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『霊狐の球』研究会記事

一記者


 十一月十三日午後一時より、『霊狐の球』の研究会が心霊倶楽部(当時心霊研究同志会)楼上で催されました。『霊狐の珠』と申せば、んだそんなものをと一言のもとに冷笑せらるるむきもありましょうが、これに関しては古来無数の伝説を伴い、つ幾多の不可思議な現象を見聞して居ます。ことに、最近私共の実地見聞した所に拠ると、一層その感を強うします。そこで、一面にはその霊的研究を遂げ、他面には生物学上の説明を求めることは、一切の霊的現象研究家たる私共の是非ぜひ行わねばならぬものと信じましたので、京阪神間在住の会員諸君の御来会を願い、実物所有者土田安次郎氏よりその秘蔵の球の提示を乞い、同氏よりその説明を聞き、来会者一同が親しくれを実験することに致しました。幸いにも、土田氏には斯学しがく研究の為にと、心快くその珠を提示せられ、詳細にして卒直なる説明を与えて下すったことは、一同の深く感謝する所であります。ちなみに当日の出席者は三十余名でありました。

▼土田氏の説明▲

 土田安次郎氏は、明治十七年より伏見稲荷のかたい信者となられ爾来じらい三十有幾年間、神の道に邁進せられて居て、現在は顕著な霊能を有し、これに依って一意専念世人の苦悶を救って居られます。ことに、同氏の略歴及び体験談に至っては、誠に人生の苦闘、忍従精進、清廉の歴史であって、聞く者は自から襟を正し、涙をもよおさざるを得ません。幸い、同氏は心霊倶楽部へ毎週出張して戴くことになりましたから、の詳細にわたりては、後日一括して紙上に報告致すことにして、ここにはその珠に関係する部分けを御紹介して置きます。

 土田氏がその球を得られたのは、明治二十二年一月二十二日大寒の日であって、当日は師匠宇野金助氏に伴われて、伏見山中の白瀧に水行を行われたのです。冥目合掌のまま、極寒の水行も物ともせず、精神こめて瀧にうたれて居ると、周囲の人々が異口同音に、

『あれ、あれ、おたまが落ちて来る……』

 と叫ぶのでした。と、宇野氏の声は、一きわ高く聞えた。

『それは土田さんに授かったのだ……土田さん早く戴きなはれ』

 土田氏は、眼を開けて足下を見ると、石の上にその球が行儀よく載って居た。そこで、同氏は早速これを奉戴して帰宅し、霊はこおさこれを神体として爾来じらい三十余年間礼拝し来って居られるのです。

 この球を得られて後不思議や八年目より霊感ことほかいちじるしくなり驚くき霊能が発揮せられて来たのであります更に不思議な事には最初はこの球の形態は小さくつ毛色も鼠色を有して居たが近来は形も大きくなり其上そのうえ毛色は純白を呈するに到って居ますお又、同氏の言に依れば、毎月一度の例祭日にはその霊はこを開いて球を拝むのであるが、毎月その形態を異にして居るとのことで、その形態の変化とその月の同氏の運勢とが一致するとのことであります。

▼どんなものか▲

 土田氏の説明を終って後、その珠を一同は親しく実見しましたが口絵写真にある如く、全面白毛に掩われた丸いもので、大きさは直径三寸余のものであります。一言にして尽せば、毛団子でありたとえて言えば牡丹ぼたん刷毛はけを丸めたようなものであります。そして、これを手にして見ると、多少の温度を感ずるのであります。

 実見を終って後、写真の撮写を行い、続いて一同の実見談始まり、ず今井梅軒氏の説明が始まりました。

▼今井氏の実見談▲

 今井氏の実見談に依れば、同氏は四回も他所でこれを見て居られるとのことですが、第一回は幼少の頃とて何等の語るき印象がないそうです。第二回目は、同氏が台湾在住中、台南の某薬店主の祭祠する邸内の稲荷社の神体となって居るものであって、それは毛色は灰色を呈して居たそうです。第三回目は、神戸の坪井氏邸の神棚に奉祭せられて居るものであって、色は灰色、大きさは少し大きく、毛の生え方がまだらで、内部の肉が見え、これを掌上に載せると幾分の温味を覚えたとのことであります。最後の実見は、同氏が一昨年夏諏訪温泉に入湯中、旅宿の合客あいきゃくの所持して居たもので、形も小さく、肉は多く、毛色は多少黄色を呈して居て、その旅客は家代々の重宝とし、つ又不文律の家憲として戸主たる者は必ずこれを肌につけねばならぬとて、はだまもりにして居られたとのことであります。

