の混入があるように見受けられ、何故なにゆえに往年これを黙殺し去って居ったかがむしろ不可思議に感ぜられてなりません。鹿を追うの猟夫は山を見ずとの諺もありますが、兎角凡人にはそんな弱点が附きまとい易いものと痛感致されます。

 私は前にも申上げて置きましたが、出口直子の筆先きの第一の致命的欠陥というべきは肉身慾愚痴とがその根柢こんていに伏在して居る点ではあるまいかと存じます。直子自身がかけがえのなき神の容器いれものであり又貴重なる霊魂みたま所有者もちぬしであると書いてあるのは恐らくさまでとがむべきではないでしょう。直子を使役する憑依霊としてはそうも言わねばなりますまい。兎に角彼女は一方ならぬ艱苦かんくと闘いて首尾くそれを切りぬけ、一身を神にささげて専心その御用をつとめつつあるというのですから公平に考えて尋常一様の一老婆ではないとわねばなりません。私自身も実際この人の晩年の行跡に対しては一ト方ならぬ敬意を表したのであります。その人の口からはただの一度も慾張よくばった言葉や愚痴ッぽい泣言などを耳にしたためしがありません。筆先きは不幸にしてもッと多弁であります。それには自分の一家の後継者を規定したり、過去現在の不遇を愚痴ったり、又将来の立身出世を暗示したりしてあります。これは恐らく直子に憑依せる霊魂の言葉ではなくして直子自身の潜在観念若くは肉体的精神の反映でありましょう。自分の一身の薄倖はあきらめても、自分の児孫の繁栄に対する執着心丈はすてられないというのがけだし真相に近いでしょう。昔の武士が打死と覚悟した場合などによくこれに類似した心理状態が窺われます。私は常識家としてはなはだしくこれに同情します。妻子眷族を置き去りにしても自分のみが危難を脱れようとする不心得者などに比すれば正に天地の相違があると感ずるものであります。

 いやしくも一教の基本的経典をもって任ずる文書としてはこれはたしかにブチコワシと云わねばなりません。有形の財産でさえなかなか三代とはのこりません。いわんや無形の道――これをひたすら肉親の児孫に継承せしめんとする所に非常な無理が出来ると思います。成程なるほど同一家系のものには精神肉体ともにある程度の共通点、類似点が存在するのは事実でありましょう。しかし同質の球でも磨いたものと磨かぬものとの間には多大の相違があります。磨く磨かぬは当人の心懸一つ、覚悟一つであります。その心懸や覚悟を説かずしてず相続問題などを説く所に紛々ふんぷんたる俗臭が鼻を打ちます。これではいたずらに児孫の油断と 驕慢きょうまんとを増大せしむる結果となり、結局破壊と衰滅とを促進することにならなければさいわいでありましょう。一方に於て慢心取違の弊を極力呼号する筆先としてこれは顕著なる矛盾であり撞着であります。私がこれもって直子自身の潜在観念もしくは肉体的精神の発露ではないかと推断する所以ゆえんであります。

 ほとんどこれに劣らず重要なる第二の欠点はその全体を通じて暗流をなす所の一の陰険性であります。すなわち『一りんの仕組がしてある』だの、『この仕組をりに来るものがある』だの『九分九厘でてのひらをかえす』だのという、何やら深い思惑のありそうな、奥歯に物のはさまったような文句が随所に散見して何となく暗い重い影を投ぐるのであります。その思惑がはたして何であるかは何所にも明言してありませんから結局観る人の心次第で善意にも悪意にも解釈致されます。善意に解釈するものはこれを不可抗的自然力の発動もしくは時の力の発展と考え、これに反してこれを悪意に解釈するものは何等かの憎むべき野望野心が暗示されて居るのではないかと疑います。ちらの解釈が正しいかは容易に判断の限りでありませんが、何となく計劃けいかくの漏洩を恐るる意がほの見ゆるのはすこぶる感服きぬ点であろうかと存じます。他から盗まるるうれいのあるものは恐らくろくなものではありません。天地の大道は公明正大、徳と力とは天授であって、隠そうとしても自からあらわれ、奪おうとしてもビクとも動きません。其所そこに絶大の威力が存在します。直子に憑依してんなことを書かせた霊魂の何者であるかは今の所到底判りませんが、それがさまで有力でなく又さまで純正でない事丈は確かだと考えられます

 ただしこれは主として憑霊につきての話で、直子自身がはたしてその思惑又は野心を有意識的もしくは無意識的に包蔵して居たか居ぬかは全然別問題に属します。霊魂を否定し、憑霊現象を否定せんとする物質論者は一も二もなく全責任を直子に嫁せんとするでしょうが、それは心霊研究の立場から断じて排斥せねばなりませぬ。直子の筆先が半恍惚状態の自働書記的産物であることが確実である以上、いかに悪意に解釈してもこれに対して二三分以上の責任を負わせるのは酷だと存じます。私自身としては彼女の平生の行状から推定して、たとえ責任はあるとしてもそれはすこぶる軽いおぼろげな責任しか彼女には無いかと信じたいのであります。


出口直子の自働書記 (3)

目  次

出口直子の自働書記

の欠点(2)


底本: 雑誌 「心霊界第一巻第十一号」

著者: 浅野和三郎

発行: 1923(大正13)年12月1日 心霊科学研究会

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に準拠して、底本の旧字表記をあらためました。

※ 入力:いさお      2007年1月19日

※ 公開:新かな版     2007年2月17日


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