▼梶山氏の祭る珠▲

 今井氏の説明終って、浅野氏より同氏の実見談が開陳せられましたが、それは前号より連載して居る大坂の梶山洪甫氏邸に祭られてある珠についてであります。梶山氏邸へは、浅野氏、中村氏及び私の三人が、十一月十日の午後に訪問して、これを拝見し、したしく同氏よりその説明を聴きましたから、左にその概要を報告して置きます。

 梶山氏は、現在二つの球を授って居られ、これを恭々しく神棚に奉載して居られるが、これに関しては、仲々神秘的の現象が起って居ます。一つの球は大正十年三月二十一日に得られ、も一つの球は近く十三年の十月二十七日に授けられたのであって、前者は形も大きく、毛は黄金色で長く、後者は形は小さく、毛は鼠色で短かい。同氏の談に依れば、前者は吉光よしみつさんのみたまで、後者は三吉さんきちさんのみたまであるそうです。(吉光さん三吉さんとに就ては、別稿同氏の霊能記事中に紹介します。

 大正十年三月二十一日とえば、当時梶山氏は霊覚を得られて三年目であって、自働言語の霊能 (Spiritual Speaking) を得て居られたので、当日は腹の底から神様の言葉が湧き上り、

『衣紋を調えて吉光神社に参拝せよ』

 との命令があった。しかし、同氏はこれを家人には告げもせず、又その命令にも従わずに、自宅に引籠って居られた。話は同氏の妻君に移って、妻君はその日一丁余の吉光神社へ参拝せられると、玉垣の上に六角の瓶の中に異様のものが入ったまま戴って居るのを認めた。そこには、知人の米屋がたたずんで居て、

『奥さん、これは何でしょう、怪態けったいなものですね私は三十分間もジーッとこれを此所ここで見て居ますが、何だか変なものですね……』

 と、言った。妻君も勿論むろん、変なものだと一見感じて居たので、矢張り

『何でしょう、気味の悪いものですね……』

 と、返答をして、神前にぬかづくと、

『汝の夫に授った球である、早く夫に衣紋を調えていただきに連れて来い』

 との霊示を受けたのであります(註曰く――妻君にも、霊覚があります)そこで、妻君は急いで自宅に帰り梶山氏にこの旨を告げると、同氏は既に先刻の霊示を受けて居ることとて、早速衣服を着更きかえて吉光神社に参拝し、その球を恭々しく奉持して帰宅せられたのであります。爾来じらいこれ霊櫃れいひつに納めて礼拝を続けて居られるのであります。

 梶山氏が第二回目に授ったのは、最近のことで十三年十月二十七日のことであります。それは、二十五日に梶山氏へは突然吉光さんの神告があって、『二十七日には宝物を授けるから、それを自分のみたまと一緒に祭れ』とのことであったが、同氏は余りそれを気にも留めて居られなかった。しかるに、二十七日の午後四時頃、妻君が吉光神社の社務所へ所要あって訪れると、その後ろから飼犬がついて行った。平素その犬は主人の行先迄ついて行ってのちぐ帰るのにも拘らず、当日は帰ろうともせぬのみならず、何故なぜ引切ひっきりなしに啼き続けて居た。妻女も、不審に思いながらも社務所を立出でて石段の近傍へ差掛ると、そこに犬はヘタばりついて、しきりに吠える。そこで、ふと犬の顔を見るともなく、その辺を見ると、犬の鼻先に一つの『狐の球』がチョコナンと落ちて居る、これはとばかりに、妻君はそれを取上げ両手の中に入れながら、急いで帰宅し、この旨を主人公に告げたのです。梶山氏は、この報告に接するや否や、たちまち念頭に浮んだのは、二十五日の神告であった。

『ははあ、これだな、先日宝物たからものを授けるとわれたのは……』と合点がついた。しかし、念のために今一応伺って見ようと、吉光さんに伺うと

如何いかにもその通りである。今度手に入ったみたまは三吉稲荷のみたまである。そのみたまは男ではあるが、自分とは仕事の上では夫婦である。愈々いよいよ夫婦揃うたから、これから真実ほんとうの活動が出来る』

うのであったのです。そして、梶山氏が念のため『如何云どういふうにして彼処あそこへ来られたか?』と尋ねて見ると『飛んで来た』とのことであったそうです。

 斯様かように神秘的経路を経て、その球を授かった梶山氏は、神示の通り、以前の球と一緒に奉祭しようと、神棚の霊匣れいばこの蓋を明けたのであります。しかるに、ここに又もや、驚くき一大不思議が起って来たのであります。とうのは、以前に授かった吉光さんのみたまは、大正十年に授かった当時とは、毛色も形態も驚く程変って居たのであります。即ち形態は大きくなり毛は長く伸びその上鼠色の毛は全部黄褐色に変って居たのであります所謂いわゆる、金毛と化して居たのであります。更に驚くきことは、その金毛の端には黄金色の極く小さい玉が無数に附着して居て霊匣の底には金粉のこぼれた如くにその金の小玉が散って居たのであります。浅野氏も、中村氏も、私も共に、それは十一日の日に実験しましたが、そのさまは、枯草の葉先にをく露が朝日に輝くが如く、金毛の尖端には幾多の黄金色の小玉がピカピカと光って居ました。

▼研究の必要▲

 梶山氏の珠に就いては、つたき事柄は幾多もありますがず大要は上述の記事でつくしたつもりであります。当日の会は浅野氏の報告を終って後、間もなく解散したのであります。

 さて、当日の研究会について静かに考うるに、誠に意義あるものであり、来会者諸氏もまた真面目につ熱心に研究の歩を進められたのは、誠に喜ばしい現象と思います。今後、種々の霊的研究が催さるるでしょうが、その第一歩としては全く成功したものとわねばなりませぬ。

 実は、この珠の研究会に就ては、私としてはある責任を惑じて居るのであります。とうのは、その催しを発起した最初の一人は私でありますから、一応ここに、その理由を報告して置く必要があります。何故なぜならば、「狐の珠」とえば、世人からは勿論むろん、心霊研究家の人達からもまた、そんな物はつまらぬものじゃないか、ことに心霊科学研究会として、左様なものをひねくり廻すとは、余りに奇を好み、児戯に類するではないかとの嘲笑と叱責を買うかも知れませぬ。しかし、私としてはそこに一つの理由を有ったのであります。その事に就ては後節に一言述べて置きましょう。そして、私は一方には実物の研究に加えて、それに関する伝説、霊験談、事実談等を出来るけ多く蒐集したいと思いましたが、余日がなくて充分その目的を達して居らないのであります。しかし、その後二三聞知したものを掲ぐれば――

 齋藤亮歩輔氏の談に依れば、鷲津の中野篤次郎とう人もまた、十年計り以前に珠を得られたそうであるが、年々大きくなり現在では倍大になって居るとのことであります。

 關昌祐氏の談に依れば、瓢箪山にてもまた沢山授かった人があるとのことであります。

 大正日々新聞社の某氏の言に依れば、その友人は箕面方面に銃猟に行った時、偶然にも入手したそうですが、爾来その人は種々の霊験を体験して居るとのことであります。

 伝説として信ぜられて居るのは『白狐の夢を見た時翌日伏見のお山へ行けば必ず珠を授かる』と云われて居るそうですが、その実例もあります。

▼研究の二方面▲

 この球を研究するには、二つの方面から進まねばならぬと思います。すなわち生物学の方面と心霊学の方面から、その研究が遂行せられて行く必要があります。

 生物学上の研究――生物学上では、この球を如何いかに観るか? とう事をず考えて見るに、此方こちら面に深い智識をたぬ私は、何等なんら確固たる説明を聞いて居ません。普通の動物学の教科書には、この説明が掲げられて居ない。私の熱望する所は、動物学者乃至は生物学者の御意見がうけたまわい。ある人から動物学者の説明として聞及んだ説明は、『その球は、狐の尾の部分の贅肉が自然に落ちたのである』とうのであります。しかし、それ丈では、説明にはならぬと思います。何故ならば、贅肉の落ちたものとすれば、数年間どころか、数ヶ月間に腐敗してしまわねばならぬ。しかるに、腐敗もせず、脱毛もせず、蝕入りもせず、その上、あるいは形態が大きくなり、あるいは毛色に変化を催し、ことに梶山氏の場合の如く金粉様のものを毛の尖端に生ずるとうに至っては、この珠は死物ではなくして生物であるうことが考えられます。仮りに、生物でないとしても、かかる作用は何に依って成されるか? そして、かかる作用をなすこの珠は、はたして何物であるかとう事は、是非とも科学者が研究して行かねばならぬものと思います。生きた事実は幾多も存在して居る以上は、れを迷信なり、低級なりとして、放棄し去るは科学者の恥辱であります。私がこの珠の研究会を主唱した第一の理由はここに存します。

 心霊学上の研究――心霊学上よりもまた、従来は毫末ごうまつこの研究が行われて居ません。日本在来の霊的現象及び霊物はほとんど一切を研究し尽されたと思わるる例の妖怪博士井上圓了氏の著述、妖怪講義の大著述中にすら、この珠に就ては何等の筆も見出さない。いわんや、欧米心霊現象中には、この珠の霊的現象は毫末ごうまつも見出しません。この珠は、ほとんど日本独特の現象であると思われるにも拘らず、従来は捨てて顧みられて居ない。日本心霊研究家が是非共ぜひとも、その研究のメスを振うきものと信じます。その結果虚説であってもよい、迷信であってもよい、兎も角も心霊学上からの研究を是非共遂行せねばならぬと思います。これが、研究主唱の第二の理由であります。

 この珠に就て、その霊的――すくなくとも不可思議に思わるる現象は、左の事項であります。

(一)此珠と稲荷様との関係すなわち稲荷様と普通呼ばるる霊物が――狐の霊か神様の霊かは別として――この珠と連関して種々の霊的活動すなわち神秘極まる出来事や、霊怪現象を起し、ことに多くの場合この珠を神体とし、これみたまと称すること。

 (二)此珠の現わる行程の不可思議――この珠が人の手に渡る迄の経路を考察するに、漠然ばくぜんと観る時は平凡ではあるが、そこには一種の神秘不可思議が存在する。例えば、土田氏の場合には瀧の上より落下し来り、梶山氏の場合には社殿附近に現われ、ことに予告をもって現われ、つ第二回目には犬の霊妙作用を伴い、お又、『飛んで来た』と答うるがごときは心霊学上研究の価値があると思います 。

 (三)此珠を得た人の霊顕――この点もまた充分研究すきものと思います。すなわち、土田氏とい、梶山氏とい、其他そのほか幾多の人達の体験にれば、皆一様にこの珠を得る事にり、一種の御神徳を授かり、あるいは種々の霊能を発揮して居ます。

 其様そのように、極く大掴おおつかみに考えて見ても、この珠の研究は是非共心霊学及び生物学の両方面より遂行せられ、真に霊妙極まる真怪か、それとも変態心理が産む迷信か、あるいは科学上の無智が導く誤解かあるいは人為的術詐が造る害毒かを明白にする事が必要であります。これ即ち、科学者及び心霊研究家が社会上に必然的に負う所の一大義務であり、つ又これを達成することに依って科学及び心霊学の社会的貢献が増大せられて行くのであります。嘲る人よ、笑う人よ、ず心静かに、私共と共に物を正視静観しようではありませんか。


底本: 雑誌 「心霊界第一巻第十一号」

無記名記事につき著者不明

発行: 1923(大正13)年12月1日 心霊科学研究会

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に準拠して、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、章毎にページを分け、箇条書きに改行を加え、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。

 

※ 入力:いさお      2007年1月29日

※ 公開:新かな版     2007年2月23日


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